ゴタの日記 2013年12月30日 Ⅲ
- カテゴリ:日記
- 2017/11/06 07:15:18
12月30日 (月)Ⅲ
Ⅱからつづく
【竜安寺】
ここの駐車場は、ふたつあって、
バスとタクシーが、お寺に近い、いい場所になります。
で、
自家用車は、坂道を上がった、遠い場所になります。
ゴタ : これ、タクシーなんですけど。
警備員 : あほなこと、ゆうたらあかん。
白ナンバーのタクシーがあるか!
ゴタ : やっぱし?
警備員 : 忙しいんやから、しょうもない冗談言うな。
さっさと、上の駐車場へ行け。
ゴタ : わっかりました。
【教訓】 冗談は、忙しい人に言うな。
休み休み言うべし。
ヾ(@^▽^@)ノ
年末の竜安寺も、よく混んでいます。
石庭のところの縁側には、観光客が
いっぱい。
ビスケットに蟻がいっぱい群がるように。
いつも思うことですが、
この絶妙な石の配置を設計した庭師は、すごい。
作者は、わからない、とのことです。謎です。
屋根瓦は、一時、銅板に
吹き替えた時代があったそうですが、
戦時中に供出し、
戦後は、瓦にもどったといいます。
テキストによると、
円融天皇が、983年に造営した
「円融寺」
に始まる。
991年、左大臣、藤原実能(さねよし)が領有し
ここに山荘を営んだ。
実能がここに建てた持仏堂、「徳大寺」が、
後に家名となり、以後、
実能の藤原家は、徳大寺と称された。
代々この東大寺家に受け継がれたこの山荘と領地は、
1450年、
管領、細川勝元が徳大寺家より、譲り受ける。
細川勝元は、妙心寺の義天玄承を招き、開山とし、
ここに、「竜安寺」を建立した。
ただし、実際に説明したのは、
ゴタ : In 1450, Katsumoto Hosokawa,
a shogunal deputy, gained this land from
Kinari Tokudaiji
From that time on ,
the land was owned by Hosokawa family.
They say there were famous thread cherry trees,
one of which
remains as a miniature stone henge
at that corner on the right.
1450年、管領、細川勝元は、
徳大寺公有(きんあり)から、
この地を譲り受けます。
爾来、細川家に受け継がれてきました。
石庭には、糸桜があったのだそうです。
今その跡が、片隅に石組で囲まれています。
【鏡容池】
徳大寺家の昔から、ここにあった池なのだそうです。
別名、「おしどり池」。
その昔、猟師さんが、おしどりの雄を撃ち落とした。
雄のおしどり : う、撃たれた。
雌のおしどり : あなた、しっかりして。
雄のおしどり : ああ、もうだめ。死ぬ。さらばじゃ。
雌のおしどり : あなたー。
雄のおしどりは死にました。
悲しみのあまり、雌のおしどりも死にました。
それから、里人たちは、このおしどり夫婦のために、
「おしどり社」
を建てたのだそうです。
(-^□^-)
Ⅳにつづく
ゴタぴょん