Nicotto Town


今年は感想を書く訓練なのだ


『とても大切なもの』あるBlogの書き込みより

とても大切なもの
とても大げさな話だが、なくなってしまった

奥にしまってあった物、とても大事だった

ポケットへも入れておいた物、とても愛おしかった

取り上げられたんだか、自分から投げたんだか・・・

無くなってしまったことには、変わりなかった

裸で放り出され、一人ぼっちになったとおんなじだった

残ったのは自身の名前のみだった

命より 名こそ惜しけれ 武士の 道をばたれも かくやおもわん

遠い昔のご先祖様は、一所懸命に名を受け継いだという
どんだけ大切で、どんだけ大変だったか、どうしても知りたくなった
そしたら、最後に残ったとっても大きな宝物になる気がした
ありがとう・・・
自分の名前に感謝するんだから、少しおかしいかもしれない

もののふの歌
森迫氏の出自は武蔵国猪股荘、大友能直の豊後国下向に随伴したと伝わっているという。
戦国中期、森迫鎮富の時には大友氏の奉行として活躍、大友氏の信頼は厚かった。
鎮富の嫡子「三十郎親正」は天文20年(1551)8月、大友宗麟の肥後国菊池郡合志城攻
めに参戦した。この戦で、子息の親正が合志常陸守の郎黨(家來)山本三十郎に討たれ
17歳で没した。三十郎の主の合志常陸守は、親正の兜首の中に忍ばせた、一首の歌を見つけた。

『命より 名こそ惜しけれ 武士の 道にかふべき 道しなければ』

常陸守は天晴れなる武士かなと感じ入り、亡骸を大友の陣所に送ったと言われている。
                    大分県豊後大野市から気ままなblog様より

ここで紹介されている歌を調べてみると、どうやら『道歌拾遺集』の中に詠まれている
ようだ。歌の中の『名こそ惜しけれ』の部分を引いてみると、『自分の名を汚すような
恥ずかしいことはするな』と多くのサイトがこのように解説している。
また、「名こそ惜しけれ」とは、自分の存在及び一族の存続を賭けた誇りと恥の精神だと言う。

侍の名とは、いったいどのようなものであろうか
これは平安末期に遡るが、後に『荘園公領制』と呼ばれた改革が行われた。
荘園も郡や郷にも、領地を支配して租税を取り立て中央の権門へ送る役人が置かれた。
後の世に『地頭』と呼ばれた者達である。この者らは、朝廷の警護をも任された、平氏
・源氏など軍事貴族ともつながりなりを持った。この者らは、支配する領地の地名を
苗字として、一族の代表として通称(化名)を付けて名のった。

佐貫四郎大夫左衛門尉広綱もその一人であった。佐貫荘を苗字の地とし、四郎大夫は
一族の惣領を表す化名である。左衛門尉は、朝廷から頂いた官途であり、広綱は本名
(諱)である。

一族の通称(化名)とは
さて時代を下り山内上杉家に仕えた重臣に、長尾孫四郎景仲があった、その息子も
孫四郎景信と名乗った。そして孫の長尾孫四郎景春は、文明5年(1473) 6月に父の
景信を無くした。

もちろんここで注目していただきたいのは、『長尾孫四郎』である。
この名は、3代続いたことになり。これを名のる者は、この一族の惣領であり、先代より
その一切を引き継ぐはずであった。景春は、この常識とも思われたことが実施されず
にあった事にひどく憤りを感じていた。この後、長尾景春の乱に突入するわけである
が、ここではそれは置いておく。
※必ずしも非常識ではなかったことは、多くの学者が説いている。


さて、話を『侍の名』とはについて話を戻そう
孫四郎の名は、当代白井長尾家を代表する者が名のる化名であることは、すでに話した
通りである。そこで『名こそ惜しけれ』とは『自分の名を汚すような恥ずかしいことは
するな』と解説されていることを思い出してほしい。

ここで言う『自分の名』とは、景春の例で言うと『長尾孫四朗』にあたる。
すでにお気づきの事とは思うが、その通り『長尾孫四朗』は確かに、当時景春の名では
あるが、ちと意味合いが違う。つまり、白井長尾氏の惣領であり、一族全体の象徴でもある。
『自分の名を汚すという事は、一族全体を汚すことに繋がり、一個人のみで帰結することは無い』
『逆に個人的な事で、ましてや感情でもって行動を起こすことは、まず有り得ないと考えている』
このような重名を背負わない、一階の武士であるならば、有り得るかもしれない。


もう一度
「命より 名こそ惜しけれ 武士の 道をばたれも かくやおもわん」
を考えてみよう。

宗春的に素直に訳すと
命を賭してでも、名前を大事にしなければならないと、武士なら誰でも そう思うだろう
となる。

ここに出てくる名前に実は、深い意味を見出さなければならない。
名前は一族の代表であり、一族とは家と言い換えることもできる。
まさに一所懸命に家を守ろうとする、武士の姿勢が見えてこないだろうか?
一族の繁栄と引き換えであれば、己一人の恥など言うに及ばす、その身さえも捧げてきたのであろう。

武士の名とは、そのように大切なものである事が、少しわかってきた。
長尾景春は山内家に対して、本当に個人的な感情でもって、謀反を起こしたのでしょうか?




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