脳活日誌884号
- カテゴリ:日記
- 2017/08/08 12:20:59
亡き母の月命日。
母は享年94歳で亡くなっている。去年七回忌をすませた。父は私の四歳の時に享年三十一歳で戦病死している。だから、私の脳裏に面影は残っていない。遺影を見る限り私よりも男前のように思える。父の弟も兵役中に病気になり、戦後まもなく亡くなったが、この叔父も享年三十一歳であった。長男、次男とも享年三十一歳でなくなっているから、祖父母は悲しい思いをしたことだろう。太平洋戦争というものがなかったならば、家族構成は変わっていたかもしれない。今さら振り返って見ても、詮無いことであるが、戦争というものは不幸しか残さない。
争いごとのない社会を平和というのだろうが、今の世界は平和の方向に向かっていない。古ぼけたICBM (大陸間弾道弾)を開発して緊張を高めている国があるが、兵器を製造することが国の目的なのだろうか。ロケットを作る技術を平和産業に、どうして向けられないのだろうかと思う。権力を握っている政治家は国民の生活を豊かにする施策を考えていくのが使命である。ロケットや原爆を製造して国民生活の食卓に何かの潤いをもたらすだろうかと素直に考えてほしい。機関銃や戦車、攻撃用ヘリコプターを飛ばしても、肉や野菜は採れるわけではない。
軍需産業は生産の循環サイクルに寄与しないものなのである。例えば、トラックを製造したとする。普通のトラックは生産資材や物の運搬に寄与して、拡大再生産に貢献していく。しかし、ロケットを運ぶ巨大な輸送車は消費財の生産に何一つ貢献していかない。弾薬や銃器をトラック一杯に積んで訓練場へ運んだとしても、サツマイモや玉ねぎの生産に繋がらない。ところがトラックに肥料を積んで畑まで運び、土に混ぜ合わすと、トマトやゴウヤは大きくなって実を沢山収穫できる。山奥までロケットを運んで、発射したからと言って、大根、ネギ一筋収穫できない。つまり、軍需産業は鉄の塊や爆発物のゴミを作っているにしか過ぎない。国力の無駄遣いをしているのである。ここに平和産業と軍需産業の違いがはっきりとある。何が正しいのか、事態ははっきりしている。軍事費の増大は無駄の拡大である。経済原則は正直なり。
私の父の兄、つまり私の伯父は、兵役に就いたことがあったそうです。
(昔は兄弟でも親子ほどに年齢が離れていたこともよくあったのですね。)
一番上の伯父は無事に帰ってこられたのですけれど、2番目の伯父は戦死されたそうです。
私の父は年齢が離れていて、まだ小学生くらいだったらしいです。
生前、父からそんなことを聞いて、戦争ってそんな昔のことじゃないんだ、って思いました。
戦争は、何も生みはしません。
生み出すとしたら、憎しみと悲しみだけです。
母が祖母のお腹にいるときに戦争に行ったらしく写真でしか顔を知らないと言ってました。
その後、祖母は駆け落ちをしてしまったので
母は祖母の妹達や曾祖母の所で生活していたらしく
私は物心ついた頃から母の叔母たちから
母の苦労話をよく聞いていました。
「戦争さえなければ」
母の叔母達はよく言っていました。