道徳の教科書を巡って
- カテゴリ:学校
- 2017/03/24 19:53:22
来年から小学校の教科として道徳が復活するそうです。
申請段階で一社が、パン屋を営む家を物語に登場させたところ、
「国や郷土を愛する態度」を学ぶのには不適切だという検定意見が付された。
この物語はパン屋を和菓子屋に変更して検定に合格したそうです。
あまりにも腹が立ち、呆れ、悲しくなり、巡って怒りに我を忘れ、
世の道徳的なるもの全てを仮想敵として戦うテロリストを志向したくなりました。
ニーチェの思想を後生大事に抱えて生きるのは精神的幼児の証拠ですが、
こんな話を聞くと思い出さざるを得ない。道徳の不誠実さもそうだが、
パトリオティズムにまつわる全てを憎悪したくもなるのです。
考えがまとまりません。倫理、モラル、社会性、相補原理とはイディオムです。
私の住む国が道徳と認定し、志向しているものが何か、理解できないのです。
一事を以て物事を判定することは嫌いだし危険ですが、どうもそうではない。
若い方々にお伝えしたい。こうした卑しい精神で作られたものは捨ててしまえ。
ギリシャ神話でも古事記でも、ソクラテスでも論語でもコーランでも宜しい、
あなたが好きな物語を砕いて伝えてあげましょう。道徳ってそういうもんです。
私がガキの頃も、ダブルスタンダードは日常茶飯事でした。家庭と学校、文科系と体育会系など。
思春期はどうしても『真実』『正解』に拘る傾向が強くなりますが、受容する処世術も必要です。
そういう実体験を重ねていくことで、その人なりの考えに少しずつ近づいていくのかもしれません。
公共の場で教えるのですから、正しいとされることを教えるべきだと思います。
基本を知らない子供の意見を何でも聞くのは、本当の意味での自分の考えが育たないように思います。
だから、娘が、道徳の時間に先生が伝えたかったことに対して、
全面否定で自分の意見をいうことに危険も感じます。
「押し付け」ということに、拒否反応が強すぎて、先生の伝えたいことを見落としているのではないかと、
話し合ったりしています。
本当に、難しいです。
もし教える立場になったら……強制的に押し付ける、というのも一つの方法だとは思います。
しつけ同様、社会や公序良俗を理解していない「幼生」を社会成員に仕上げる仕事には、
強制や罰が伴う可能性があり、これは仕方ないことだと私は思っちゃいます。
ただしどんな場合にも「これは一つの考え方に過ぎないから、自分の答えは自分で探せ」と
付け加えるのも大切です……でも、今の若い世代は「正解・正義・絶対善」ばかり求めている。
そこを考えると、学校で道徳を教える方々の葛藤も、教えられる側の不満も理解できますね……。
とにかく教材が気に食わないようで、いつもダメだし。
授業自体も、色々意見を出し合うものの最後は、正しい考え方を押し付けられると
感じるらしく、その不満が家で爆発しています。
娘の考え方は、学校では、正解とされないかもしれませんが、
立場を変えれば、納得できるところもあり、興味深いです。
学校で、道徳を教えるのは、難しいですね。
カッとして勢いで書いたんですが、世間様の仰る道徳ってものに、私はやはり関心がないようです。
共同体に過度の幻想を持たず、期待もしていないからだと思います。非社会的存在というか。
人間増やすよりもこの国は、官軍産民一体となってサイボーグやクローンを造るほうが良さそうです。
パンがダメなのか小麦がダメなのかわかりませんが。
海外から入ってきたものはダメ、という感覚なんでしょうけど、
となればうどんはもちろん、コメも味噌も蕎麦もダメですなw
自動車産業もダメだし、紙にまつわるお仕事もダメだし・・・
道徳の授業で教えることなんてなくなりましたねw