「お別れ」が続きます
- カテゴリ:人生
- 2017/03/11 23:53:55
今朝、父の10歳年上の伯母が亡くなりました。電話で連絡があったそうです。
あんなにわたしのことを(他の従兄弟たちも)可愛がってくれた伯母ちゃんが、
もうお話もしてくれない遠い処へ行ってしまったことに対して、まだ実感が湧かないのです。
伯母は生涯独身で、若い頃は祖母や父の長兄の家族と同居していました。
職業婦人(←死語?)でしたし、資産運用の才覚もありましたので、
伯父一家の住む町の便利の良い場所に家を建て、
定年退職後は元勤め先から委託された業務を自宅でこなしながら
悠々自適の生活を送る趣味人でした。
和裁は母親(わたしの父方の祖母)から仕込まれていましたし、
洋裁学校にも通わせて貰ったそうです。
退職後は
織りを習いにいったり(伯母の自宅には高機(たかばた)があります)、染色を習いにいったり。
小鼓を習い始めたという話も聞いたことがあります。
その頃はよくお宅にお邪魔しに行っていました。
我が家から伯母の家まで片道15km程ありますので、頻繁にという訳にはいきませんでしたが、
週1で通っていた時期もあります。
さすがに身体を壊して入院したときに、もう一人暮らしは叶わないと考えたのか
グループホームに入所したのですが……。
ああいうところって、敷居が高いのですよね。
気軽に「じゃ、これから行きま~す」と電話を入れてお邪魔、という訳にはいかなくて。
連れ出せたのはお彼岸やお盆のお墓参りのときぐらいでした。
昨年また入院したときには伯父の家から連絡があり、そのときもお見舞いに行きましたが、
入院していたのはそのときだけではなかったのを知ったのは、ほんの数日前のことでした
(我が家も、一昨年秋から昨年春に掛けて父が断続的に入院していたことを
伏せていましたから、お互い様です)。
リハビリの為に入院した病院で肺炎を起こすという、高齢者によくあるお話の末に、でした。
今入院している病院で肺炎を起こしたと連絡があったのは5日前。
病室を移ったと聞いたのは4日前。
2日前にお見舞いに行けましたが、酸素マスクを付けた伯母は
既に、話し掛けても、手を握っても反応が無いほど苦しそうで。
お見舞いに来たことを、伯母が分かってくれていたならいいのですが……。
我が家は、2月中旬に19年も生きたご長寿わんこを亡くしたばかりです。
悲しいことが続きます。
とはいえ、家族といえどペットを亡くすのと、人間の親戚を亡くすのとは全く訳が違って。
今日は一日中、
喪服を出してきてサイズが合うか確認したり、
布製の黒のバッグを出してきたり、
真珠のネックレスを出して貰ったり、
ダークカラーの普段着を出してきたり、
お気に入りの黒コートの真鍮ボタンのサイズを確認して
手持ちのボタンにサイズと数の合う物がないか探して、無いという結論に達したり
(明日、手芸店が開く時間に出掛けて、黒の替えボタンを買ってこなくてはなりません。
そして、お通夜に出発するまでに12個も付け替え……)、
その間にこれからしばらく不義理をする旨をネットのお知り合いにお知らせしたり……。
お通夜は明日、葬儀は明後日ですので、
明日分のブログ記事は今夜のうちに上げておこうと思いますが、
その後はどうなるか、ちょっと判りません。
やっぱり、しばらく、お店やブログなどの巡回は途切れがちになるのではないかなと思います。
先にお詫び申し上げておきます。
因みに、上記お気に入り黒コート。
http://blog.excentrique.biz/?eid=165346
の、レディースの方です。
着画はこちら(画像直リンクはマナー違反ですが、いいページが既に存在しなくって)。
http://www.excentrique.biz/past_collection/13A/2.jpg
http://www.excentrique.biz/past_collection/13A/13.jpg
元のボタンのままでは、お通夜お葬式は無理。
一杯泣きましたし、慣れないことに疲れましたが、つつがなくお見送りを済ますことが出来ました。
お経を上げて頂いている最中、お坊様も涙声? と思ったら、花粉症ですって。
季節真っ最中ですものね。
お坊様もやっぱり肉体を纏った存在です(苦笑)。
次は、遺品整理が大変そう。
どうやら、高機はわたしが頂けるようですよ(ということは、織り用の糸の山も)。
ウサギ小屋の我が家の一体どこにそれらを収める場所があるというのでしょう……?
でも、処分してしまうのはあまりに惜しいですし。
精進落としのお膳はお持ち帰りでしたが、すっごく美味しかった~。
心身ご無理なされないように大事にお願いします。