Nicotto Town


金田正太郎


「風の又三郎 1941」#2-10


 製材所に来たのは、運転手を除いて逓信省の役人と陸軍少佐の二人だった。逓信省の役人は運転手から渡された傘をさして足早に宿舎に入ったが、少佐はいかにも軍人らしく、雨が降っているのにクルマから降りても悠然と歩いて宿舎に入って来た。三郎は海軍にいる伯父から習った正しい敬礼で迎えた。少佐もそれに敬礼で応えてくれた。その時、奥から鈴の声が聞こえた。

「あれ、ぼん、どないしはったん」

 鈴がぼんと呼んだのは和夫だった。和夫は犬とはぐれてしまい、探しているうちに雨が降りだして製材所の倉庫に入っていたらしい。三郎が聞いた声は和夫だったのだ。どうやらイモが蒸し上がる臭いに誘われて来たようだ。鈴は和夫のために湯気が立っているイモを一つ皿に乗せてくれた。

「熱いし、気つけや」

「うん」

 和夫はふうっと息を何度もイモにかけた。鈴は冷めるのが待ちきれない和夫のためにイモを手で二つに割った。

「これで早よう冷めるわ」

 和夫はそっとイモを持って口に入れた。

「あつっ。そんでもおいしい」

「そら、よろしおしたな。ゆっくり食べなはれ」

 美味しそうに食べる和夫に三郎が言った。

「それ、食べたら家まで送るよ」

「うん」

 三郎は窓の外を眺めた。まだ雨の勢いが強い。

「傘より雨合羽がいいね。後で持って来るよ」

 

 和夫がイモを食べ終わる頃合いを見計らって三郎が自分の雨合羽を持って来た。和夫には大きい。雨合羽の上着だけで十分のようだ。三郎はフード付きの外套を着て言った。

「さあ、帰ろうか」

「うん」

 雨足は少し緩んだが、まだ遠くの景色が霞んでいる。舗装されていない道には、あちこちに水たまりが出来ていた。和夫は小さな水たまりを飛び越えた。三郎はそれより大きな水たまりをひらりと飛び越えた。和夫も三郎が超えた水たまりを飛び越えようとしたが、雨合羽が絡みついてしまった。

「うわっ」

 和夫は水たまりに手を付いてしまった。

「ありゃ、大丈夫か」

「うん、どうもないで」

 と、言いながら和夫は立ち上がって走り出した。

「ああ、また転ぶよ」

 三郎は和夫を追いかけて並んで走った。三郎に並ばれた和夫はさらに速度を上げた。二年生しては速い。三郎も速度を上げた。いつしか二人は競争するように走っていた。雨の中、バシャバシャと音を立てながら走るのは痛快だ。和夫も三郎も笑いながら走っている。地道には水たまりがいくつも出来ていた。小さな水たまりを何度か飛び越え、三郎は大きな水たまりを飛び越えたが、和夫は直前で止まった。和夫には越えられないのだろうか。

「どうした。無理か」

 和夫は首を横に振った。

「おとうちゃんが」

 そう言った和夫が、あぜ道を指さした。三郎は和夫の視線を追った。あぜ道をこっちに向かって速足で近寄って来る男性の姿が有った。和夫が大きな声で呼びかけた。

「おとうちゃ~ん」

和夫の父は両手を振りながら大きな声で言った。

「おおい、和夫。どこに行ってたんや。哲也も清もおらんのや」

 三郎は和夫が製材所から送って行く途中だったことを話した。和夫の父は三郎に礼を言い、哲也と清が家に帰ってないことを三郎に話した。

「僕は会ってないです」

「そうか、何処に行ったのやろうな」

 二人の会話を聞いていた和夫が山の中腹を指さして言った。

「あんなあ、あっこらへんで哲也と清を見たで」

「え、一緒に居たのか」

「ちゃう、見ただけ」

 和夫は一人で山を歩いていたらしい。その途中、哲也と清が下の方を歩いていたのを見たのだ。

 





Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.