マルのなかには 何もない。
- カテゴリ:日記
- 2017/04/29 08:38:47
先日、僧侶の方が未払い賃金だか残業代だかを認められるという判決が。
うーむ。時代なんですな、というだけで感想は控えることにしよう。
その数日前、ラノベの隣にあった岩波の『無門関』をたまたま再読してた。
『無門関』ってのはいわゆる禅の公案集でございまして、
高僧の逸話に無門慧開が説明と感想を付け加えたあと、
四言の古詩形式でエッセンスを要約する、というもの。
一度読んで投げ出してたのを忘れて再読しちゃったんですが、
当時投げ出した理由をすぐ思いだした。オレ、この手はダメだ。
臨済録は大好きなんですが、こういう公案って、何か性に合わない。
名著として各国で翻訳されて、公案集の基本だという。そうなのか。
これが禅なのですか。だとすると私は好みではないなー。頭悪いから。
忽然として大悟す、という直観的確信の形骸化・権威化に見えちゃって。
ずいぶん古い誰かのエッセイで、禅画展を訪れた挿話を思い出した。
力んだマルが書いてあって、タイトルが『無』となっており、
みなが感心して眺めているのに呆れ、「本当に何もなかった」で結んでいた。
修行僧の方々すらユニオンに参加し、労基や弁護士に相談する時代ですし、
これはこれで宜しいのでしょうな。そうそう、桂歌丸師匠がインタビューで、
噺家の命は何かと問われ『間』と即答してた。私はこっちがスキです。
まあ、霞を食べて生きてくのは無理ですし……仕方なかろうと思うのです。
代替わりした菩提寺の住職なんか、そのあたりをけっこうオープンに話してくれました。
知人には自分の店を畳んで、宗派の異なる友人の寺の雇われ住職やってる方もいるし。イロイロです。
だったら税金払ってもらわなくちゃね、お寺さんの収益(信徒の寄付以外の部分)から。
通りで坊主がビジネス実践会に参加するわけだ・・・