「風の又三郎 1941」#1
- カテゴリ:日記
- 2017/02/10 02:43:58
「風の又三郎 1941」
1
昭和16年8月23日、京都府愛宕(おたぎ)郡(ぐん)加多村。深緑の山々に囲まれた集落には、全校生徒6人の分校があった。夏休みなのだが、夕暮れ迫る校庭には多くの人が集まっていた。皆、家族ごとに持ち込んだ茣蓙に座っている。人々の視線は、平屋の校舎に張られた白く大きな布に集まっていた。五年生の照子は、母の隣で違う方向を見ていた。照子が見ていたのは、映写機を用意している技師が働く姿だった。照子は一度だけ、映画館に行ったことがあった。三年生の夏、京都の病院に入院する前日のことだった。病弱な彼女は、もう病院から出られないと思い込んだ。そこで、父に無理をいって新京極三条の映画館に連れていってもらった。初めて見た映画は、源氏物語を題材にしたものだった。それが源氏物語だと理解するのは、ずっと後のことだが、それより初めて見る映画に魅入られていた。ラストシーンの後、エンドロールが映し出された時、誰かが後ろでくしゃみをした。振り返ると光の帯が壁に吸い込まれていた。照子は父に聞いた。
「お父ちゃん、なにあれ」
「あそこから映画が出てるのや」
映画が出ている。どういう意味だろう。父は後で説明してやると言って照子の手を引いて映画館から出た。三条大橋まで歩いたところで、父が照子を背負ってくれた。鴨川を吹く風が心地良い。橋を渡りきるまでに照子は眠ってしまった。その夜は親戚の家で一泊。眠る前に父が映画の仕組みを教えてくれた。翌日、市電に乗って大きな病院に行った。入院したのは、たったの二日間だけだった。後で分かったのだが、治療ではなくて検査のための入院だったのだ。医師が説明してくれた検査結果は難しくて理解できない言葉ばかり。ともかく、結果を聞いた父が笑顔になったのだから大丈夫なのだろう。分校の先生が読んでくれた最後の一葉を想像したいただけに、なんとなく拍子抜け。それから今日まで映画を見ることは無かった。
技師の手が止まった。いよいよだ。カタカタと映写機が動き出した。光がスクリーンに伸びる。立ち上がった照子は手を上に伸ばして光にかざした。照子の手に映像の一部が映った。最初の映像はニュースだった。
―日本ニュース 天災に抗して食料確保~南京の移動学園―
ニュース映画が終わり、本編が始まった。「風の又三郎」宮沢賢治の名作を映像化したものだった。服装も話し方も違う転校生とそれを受け入れる小学生たちの葛藤を描いた映画は、照子や他の子供たちの心を掴んだ。又三郎が飛ぶ幻想的なシーンでは、大人たちも息を飲んで見つめていた。
動画の原作として書いたもので、まだ未完の状態。
完成するかどうか未定。これにUPしたものを1ページとして
19ページまでは書いてあります。