Nicotto Town



盈ちたる月

 しばらくの間、月神はことのほか幸せであった。

 若い巫女は、それは熱心に勤めを果たしていたし、他の巫女たちが何の不満を言うでもない。

 ああ、私は愛されているのだ。

 巫女たちに、わけても若い巫女に。

 まさに、巫女たちは今までにも増してかいがいしかった。

 もしやすると、嫉妬の色を見せぬかわりに、若い巫女と競うように、勤めに励んでいたのかもしれない。

 けれどそうして日を過ごすうちに、なぜか次第に月神の光は薄れていった。

 

 人々は夜ごと空を見あげ、指をさす。

 月が闕けていくよ。

 どうしてだろう?

 月神さまはことのほかご満足と聞いたけれどな?

 

 若い巫女も心を痛めていた。

 いったいどうしたことなのだろう。

 私は精一杯努力している!

 朋輩ともうまくやっているつもりなのに、月神が翳るような事が起こらないために、最前を尽くしているはず。

 

 年嵩の巫女たちは、時に不安げに囁きかわす。

 いけない。このままでは、いにしえの儀式を行わないと、月神は光を失ってしまうかも。

 あの儀式だけが、月神を甦らせるもの。

 なぜなら……。

 巫女たちはなお声をひそめる。

 それは長らく行われていない儀式、いささか人の耳をはばかるものだったから。

 

 月神もいささか慌てていた。

 夜ごと天に身をのりだすたび、自らの光が地を照らす力が弱まっている事を感じる。

 かつては銀の野山のように輝いていたというのに、今はただ薄青く沈むばかり。

 どうしたことだろう。

 月神の胸がつきん、と痛くなる。

 ああ、何かがおかしくなってしまった。

 私のなかの何かが崩れてしまったようだ。

 今、私は自分の中に再びなにかが闕けてしまった事を感じる。

 私のなかに、ぽっかりと洞があいたようだ。

 

「それは、御身の内にひとつの愛が大きく育ち、それが蓋をしてしまっているからですよ」

 年嵩の巫女が案じ顔で月神に囁いた。

「それは良くないことです。御身の光はその蓋に遮られて、地の上に届かずにいるのです」

「だが、私は誰もえこひいきなどしていないし、全ての人々を、野山を、照らすように心がけている」

 月神の切ない声に、巫女も肩をふるわせた。

「ええ、ええ。よく存じておりますとも。けれどその蓋は、御身の判断にも知らずと蓋をしているのです」

 月神の声も震えた。

「どうすれば良いと?」

 巫女は哀しそうに月神を見つめるばかり。

 月神は惑乱した。

 巫女たちを、地の上の人々を、ひとしなみに愛しているのだと自らに言い聞かせながら、その実若い巫女がとても大切な、とても特別なひとりになっていた事に、月神はようやく気付いたのだ。

 それはもはや、誰にもどうしようもない。

 いにしえより伝わるただひとつの秘儀を除いては。

 

 そしてついに月神の光がほとんど消えそうになった夜、巫女たちは若い巫女を囲んで、岩山の頂までやってきた。

 とうとう、いにしえの儀式を執り行わねば、月神の光は取り戻せぬところまで来てしまった。

 巫女たちとて、若い巫女を憎らしいと思う者などひとりもいない。

 心配そうに若い巫女をのぞきこめど、若い巫女は微笑むばかり。

「いいのです。だって私は月神さまのためなら何でもできるもの」

 巫女は憧憬の眸を月神に向けた。

「願わくば、私の命で月神さまが姉神さまと同じくらい、美しく輝きますように」

 いくたりかの年嵩の巫女が、困った、という風にかぶりを振った。

 ああ、この娘は若すぎる。

 月神を愛しすぎている。

 だからこそ、こんな大それたことを願うのだ。

 

 頂に立つと、ほとんどの巫女は数歩後ずさった。

 若い巫女は怖れるでもなく、頂に立っている。

 巫女の長が、細い溜息をつくと、腰から新月にそっくりの鎌を外した。

 詫びるようなその眸を受け止めて、若い巫女は再び微笑む。

 いいのです、私は月神さまのものだもの。

 鎌は、僅かな月神の光を受けてきらりと光り、流れた。

 若い巫女の喉から、たちまち深紅の命がほとばしった。

 そしてゆっくりと、若い巫女は岩山の頂から落ちていった。

 

 なぜだ! なぜだ!

 私はそんな事、ひとつも望んでいないのに!

 月神の叫びは地の上に届かない。

 どれほど公平に照らそうとしていても、そう、やはり月神は若い巫女を愛していたから。

 おのが闕けた部分をかきむしるようにして、月神は苦しんだ。

 けれども、その月神をそっと慰める声がする。

「ねえ、ねえ、私がわからないの? 私がいま、ここにいる事がわからない?」

 月神はふと、闕けた部分に両手をあてた。

 今までに感じたことのないぬくもりが、ふつふつと湧き上がる。

 そう、そこにはあの若い巫女の魂が安らいでいた。

 

 若い巫女が月神に囁く。

 私がいるから、ここにいるから。

 たとえどれほど闕けていこうと、私がいる限り再び盈ちる。

 それが私とあなたの大切な約束なの。

 このために私は鎌の前に立ったのよ。

 

 月神の光はいや増して、冴え冴えと夜天を照らした。

 あまねく照らすその光に、姉神のような熱はなかったけれど、銀の光はことのほか優しかった。

 それは人々の眠りを守り、やむなく夜道をゆく者の足元を照らして、悪しき者を追い払う。

 悩める者たちの気持ちを鎮め、平安をもたらすもの。

 夜天を見あげる者たちは、月神のなかに若い男と、若い娘の影を見る。

 そのふたりがめぐりにめぐる。

 それゆえ月神は闕けてゆくとも、また再び盈ちるのだ。

 若い男と若い娘が永遠に踊る輪舞は、人々に安らぎを約束していた。

 

 もう、これで月神が嘆き死ぬ事はない。

 月神の核に、恋する魂が添っているから。

 

 岩山の上では巫女たちが声をあわせて歌う。

 月神さまよ、御身は盈ちれば必ず闕ける。

 けれども闕けた御身は補われねばならぬ。

 それゆえ、これからは天寿をまっとうした者が、御身のうえに還るでしょう。

 その魂が御身を満たす。

 いずれまた闕けようとも、御身は再び盈ちていく。

 それは御身の内に、若い巫女の魂が棲んでいればこそ。

 

 幸いなれ、月神よ。

 幸いなれ、若い巫女よ。

 これからはひとつの神となって、夜天を照らしたまうように。

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2017/06/08 18:37
>結友ᘡgoさん
ありがとうです!
そう感じてもらえてとても嬉しいです~。
言葉のリズムには気をつけているので、
まさに、誰かに語られているような感じという感想はとっても嬉しいです!
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2017/06/07 20:11
神話的な切ない感もあるステキな物語・・ソネットのようなギリシャ神話のような物語 
誰かにお話ししてもらってるように感じながら読みました。
いまでは明るい夜道ですが、これからはその向こう側を想像しながら歩きますね。
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2017/06/02 14:20
>M一輝Mさん
ありがとうございます!
素敵な物語と言ってもらえてとても嬉しいです。
今回は神話的な物語をめざしました~。
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2017/06/02 01:54
これからは 夜空の月を見上げる折には この素敵なお話を思い出すことでしょう・・・。
月の満ち欠けと私たちとの不可思議な繋がり
奥が深く また神秘的で素晴らしいお話をありがとうございました。
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2017/05/31 09:25
>如月けいさん
応募しましたー。
今、ネット小説は多数の懸賞が林立しているんですが、
応募条件にぴたりとあうものをすぐ書くだけの体力がなかなかないので、
まあ、無理せずやれそうな時に投げてみようと思っています~。
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2017/05/31 01:48
応募してらっしゃるのですね?

あまり頑張り過ぎて無理をして体調を崩されては、元も子もなくなってしまいます。
ですから体調と相談しながらでも、書き続けてほしいなぁ…と感じました。
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2017/05/30 23:07
>サキ
月がなかった時代というのも地球の歴史の中ではあるわけですけど、
ちょっと想像がつかないですよねえ……。
これほど大きな潮の満ち干はなかったでしょうし(他の惑星からの干渉で多少はあったのかもしれませんが)。
まだ実証はされてませんが、
月が生物の体液などにも影響するという説もあるみたいですね。

月のような大きな衛星を従えている惑星はあまりないはずです。
だから、地上に立って空を見あげた時、こんな大きな月が見える地球型の惑星は多分珍しいです。
なのに、異星を舞台にしたSFでは、必ず大きな月が見える作品がとっても多いです!
無意識に、夜の空には月があるものだ、という先入観が働いているのでしょうね。

人間と月の関係って、ほんと、深すぎるほど深くなっていると思います。
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2017/05/30 19:50
そうそう、うんうん、あと(日本語の)表現とかね、初めて見るのはイメージしにくかったけど、調べたりして完璧に理解したょ(^_^)!
すんなり分からなくてちょっと凹んだけど、こんなの書くお兄ちゃん凄い!って誇りに思えたぁ~♪
うんうん、超気に入ったぁ♥

お月様が来なかったら地球の生命体はどんなのになってたかわからないけど、今の私達は居なかったと思うの。
だからかな、お月様見るの皆好きだょね(^_^)
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2017/05/30 17:11
>サキ
そうか、文章が難しかったか~。
読めなかったというのは「闕けたる」「盈ちたる」かな。
これは「かけたる」「みちたる」と読むんだよ。
滅多に使う読みではないので、辞書を引いてもなかなか出てこないかもしれないな。
このあたりは私の、漢字二対するマニアックな好みが出てるとしか。

物語はここでおしまいです。
月神を愛しすぎてしまった巫女が、最終的には月神と一緒になるところでおしまい。
気に入ってもらえたら嬉しいけど、
難しくてわからなかった~、のままでも勿論いいよ。

月はとてもユニークな天体だけど、最初から地球のそばにあったものではない、
というのが面白いよね。
今は地球と月はとても大切な関係になっているし。
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2017/05/30 13:59
これ2つめで終わりかな、やっと読んだぁ~(^o^;)
いろんな意味でやばい~まず日本語!むずかしいぃ!
・・学校で読んだ物語、芥川とか有名なのとかよりむずかしいょ。
漢字も読めないのあって意味もまた知らないとぃぅ・・私の日本語力はかなりやばい感じだ・・。
こんなのさらっと読んだり書いたりできるの凄いなぁ。
私もいつか、そんなふうになりたい~!

お月様はとっても大事(^_^)
光だけじゃなくて引力の影響凄いからね、それ無くなったら今の生態系全部変わっちゃうょ!
明るくて見えない時間でもずっと守ってくれてるの(^_^)
地球の裏側に行っても公平に守ってくれてるの(^_^)



私の読書感想文意味不明だって言われたことあるけど、変だったらごめんねぇ(>_<)
うんうん、でもお月様幸せで居ると良いなぁ♪
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2017/05/30 07:40
>如月けいさん
これ、読者投票期間ぎりぎりすべりこみだったのですが、
カクヨムという角川系のサイトの、恋愛短篇に応募しています。
ぎりぎりだったからどうなるかはわかりませんが……。

精力的に応募できればしたいところですがなかなかついていかずw
できる時にタイミングを見て応募していきたいです。
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2017/05/30 03:24
どこかに応募してみる、という事を考えられたことはありませんか???



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