映画の辻褄は役者が合わせる
- カテゴリ:映画
- 2017/02/23 07:30:46
鈴木清順監督が逝去。カッコイイ爺様がまた一人、彼岸の人に。
私は清順作品のファンではないが、発言や佇まいが好きでした。
中原弓彦(小林信彦)が昔コラムで紹介したエピソードが面白かった。
「監督の映画はどこか辻褄が合わないところがありますね」というと、
「役者が下手なのです。辻褄は役者が合わせるものです」とバッサリ。
この発想は凄い。非常に古典的な演技論なのではないでしょうか。
古典能や歌舞伎、新劇、クラシック音楽にも通ずる部分があるかもしれない。
筋書き・脚本や譜面と、それを具現化する役者や演奏家を重ねてしまう。
鑑賞者の『腑に落ちる』ものに仕上げる仕事がパフォーマーだというのでしょう。
思い出した。ギャビン・ブライヤーズという作曲家をご存じでしょうか。
『タイタニックの沈没』『イエスの血は私を見捨てない』などが有名かしら。
彼、20代はデレクベイリーとフリー演っていたが、ほどなく演奏を捨てた。
後にベイリーとインタビューで語った内容がこれまた興味深い。
「即興では演奏の恍惚を超える高みには昇れない。作曲ならそれが可能だ」
乱暴に意訳するとこんな内容ですが、これ、鈴木清順と基本発想が同じかも。
パフォーマーに委託する清順とパフォーマーを信頼しないブライヤーズ、
乱暴な対置ですが、自らの創作物への揺るぎなき確信は共通している。
シロウトにもある表現衝動とは全く次元の異なる自己肯定が素晴らしい。
これまたファンの多い寺山の『田園の憂鬱』とも違ってますね。
『田園』ファンで清順も好きだという人にはあまり会ったことがない。
清順作品の質感は、トーキー初期のドイツ映画に似てる気がしますです。
この人と天本英世はどこか似ていて人柄が好きでした。世間を何とも思ってない一種の唯我独尊。
もちろんバックグラウンドにある基礎教養が高レベルだからこそ破綻してないんでしょうね。
かくありたいと思う初老男は少なくなりました。調和と協調が不要な世界もあると思うのですが。
内田百閒の世界をみごとに映像化した「ツィゴイネルワイゼン」ぐらいしか好きじゃないんですが……。
あ、いや、怪作「殺しの烙印」も好き。
日活のお偉いさんを怒らせておいて、
「お色気とバイオレンスは注文どおりいれたんですけどねぇ」と、
飄々と語る姿にしびれました。
「役者が下手なのです。辻褄は役者が合わせるものです」この発言は凄いですね。
自分の創作への懐疑のなさ、というのも突き詰めれば偉大な才能ですね。