「風の又三郎 1941」#2-5
- カテゴリ:日記
- 2017/03/26 21:15:56
「哲也、何をしとるんや」
声をかけたのは、加多村の村長だった。哲也の祖父でもある。哲也は三郎が学校の屋根から瞬時に降りたことを話した。
「なあ、じいちゃん。そんなことできる者がおるか」
「そやな、義経か」
「またかいな」
哲也は祖父から、この村に義経一行が立ち寄ったことがあると常々聞いていた。
「まあ、そういうな。今日は先生にうちの家宝を見てもらおうと呼びに来たのや」
「あの絵か」
「そや」
哲也がその絵を最初に見たのは、小学校に上がる時だった。紙に書かれたものではなく、牛皮か馬の皮に竹串のようなもので描かれていた。それから、何度も同じ話を聞かされた。昔、壇ノ浦の戦があった年に大きな地震があった。建礼門院(平徳子)、安徳天皇の生母が荒れた都から大原寂光院に入られた。哲也の祖先は、荷物運びの従者だった。その時、護衛として義経が同行した。そこを山賊なのか落ち武者のか不明だが、武装した集団から襲撃を受けた。その時に奮戦した祖先が、この地に落ち着いた。そこまでは、有りそうな話である。しかし、実は安徳天皇が入水せずに義経によって匿われていたというのだ。その証拠として建礼門院が書き記したという書簡が有ったのだが、それから何年か後に渡辺を名乗る武将に書簡を強奪されたらしい。哲也は祖父がその話を先生にするのかと思い、
「先生に見せてどうするんや」
そう言って首を傾げた。
「御意見を伺うのや。おまえも来るか」
哲也は首を振った。
「ええわ。清、行こか」
二人は祖父を残して走り去った。
三郎が住んでいるのは、村はずれに有る製材所の宿舎で、父の他に調査員二名が随行していた。この製材所が稼働するのは、十二月から翌年の二月。それまでは誰もいない。そこを父の勤める会社が借りた。身の周りの世話をするために鈴という名の五十過ぎの女性が雇われていた。九月の軟らかい日差しの中、鈴は割烹着姿で洗濯物を取り込んでいた。
「鈴さん、ただいま」
「おかえりやす」
鈴は手を止めて三郎を迎えた。
「ぼん、大きい手紙が来てますえ」
「はいっ」
元気良く返事をした三郎は宿舎に駆け込んだ。玄関にある下駄箱に茶色の大きな封筒が置かれていた。送り主は祖父で封筒の中身は一冊の古い本だった。「地底世界旅行」ジュール・ベルヌの地底世界の翻訳本であり、これまでに二度しか出版されていない。祖父がこれを読んでくれたのは、三郎がまだ四歳の頃で意味がよく分からなかった。しかし、挿絵に興味を持った三郎は、祖父の家に行く度にこの本を開いて見ていた。「そのうち自分で読めるようになる。そうしたらお前にやるからな」祖父は約束を守ってくれた。三郎は古文書を開くように丁重に本を開いた。今度は挿絵ではなく文字を追った。