専門古書の行く末は
- カテゴリ:日記
- 2017/02/21 07:52:00
専修大学が明日、退官する教授や講師の蔵書を無料で配る催しを開催。
段ボール120箱あるという。さてどんな人々が集まるのか、少々興味あり。
近年流行の『せどり屋』が群がるのだろうか。いやいやそれは甘い。
スマホセドラーを時々見ます。バーコード読ませて価格を見てるんですね。
こういうハイテクセドラーは来ないだろう。価値も分かるはずがないし、
だいたいデカイ本を持って帰ったり送ったりする手間も相当な筈です。
本職が来るはずもない。そんなピンポイントの専門書、場所塞ぎの不良在庫。
教授や講師も値のつきそうなものは専門店に依頼して売った後であろう。
とすると、120箱はゴミでカスなのか? いえいえトンデモないことです。
ニーズがないものの面白さってのは格別ですぞ。たとえばですね、
図書館の持出禁止コーナーの無愛想なデッカイ郷土史とか農政史とか、
統計資料なんてのも、読み始めると面白くてやめられなくなる。
戦後すぐ出版された粗悪な紙質の資料や冊子もスバラシイ。
言論の自由が保障された勢いで大変マニアックなものがゾロゾロ出ている。
『新しい職業婦人』とか『新電波法施行要綱補遺』とか、夢中で読んじゃう。
こうなるともはや骨董趣味でございます。趣味人の集いになるのではないか。
タダで配るのだから奪い合いになるかと思いきや、同好の士を見つけ、
意気投合しカップ酒呑みだして暴れたりするんじゃないかな。オモシロイ。
茶化してるようですが、こういう取り組みはイイですな。
自分に役立った書物を、まだ見ぬ誰かにできれば託したいという想い。
こういうのは合理主義文明とは無縁の、市井の『文化』ってヤツですねー。
3日間やるそうです。私はむしろ嫁入り先が見つからず最後に残る本に興味が湧きますです。
あと、参考資料として酷使され書き込みや切り取りのあるヨレヨレ本もイイですね。
そこには知を求め継承を目指した『ひと』の営み、息吹が感じられて愛しく感じます。
ある組織の理念から眺めた歴史書みたいなものも面白いですよね。右、左、学派問わず。
ウーマンリブ、同和問題、業界、海軍兵学校の教練……世界ってこうも見えるのだなと感心します。
これは情熱であり一種の狂気である。自覚なき狂気の壮大な妄想。そんな感慨も抱くのです。
実際、古書展で、戦前のニーチェの本を買ったときはエキサイトしました。
ニーズがなさげな本といえば、
日本主義の先輩から、その先輩の属している団体の団体史の本をいただいたことがあるのですが、
それがめっぽう面白かったのです。
古書趣味は行きつくところ骨董かもしれませんね。
で、ユースケ様の予想どおりスマホせどりは現れないと思います。
まだブックオフがそれほどあこぎじゃなかった時代に、
ブックオフ105円棚せどりはなかなか美味しかったのです。
合理主義文化一辺倒なんてつまらない、消尽、蕩尽ですよね。バタイユのファン的にも。