Nicotto Town


五飯田八宝菜の語学学習日記


ゴタぴょんの日記 2013年11月1日 Ⅰ

11月1日(金)

  【幸遊庵。午前10時】

   ツアー開始時刻は、10時30分に変更になりました。
   きょうの日程は、

    幸遊庵 ~ 二条城 ~ 
    京都ハンディクラフトセンター ~ 三十三間堂
    ~ 高島屋 ~ 幸遊庵

   
   【幸遊庵を出発】

   幸遊庵は、祗園甲部にあります。
   甲部歌舞練場の東、安井金比羅さんの西。
   安井金比羅さんは、縁切りの神でして、
   自主神社の縁結びの神様と、セットで、
   お参りすれば、とても便利。

   幸遊庵から西へ。建仁寺で、右。
   ここから祗園、花見小路が続きます。
   四条通を西へ。堀川通で、北。
   二条城は、この堀川通を北に1キロほど
   行った西側。


リッチェ
ルさん : Lert's begin by Nijo Castle.
      きょうは、二条城を先に
      行きましょうね。


ゴタ  :  Yes, let's.
      行きましょう。


     関ヶ原の合戦後、徳川家康は、
     天下を示すため、京都に城を構えます。
     おそらく、大阪城を攻めるための、
     軍事拠点だったのでしょう。

     実際に、この二条城で、攻略を練って、
     1614年と1615年の二度の陣で、
     大阪城を攻め滅ぼしました。

     大阪城が無くなれば、天下は安泰とばかり、
     その翌年、徳川家康は永眠します。

     1616年に亡くなったのですが、
     覚え方は、いろいろ(1616)
     やってから亡くなった、
     と覚えます。

     イギリスでは、この年、
     シェークスピアが亡くなりました。

     ついでに言えば、
     家康が征夷大将軍に就任した年に、
     エリザベス1世が亡くなりました。

     さて、二条城ですが、
     1603年2月の征夷大将軍就任後、
     すぐの3月21日、
     出来たばかりの、二条城に入り、
     25日、拝賀の礼を行いました。

      ヾ(@°▽°@)ノ 

     家康没後10年、すなわち、
     1626年、新たな殿舎を造営。

     その片隅に、伏見城を
     移築し、天守閣を建てたのだとか。

     (ただし、あそこは、
      そんなに大きな場所ではない。
      五層だったと言うけれど、無理。)


     あの狭い場所に
     五層の天守を実際に建てたのだとすると、

     めっちゃ、たて長の、塔のような、
     不安定なお城でっせ。そら、あんた、すぐ
     落雷を受けて、焼失しても、おかしくない。
     台風で、壊れてもおかしくない。
     地震で、潰れても当然かもしれない。

     家康なら、そんな、ひょろひょろの天守は
     作らなかっただろうぜ。

     ヾ(@^▽^@)ノ


家康 : ほんまに。わしの子孫は、
     あほたればっかしじゃの。
     あんなモン作りやがって。


秀吉 : わははは。わしが人間界にもどって
     作って来てやろうか?



家康 : あんた、もう、堪忍して。
     わしとこは、もう城はいらんわ。


秀吉 : あんた、いらんのは、ええけど、
     わしがせっかく作った大阪城、壊しやがって、
     ほんまに、もう、この馬鹿たれが、こら。
     罪滅ぼしに、わしの肩もめや。



   と、いうような会話が天国で交わされたかどうかは、
   さだかではないが、
   その1626年は、
   二の丸にあったとされる天守が、
   淀城に移築されたという年です。


   では、二の丸がなくなった二条城は、
   ひょろひょろ本丸だけの、
   安っぽい城になりさがった
   のでしょうか?

   実は、このころ、
   後水尾天皇を招こうという運動があったらしい。

   その行幸のための、御殿が造られる予定だった。
   行幸御殿は、
   今の二の丸庭園に出来ていた。

   その行幸御殿は、誰が造ったのか?

   誰あろう、小堀遠州、この人である。
   造営奉行に任じられた小堀は、
   さぞ、腹が立ったことであろう。
  
   せっかく、造り上げた庭園は、
   行幸御殿とマッチするよう、もう一度、
   造営し直しとなったからである。


  \(゜□゜)/

小堀遠州 :  ばかたれが・・・
        わしがせっかく作った庭園だというのに...


配下の者 :  お奉行、まあ、そういわずに、
        後水尾天皇の行幸は、徳川家にとって、
        天下に
威厳を示せる一大事のことでござりますぞ。


小堀遠州 :  ほな、お前に任せるし。
        わしは、もう、きょうは、
ふてくされて、家帰って
        お茶飲んで、ふて寝するわ。 


Ⅱにつづく
ゴタぴょん




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