自作小説倶楽部11月投稿
- カテゴリ:自作小説
- 2017/11/30 23:41:48
「思い出の味」
好きかどうかじゃなくて、誰にだって忘れられない味っていうのがあるでしょう? 卵焼きは甘いのが好きですか? 塩味? 俺、卵焼きだけは上手に作れるんです。
今はそんな話をしている場合じゃない?
すいません。でも話させてください。自慢になるようなことは何もないから自分のことを話すのはとても苦手で、これまでなるべく話さないようにしてました。
俺は小学校に上がった時からずっといじめられっ子でした。友達なんて一人もいません。貧乏人だし、いつもおどおどしているから、周りの人間も苛立つんでしょうね。ずっと俺の人生なんてそんなものだと思っていました。
初めて人のものを盗んだのは二十歳の時でしたね。本当ですよ。それまでは真面目に生きようと努力していたんです。
立派な大人になることが、あの人との約束だったから。
高校を中退して料理人になろうとXという店に勤めて三年目でした。そこの料理長にこっぴどく怒鳴られました。原因なんて覚えていません。ただ、おふくろの味も知らないやつに料理がわかるかって言われて、悔しくって。同時に俺の中で何かが切れちゃったんです。
店を辞める前に料理長の腕時計を盗んだんです。何か仕返しがしたかったから。ずいぶん怯えましたけど、問い合わせが来ることも警察が訪ねてくることもありませんでした。
あの人の名前はキヨコと言いました。どんな漢字を書くのか昨日まで知りませんでした。旧姓だってしりません。なんせ別れたのが俺が五歳の時でしたからね。一緒に暮らしていたのは二年も無かったと思います。
どうしてキヨコが俺の親父の後妻になったのかはわかりません。でも別れた理由はわかります。親父がひどいロクデナシだったから。キヨコの親兄弟が親父との縁を切りたくなったため離婚させたのだとおぼろげに理解しました。
記憶はあちこち穴だらけです。四十年も前のことだし、思い出にしがみついていては生きていけなかった。
でも昨日、はっきり思い出したんです。
ある日、珍しいものを食べさせてやるとキヨコが取り出したのは冷えた湯呑でした。中にはオレンジ色の物体が詰まっていました。
『かぼちゃプリンよ』とキヨコは言いました。
スプーンですくって口に入れると、それは口の中で崩れて、溶けて、かすかに甘かった。今思えば菓子なんて食べられなかった俺に子供らしいものを食べさせてやろうとキヨコが知恵をしぼって作ったゼラチンを固めて作ったプリンでした。かぼちゃを入れたのは砂糖が無かったためでしょう。
思い出してしまったんです。
昨日盗みに入った家の冷蔵庫にあったプリンを食べたから。やっぱりかぼちゃのプリンでした。
ねえ、刑事さん。キヨコ、あの家のおばあさんには俺の名前を黙っていてください。
「わー。手作りプリン?」
刑事は相棒が持ち込んだ紙の箱を断りもなく開けて目を輝かせた。
「駄目ですよ。これは私たちへの差し入れじゃありません」
「しかし、プリンのことを語らせたら僕の右に出るものはいないよ。ゼラチンのプリンとはいえその色、つや、作り手の愛情がこもった逸品だ」
「その愛情が伝わればいいですね」
なおもプリンを奪おうとする相方の手を若い刑事は払いのけた。
そして刑事さん、泥棒さんの名前黙ってたんだろうに……ばれてる;ω;`?!
親子の不思議な縁。
お忙しい中の執筆ご寄稿に感謝いたします。