Nicotto Town


五飯田八宝菜の語学学習日記


ゴタぴょんの日記 2014年3月27日 Ⅰ

 3月27日 (木) Ⅰ


   奈良ホテルから、
   仕事のオファーが入ったのは、
   先月中旬です。
    これまで、何度か、他のツアーで、
   ミート場所になったことはありますが、
    当ホテル様(今回はベル)からの
   お引き合わせは始めてです。

   係は、三船さま。
   まず、この方にこそ、ご挨拶をするべしとて、
   フロイントに行ってみる。


フロント: え?三船でしたら、
      きょうは、休みになっております。
      どういった御用向きでしょうか?

ゴタ  : 本日のご斡旋のことで・・


フロント: ああ、ゴタさんですね。
      はい、三船から聞いております。
      ええと、午前10時のお迎えですよね。


ゴタ  : はい、そうです。


フロント: 今、まだ9時30分ですので、少々お待ち下さい。
      お急ぎの件がございましたら、 
      お部屋にお繫ぎいたしますが・・・


ゴタ  : 大丈夫です。10時になってからで結構です。


 
   30分、どこで、何をしようか?
   とりあえず、ホテルの中を
   うろうろすることにした。 

   廊下には、ずらりと写真。
   天皇皇后両陛下のお写真。

   明治の創設期には、
   各国要人を迎える「迎賓館」として、

   その役目を担った大日本ホテルを母体として、
   関東の大倉喜八郎(ホテルオークラ創設者)と、

   肩を並べる西村仁兵衛創業のホテルは、
   今尚、皇室御用達。

   鹿鳴館が当時、18万円で建設された時代。
   ホテルは、35万円の巨費を投じて建てられた。
   西村が、当初予算としていた5万円を
   はるかに超えていた。
  
   その超過した費用は、鉄道院の所有となった。
   奈良ホテルの直移設接の歴史は、
   国鉄が
   日本交通公社に経営を委ね、さらに昭和31年
   都ホテルに壌度されたときに始まる。

   各国首脳、重鎮を招き入れるのみならず、
   この頃は、
   銀幕のスターたちも、訪れるホテルとなった。

   というような、
   格式のあるホテルのようでございます。

   なので、
   こういうホテルからお呼びが架かるというのは、
   やっと、一人前の通訳ガイドとして
   認められたような気が
   するのであります。

    (気がするだけかもな。何せ、山田やし。)

   気がするだけやで。実際のゴタの品格は知らんで。


    【午前10時、お客様の登場】


   本日のお客様は、アメリカは、ニューヨークからの来訪。
   仲良し父娘(おやこ)です。

   車は、日産ウィングロードをご指定だったので、
   近鉄奈良駅前の
   日産レンタカー、高天店で、調達。

   ところが、おふたりとも、超LLLLLサイズ。
   とても、うしろの席に
   ふたりは、無理。

   前に、お父様のポールさん、うしろに娘さんの
   ルーシーさん。

     (う、動くだろうか、車。)

   心配するゴタ。

   (;^_^A

ゴタ    :  Are you alright、rear ?
         うしろ、大丈夫ですか?     
       
ルーシーさん:  Fine.
         いいわよ。


ゴタ    :  Then let's get started.
         ほな、行くで。



Ⅱにつづく
ゴタぴょん




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