Nicotto Town


金田正太郎


「風の又三郎 1941」#2-1


 9月1日、新学期が始まる日の朝。照子は日記帳と学習帳を風呂敷で包んだ。日記帳には東岳の出来事について嘘ではないが、見たもの全てを記載しなかった。風の又三郎はガラスのマントで空を飛ぶ。稔は又三郎だと言い張ったが、哲也は相手にしなかった。照子も強風から目を守るために額に手を翳していたので見ていない。清は黙っていた。照子は清も見たのだろうと想像した。しかし、清は哲也に逆らわない。

哲也の関心は稔が見た何かより、ドスンという音のほうだった。音が聞こえた方向は深い森。哲也は何が落ちたのか見に行くと一人で森に向かおうとしたのだが、近づいてくる飛行機のエンジン音に歩みを止めた。それは、さっき見ていた飛行機とは明らかに速度が違う。哲也は双眼鏡でその飛行機を見た。それは練習機ではなく重爆撃機だった。哲也はそれが軍の演習であり、自分たちが見てはならないものを見たという。それで軍用機について一切見ていないと四人が口裏を合わせることになった。日記には「富士山は見えなかった」とだけ書いた。

「てるちゃ~ん」

 一年生の道子だ。いつもなら照子が迎えに行くのだが、今日は道子のほうからやって来た。

「ちょっと待って」

 風呂敷包みを掴んだ照子は表に出た。道子は風呂敷を持っていない。その代りに布製のランドセルを背負っていた。

「どうしたの」

「うん、お兄ちゃんが送ってくれた」

「そうか、良かったなあ」

 道子には一回り年が離れた兄がいる。道子とは母親が違う。道子の兄は継母とそりが合わなくて、14歳から舞鶴の缶詰工場へ働きに出た。盆と正月には必ず帰省していたのだが、今年の盆は帰らなかった。

「お兄ちゃんな、仕事が忙しいって」

「そうか、それで帰れへんから送ってくれたのやね」

 道子はランドセルを見せたくて自分からやって来たのだ。いつもなら手を繋いで学校まで行くのだが、今朝の道子はショルダーベルトに両手を掛けて歩きはじめた。

「あかいとり、ことり~」

 歩きながら道子が歌いだした。

「なぜ、なぜとんだ。やねまでとんで、あかいみをたべた」

 赤い鳥小鳥とシャボン玉の二つの歌が混ざっている。

「みっちゃん、歌が混ざってるね」

「うん、お兄ちゃんが教えてくれた。いっぺんに二つ歌えるって」

「へえ、それは良いね」

「うん」

 照子も道子と一緒に歌ってみた。

「白い鳥、小鳥、なぜなぜ飛んだ」

「やねまでとんで、しろいみをたべた」

「風、風、吹くな」

「しゃぼんだま、きえた」

 「おはようさん」

 二年生の和夫だ。照子は和夫がゆっくり歩いているのを見たことが無い。和夫は挨拶の返事を聞かずに分校の門を走って通過した。

「おはよう」

 照子の声は和夫の耳には届いていないだろう。毎朝、和夫は運動場を駆け抜ける。しかし、この日は違った。運動場の中央で止まった。職員室を見ているようだ。和夫に追いついた照子は、

「何を見てるの」

「知らん子がいる」

「えっ」

「見てくる」

 和夫は職員室に向かって走り出した。

「あああ、しょうがないな」

 和夫は小さいが脚が早い。照子では追いつけない。照子は道子に言った。

「教室に行ってよか」

「うん」

照子は道子を連れて教室に入った。





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