時間は置いたんだけどね
- カテゴリ:日記
- 2017/03/11 04:31:50
しんさいでいっぱい死んだからつらいけど
ぼくは生きるときめた。
この文面を見るたび、
拳を握り締めた少年と、、その後ろに並ぶ半透明の人々
なんて云う陳腐な絵が浮かんで
目が潤んでしまうのだけれど。
親の顔が見たい、とまで言わないが
少なくとも加害少年達の親のコメントくらいは
聞いてみたい。
先日NHKで、この問題に関する番組があって、
かの少年が元気そうだったのはホッとしたけれど。
もう一つ忘れられない記事。
避難先で借りている畑の脇で休んでいた女性の話。
やってきた男性が作物を持って行こうとして、
(女性の目が気になったのか?)
「この畑は賠償金貰ってるから勝手に持ってって良いんだ」
とか言いくさったらしい。
良い訳ないじゃん><
『人間だもの』 の負の側面~
ワタシは思います。(嫌ですけどね^^;
男性の行為は許されるモノではないですが、
自分を正当化する程度の良心は残っているようですし。。
人で無いなら畑を選んだりしないでしょう。
福島のことを取り上げて深読みしています。
福島の今のこと、周囲で努力してきたひとたちの
伝えようとしているアプローチの変化とか、
おもしろいし、がんばれ〜!と、応援したくなっちゃいます。
お米の全数検査とか、過去の深読みで全数は無理と
言われてたのを、今、やっているんだそうです。すごい。
かつては、広島、長崎で被爆者たちが向き合った現実と、
同じことが起こっていると感じています。
長崎の爆心地公園の近くを流れている小さな川の底に
落ちている石、瓦に、熱線で焼かれたものが混じっていて、
それらを調べると、表面の融けたガラス質の中に、
放射性セシウムが残っているというニュースを
子供の頃に見たおぼえがあります。
それでも、その近くに人は住み続けて、生きています。
恐れ過ぎないで欲しい。正しく知って欲しいと、
願ってやみません。
育てられてきたひとたちであっても、
おなじヒトの姿したひとたちであっても、
とても人とは思えない様なことをする。
みためは区別が出来ないけれど、
中身はたぶん、人とは違うひとが居る気がします。
人の心の痛みを想像したり、慮ることが出来ない
人で無いなにか、
そういうものたちが増えてゆくとどうなるのか、
想像しただけでも怖いと思います。
つらい経験をされた人たちには、
ただ生き抜いて欲しい。希望を失って欲しく無い。
子や孫たちにつらかった体験を語って聞かせて欲しい。
と、わたしは願ってしまいます。