Nicotto Town


五飯田八宝菜の語学学習日記


ゴタの日記 2013年12月30日 Ⅲ

12月30日 (月)Ⅲ

Ⅱからつづく

    【竜安寺】

   ここの駐車場は、ふたつあって、
   バスとタクシーが、お寺に近い、いい場所になります。
   で、
   自家用車は、坂道を上がった、遠い場所になります。


ゴタ  : これ、タクシーなんですけど。


警備員 : あほなこと、ゆうたらあかん。
      白ナンバーのタクシーがあるか!
       

ゴタ  : やっぱし?


警備員 : 忙しいんやから、しょうもない冗談言うな。
      さっさと、上の駐車場へ行け。


ゴタ  : わっかりました。


   【教訓】  冗談は、忙しい人に言うな。
         休み休み言うべし。


    ヾ(@^▽^@)ノ

  年末の竜安寺も、よく混んでいます。
  石庭のところの縁側には、観光客が
  いっぱい。
  ビスケットに蟻がいっぱい群がるように。

  いつも思うことですが、
  この絶妙な石の配置を設計した庭師は、すごい。
  作者は、わからない、とのことです。謎です。

  屋根瓦は、一時、銅板に
  吹き替えた時代があったそうですが、
  戦時中に供出し、
  戦後は、瓦にもどったといいます。


  テキストによると、
  円融天皇が、983年に造営した

 「円融寺」

 に始まる。

 991年、左大臣、藤原実能(さねよし)が領有し
 ここに山荘を営んだ。
 
 実能がここに建てた持仏堂、「徳大寺」が、
  後に家名となり、以後、
 実能の藤原家は、徳大寺と称された。

 代々この東大寺家に受け継がれたこの山荘と領地は、
  1450年、
  管領、細川勝元が徳大寺家より、譲り受ける。

  細川勝元は、妙心寺の義天玄承を招き、開山とし、
  ここに、「竜安寺」を建立した。

  ただし、実際に説明したのは、


ゴタ : In 1450, Katsumoto Hosokawa,
     a shogunal deputy, gained this land from
     Kinari Tokudaiji

     From that time on ,
     the land was owned by Hosokawa family.

     They say there were famous thread cherry trees,
     one of which
     remains as a miniature stone henge
     at that corner on the right.

     1450年、管領、細川勝元は、
     徳大寺公有(きんあり)から、
     この地を譲り受けます。
     爾来、細川家に受け継がれてきました。

      石庭には、糸桜があったのだそうです。
      今その跡が、片隅に石組で囲まれています。


   【鏡容池】

    徳大寺家の昔から、ここにあった池なのだそうです。
    別名、「おしどり池」。

    その昔、猟師さんが、おしどりの雄を撃ち落とした。


雄のおしどり : う、撃たれた。


雌のおしどり : あなた、しっかりして。


雄のおしどり : ああ、もうだめ。死ぬ。さらばじゃ。


雌のおしどり : あなたー。


    雄のおしどりは死にました。
    悲しみのあまり、雌のおしどりも死にました。
    それから、里人たちは、このおしどり夫婦のために、

    「おしどり社」

    を建てたのだそうです。


  (-^□^-)


Ⅳにつづく
ゴタぴょん




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