疲れ切った!
- カテゴリ:家庭
- 2017/04/14 13:47:39
一か月胃の調子が悪かったので、とうとう病院にいってきたけど、消化剤を頂いて終わった。それが火曜日
水曜日は一か月続いているつれあいの右足の痛みをみてもらいに近所だけどけっこう大病院へと、予約いれていたけど我慢できずに行ってきた。
整形外科の範疇ではないから診断できないと断られた。
木曜日は神経内科の予約が5月なんだけど待ちきれずに、かかりつけの先生の診察日だったから押しかけていった。片道タクシーで30分以上。
案の定予約をしている人が全員終わるまで待って、そのあとに診察を受けた。10時に家を出て、診察は1時過ぎだった。
で・・・後遺症の痛みが出てきた(これって最初は感覚もなかったから、よくなったってこと?)と言われた。
最近出たという痛み止めを処方してもらったけど。この痛みは一生続くそうだ。
ペインクリニックは注射で一時的に抑えるだけで、効果が消えると痛みも戻るそうだ。
しかし疲れた。胃の調子が悪いから、あまり食べないようにしていたから、疲れも大きいし、病院の混雑も神経を使う。
昨夜は8時半に寝て、今朝は6時起き。
ようやくまともな神経が戻ってきたけど・・・家事のほう頑張らねば!!
というわけでご無沙汰しております。
今回で母と会うのは最後だと思ったら、わたしの体調不良も改善された気がします。
ごく穏やかに、まともな認知症と認識できる(孫に説教は論外ですが)状態がずっと続いたので、相手するのに疲れましたが、私は可能な限り、ほとんど無視していました。それがよかったのだと思います。
いまの環境には満足していて、
「私が優しくして仕えた父が待っているから死ぬのも怖くないわ」といっています。
これには思わず妹が「お父さんのことをしょっちゅう怒鳴りつけていたのに・・・」と事実を言いましたら「あら、私そんなことしたことあったかしら?あの世で謝らなくちゃね」と答えたので、
姉妹で笑ってしまいました。
早速昨日コメント頂きながら遅くなって(´-ω-`)スイマセン
お里へお帰りになってお母様に会われて嬉しそうになさいませんでしたか、
同じことを聞くのはお年を取られたらそれ位は有り勝ちですけど、
お孫さんに説教されたり、あまり高飛車な態度は解せませんね~
今は施設にいらっしゃるんですね。そこで楽しく過ごされてるのでもないのかしら、
今6チャンで平日やっている、やすらぎの里の様にはなってませんのね、
穏やかに同じ老人同士で語り合うあんな環境に行けるのなら、言う事ないんですがね~
お母様はお若い頃からお嬢様育ちでお父様も御養子で気ままにお暮しだったそうですから
今、少しでもご不自由なら我慢出来ないのでしょうか、
私の大聖寺高女の同級だった友人昨年も粟津温泉で会ってきましたが、娘夫婦と楽しく暮らせて
何時も感謝してると言ってました。
私は娘夫婦と、亭主と4人で車で福井や金沢の観光に行ったのですが、友人の娘さんが宿まで
車で連れて来てくれ2年ぶりに逢瀬を楽しめたんですが、
昔嫁に来て姑にいじめられ苦労して子供を育てていました。、その姑の死に際は異常だった様です
痴呆の一種なんですが人を罵ったり大声で喚きながら亡くなった時怖かったと言ってました。
病気にも色々あり、うちのは痴呆ですが寸前の事を覚えてないのが、情けないんですが性格は
至って穏やかでこちらが怒鳴らない限り、にこやかにしています、
晩酌の時、もう半分入れてくれへんかとお酒のおかわりを要求されても心を鬼にして上げないと
諦めます、酔いつぶれるのだけ避けないと私の身が持てないんです。
孫の話ですね、私は本来子供好きではないので、孫は憎くはないけど我が子の方が優先です。
我が子が子供の事で苦労するのは可哀想なので、赤ん坊の時から出来る事はずい分協力して来ましたが
孫が可愛いからではありません。
でも祖母が孫に説教はしたことはなく、リビング出たら庭続きで
行ったり来たり出来るのでよく孫娘が猫を相手になりにやってきますと、美味しいものがあればやったり
ご飯を食べさせたりしていい祖母ぶりを見せています。
私の高校の友人は「娘ってかわいいぞ~、お前は子供がいないからかわいそうだなぁ~」って勝手に同情していましたが、
その数年後、
「娘もかわいいけど孫の可愛さったらないぞぉ~♪」と言っていました。
孫ってみなさんかわいがっていらっしゃるようですが・・・どうなんでしょうか??
今回は、何度も同じことを尋ねる母に疲れ切っていました。
しかも母のことを嫌っている妹の娘に「どこに勤めているの?詳しくどんな仕事をしているのか教えて」と聞き、いい加減にあしらわれたのを怒り狂って、孫娘にですよ、「目上の人にそんな答え方はするものじゃありません。謝りなさい」と低い声で怒りつけました。さすがに正確にきちんと返事して謝りましたが、
「○○省の児童なんとか課で××を中心に担当しています」って・・・私だって理解できない内容ですよ!
お互いに嫌っているって、夫が聞いていてもびっくりしていました。
説明してもわかっていただけないと思います。
常識的にありえないでしょうから・・・。
おかげさまで、姉妹ともにお姑さまとの関係はとてもよくしていただけました。案外これが普通の関係だったのかもしれませんね~笑。
祖母が祖父とうまくいっていなくて、鎌倉に妾宅をかまえ、夏一か月のみ本宅に戻ってきました。
家業の跡取りとして私は祖母にとりこまれた存在でした。祖父はそれをわかっていて、あまりかわいがってくれなかったような気がします。
その一人娘の母は、戦前大金持ちの家で、跡取り娘で婿取りをするということで育ちました。
東京の大学校にいったときは、祖母がばあやを雇って、祖母と母とばあやの三人で中野の貸家に4年間暮らしたそうです。
私は母が異常だと気がついていませんでした。
妹が先に気がついて教えてくれました。
「もしも男の子がいたら、お嫁さんは即刻逃げ出して離婚になってるよね」と教えてくれました。
そのころから、おかしな祖母と母だったらしいです。
大学時代に静岡から雪を見に遊びに来た友達が、「そういえば、ちょっとかわった物言いをする家だと思ったわ」と近年私が愚痴ったときに教えてくれました。
そこは母と娘との関係が普通によくいっていたお宅でしたので、びっくりなさったのだと思います。
忙しいので、ここまで。
あ、母は海軍兵学校の人と恋愛して婚約までしたのですが、婿取りの問題もあり、破談になりましたそうで、戦後男性不足の中、父と「結婚してやった」と言っています。
父の母親は、息子たちを婿にあちこち出しましたが(なにしろ男の子だけで6人!)、あちらのお母さんに問題があるから結婚を許さないといったそうで、
父が一目ぼれして、反対を押し切って結婚したそうです。
更年期障害だったと思いますが、その婚約者のお墓参りをしたいと言い張って、父も許してくれて、札幌までお墓参りしたそうです。母との婚約がダメになった後、結婚して、戦死なさったそうです。あちらのお宅は嫌な気分だったろうと思いますが、我が家で母にそんな助言をする勇気がある人間はおりませんでした。
本日はこれまで~♪
実のお母様でそんな事、驚きました。
お母さんは、家付き娘さんでお育ちもきっと乳母日傘で大きくなられ
きっと我儘に育てられたのでしょうね。
だいしょうじさんが未だ娘で居られた時、妹さんもご一緒でその頃は如何でしたの
娘がお嫁に行ってしまって寂しさからそんな風になられたのかしら、
お婿さんが気に入らないとかではないんでしょう、
今はきっとお歳を召されたからそれが酷くなってるのでしょうが、
娘の顔を見て嬉しくないなんてあるでしょうかね、
子供の時はどうでしたの、やはり、学校も高校、大学と行かれてそれなりに
母親として色々と尽くされたのではと思うのですが、何かきっかけがあったのでは、
実の親子の間でどうも理解出来ないでいます。
明日ご出発でお忙しいでしょうし、又お帰りなってゆっくりお話ししましょう。
お体にお気をつけて行ってらっしゃいね。(ρω*)ノ~マタネー
大変でしたね。祖母が認知症だったころ、そんな事件がよく起きて、私たち姉妹は結婚して家を出ていましたが、夏、実家に帰ると、よくトイレの床掃除をしていました。土壁に便を塗ったこともありました。
祖母の風呂での体洗いは、母の役目でした。
母しか引き受け手がいないというか、祖母が母しか認めなかったからです。
母はまだ60代だったと思いますが、心労で血圧が薬を服用しても下がらず、
祖母を施設に入居させなさいと、ドクターストップがかかりました。
施設入居したあとは(状況のすさまじさから、特養の順番待ちの最初に入れてくださいました)、祖母は穏やかに性格が変わりました。
いまは母が引き取り手がいないので(妹はお姑様の世話→施設入居)(私は夫の介護)、
有料老人ホームにお願いしています。
最後のころは、ののしることが多く、あまりのすさまじさに私が十二指腸潰瘍から脳梗塞になったのですが、
入居してからはまともな穏やかな性格になりました。
うちも夫婦ともに病気の後遺症というトラブルを抱えていますので、施設入居を念頭に置いています。
ご主人お若くて倒れられたのですね、
それは大変だったでしょう
でも献身的に看病されて職場復帰までとは
よく頑張られましたわ、お二人まだお若い時だから
快癒されたんでしょうね、
私はもう自分の事だけで精いっぱいです、
普通の暮らしは食事、洗濯掃除、風呂などは出来ても
下の世話はとても出来ません、
普段、2合位までのお酒なら大丈夫ですが、
私が目を離した隙にそれ以上飲んだらしく足ももつれ
助けながらベッドへ寝かせてやっと自分の時間を楽しんでて、
トイレに行った時、愕然としました。ドアの外が濡れていてスリッパ浸けてしまい、
開けると中の床にべたべたに水か小便かが溜まっていて、それから深夜にかけて
大掃除です、
彼の部屋を開け叩き起こしたらズボン履いたままベッドで、前が濡れています。
本人ケロッとして「そんな事してない」の一点張り、直前の事を忘れる痴呆ですから
言っても無駄とは知りながら、私も我慢できず怒鳴ってました。
あれから、煙草をやめるか酒をやめるかと言っても無理でして、一合までと決めて
隠しています。その夜は今後の事を思い暗澹として寝れませんでした。
私も3才しか違わない年寄りです、親でないよっと叫びたい心境でした。
胃腸の異常はなんと10代からのもので、完全に神経からきてるんです。
気にせずに食べたらどんどん太っちゃったけどw
でもスーパーのレジで突然トイレに行きたくなるとか・・・結構苦労してました。最近はスーパーのトイレの場所とかビルで勝手に使えるトイレの場所とか把握してるから、少し気楽ですけど、知らないところに行くのが恐怖です。
夫の疼痛は、いままでなってなかったのが僥倖ってくらい!とうとうきたかって気持ちです。
あまりであるかなくなって、家でも椅子から立ち上がるのに苦労しはじめたのが、薬を飲んだら楽に立てるようになったと言っていますが、まだ三日目だし、ものすごい辛抱強い人だし。
杖歩行の練習のときに、バランスを崩して杖(金属製ですよ、もちろん)を体の重みで曲げてしまったと、リハビリの先生に「こんな患者さんは初めてですよ」と感嘆された過去もあるの。
最後は車椅子かなぁ。
ケセラセラって気分はむつかしいわww
私も季節にかなり左右されて胃というよりおなかの調子が悪くなりますが
食べるのは食べるのでwwww(;´▽`A`` 病院いくのってすごくつかれますもんね・・・
人込みも同じくつかれますしね・・・神経の痛いのは歯痛とおなじで我慢できないですよね
旦那様もなんとか抑えられる方法が見つかればいいけど^^;寝ている時の頭痛をなんとかしたいと
病院で相談しても意味ないんだなと思うことが多くて病院って本当に自分の症状を見れる医者に
会えなかったら行くだけ無駄になるんじゃないかとがっかりしますよね^^;
ゆっくりして元気になりますように!もしかしたら花粉とかおなかの中でアレルギーとか?
暑くなってきて治まるかも?お大事に~!
異常に神経質だけど、
小太り(小を抜かすべき?)で笑顔を絶やさないで、不愉快な気分はおもてにださないという、実によいというべきか、困った性格なの。
人には気がついてもらえないから、ますます増長されるし・・・。
怒ったら楽になると思うけどね。
ケセラセラ は難しいのじゃろうのぉ
ペインクリニックのある病院は近いんですけど・・・かなり予約で埋まっているようです。
しかも脳神経関係の疼痛だからあまり永続的な効果がないといわれると、服薬で耐えられる程度までおさまってくれないかなって、祈っています。
東京はお金さえあれば著名な大病院がいっぱいありますけど、そこはそれ、コネってものもだいぶありそうです。救急車で運び込まれたら別ですけどね。
義母の入院した病院は、バスだと途中でほかのバスに乗り換えるので、義父は大変だったようです。
私は私鉄からバスでほかの私鉄に乗り換えて、わりと楽に行けましたが。
同級生の画家と、メールではもどかしくて、電話で長話したのが昨晩でした。
義父母はすごく優しくて気を遣ってくださったけど、それでも五月の連休と正月は義父母のところに行く習慣でした。義母が入院した時は毎日義父の食事つくりに通い、義母の病院に行き、土日は夫とともに義母の病院へ。
ただ介護はせずに済みました。夫の方が先に倒れたからw
考えると、悪いことの裏側にはいいことがあるんですよね♪
義姉が引き受けて、お金は私たち夫婦が不足分を出しました。義姉にはお礼も払いました。
その後の生活のための、援助金も貸しました。戻ってこないのは承知です。
義母の形見はいただけず、仏壇も我が家のものなのに義姉が受け取りました。
子供がいないから、あとくされがなくてよかったんです♪
あと母が亡くなったら、全部面倒なことが終わり!
でもその前にこっちが死んじゃうかもねw
胃は神経からきていると自分でも90%は診断をつけています。
実家の母の嫌味から必死に逃げ出して、でも神経質すぎる性格で、今までに十二指腸潰瘍4~5回してるしとにかく神経で起きるトラブルでまだやっていないのは難聴くらいかしら。
神経を休める薬はもうずっと服用してます。かかりつけ医が内科と神経内科だったから、気がついてくださって、処方していただけたの。
鷹揚にかまえても、常に介護ってものがあるから気を抜けないしね。
私の話がくどいとか、手をかけすぎるとか、身内に言われても、何度も同じことを言わないと相手に話が理解してもらえない(聞き取りが困難という後遺症)。片手でできるかどうか、一応全部やってみましたよ。その上で自分でやってもらっているんだけど、母は手抜きしているとかなんとか、私をののしるし。
そもそも生まれたところは、歩道と車道との区別のある街中でして、土いじりなんてしたことないし興味もない。
タクシーで行けるところに、かかりつけの病院があるってこと、スーパーなどの買い物に便利なところが条件でしたわ。私が入院したときは、夫が通えるところにある病院に入院できるってことも大事だし。
むかしは無農薬の野菜だとかなんだとかいろいろこだわっていたけど、今はそんなこと言っていたら生活できません!一応産地チェックしてるけどw
病院通いは、私も経験してる真っ最中だけど
とにかく疲れる。
待ち時間が長いのが一番の原因ですね。
解ってても、理解してる時間よりもはるかに長く感じる。
自由がないからでしょうね!
病院へは行きたいはずもないけど、悪いところが治らなければ
結局は頼る羽目になりますよね。
あとは、自分の気力も必要でしょうね。
最近しみじみ感じています。
疲れたと思わずに少し踏ん張ってみようかと
思い直している最中です。
だいしょうじさんも、ご夫婦でお具合悪そうなので大変でしょう。
でも、諦めたら終わりだから。私もだけど。。
頑張るしかないわね~。
p(´∇`)q ファイトォ~♪
痛み止めはかえって胃を荒らすし、
病院に行っても治るわけじゃないから
気持ちをゆったりと鷹揚にかまえて
身体に良い物を食べて(多少高くても産地や製法にこだわってね)
様々なハーブを料理やお茶に取り入れて
そして、できれば放射線の影響の強い首都圏を離れて暮らすこと。
健康に老後を過ごすためには、病院には近寄らず、自然に近づいて暮らすべきなんだと
この頃つくづく感じます。