命 意思
- カテゴリ:30代以上
- 2017/02/02 21:00:55
今日、思考の話をしていた時、
人格というのは「癖」の塊なんだ。という話が出た。
鬱の治療なんかで、認知行動療法みたいなのがあるけれど、
これは思考の「歪み」をとる。
冷静な治療者の人だと、「歪み」という言い方は好きではない。なんて言ったりするんだけど、要は思考の「癖」を見つけて、負のスパイラルに陥るのを補正して、正のスパイラルにする。というのが認知行動療法の趣旨。
この癖というのは、過去の経験から来ている。幼少時からの経験やコンプレックスが一つ一つの癖を作っている。それが複雑に組み合わさって、思考や意思や、その総体の人格を作っていると言える。もちろん、人間の人格なんてものは、超複雑なので、一つ一つの癖に分解できないし、鬱に至るような、インパクトの強い、大きく、今後の人生に影響するような癖でない限りは補正する必要がない。
変な言い方だが、自分はこういう人格だと思っているから、そのように振る舞うし、それは赤ん坊の頃からの経験と振る舞おう、振舞ってきたという繰り返しの蓄積なのだ。
もちろん、感情や歩く、走る、話す。といった人類としてのプログラミング、DNAによる世代を超えた学習もある。基本は、分解してみれば、神経細胞に刺激を与えると、ピンと反応する。ということが、ここでは重要。
この論でさえ、もちろん僕の独自理論だし、説明の工夫がより必要かもしれないけど、実を言うと、ここまでは前段。
言いたいこと。
鉄とか砂とか「物質」というのは、時間軸に沿って、過去から未来に「ただ、そこにある。」という存在の仕方をしている。
これに対し、例えば、「魚」という生命は、目で餌を見て、その情報に基づき、それを食べ、エネルギーにする。時間軸に沿って情報を保持し、フィードバックする動作がある。
「細菌」も、目の前に栄養物質があれば、細胞内に取り込み、それをエネルギーにする。ここでも時間軸に沿って、動きを変えている。情報によるフィードバックがある。
餌を食べ、不要物を排泄し、増殖するのが基本であり、高等になるにつれて、敵から逃げ、仲間と群れを作り交流する。
「人」は、経験を記憶に変え、現状に即して行動する。それが意思だ。
生命というのは時間方向の変化であり、それはある時点での「情報」に基づいているのが特徴だ。
そこから、考えてみると、細菌も、「現在」目の前の餌が、そこにあリ続けると言うことがわかっているので、それを取り入れたり、食べようとするわけで、「未来」への情報作用がある。
多分、生命の本質は、「時間方向のフィードバック」だ。
基本はDNAと生き残りによる形質の保持と環境への適応のフィードバックで、
細菌の個体レベルでも単純な餌をとるためのフィードバックだが、動物においては、敵から逃げたり、餌を追ったりになり、さらにDNAと生き残りを介して、世代を跨いだフィードバックが行われる。それが、外から見ると「進化」と呼ばれる現象。
生命とは環境からのフィードバックを受けながら変化するシステムで、
時間軸方向の変化と保持を持つところが生命たる点なのだ。
そして、それはあらゆるスケールで「学習」を伴っている。
時間→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→
物質 変化せず
環境↑
時間→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→
生命 世代間 DNA →変異 → 生き残り → DNA保持+DNA変化→環境適用
↑ ← 環境
時間→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→
個体 餌の認識 → 食
途中に書いた 神経細胞の反応、そしてその集積である人格も、
基本は、この時間方向のフィードバックが、どのスケールにあるか、どの程度の複雑さかの違いのように見える。
とすれば、生きる。ということと、我々、人間の意思、というのは、その複雑さやスケールが異なるだけで、連続的につながっているように見る。
人類の存在や、生態系というスケールに拡大してみても、その変化は生きる・意思の延長線上にあるだけのように感じるのだ。
なんちって。
そうなんですよ。あり続ける。という意味では一緒なんです。
ただ物質のあり方というのはエントロピー拡散の方向にあり続けるわけで、ある意味、物理法則通りに、あり続ける。化合物レベルでは酸化したり、物質単体でも核分裂したりしながら、そういう意味では変化しながら、あり続ける。
生命のあり方は、エントロピー拡散ではなく肉体として集約・成長していくわけで、そこがすごい。(物質反応的には、エントロピー拡散だけど、メタレベルで、肉体構成しているので、エントロピー集約で、マクロレベルでは、死にいくから拡散。)
単細胞生物も、DNAも、親子関係や細胞増殖では、確かにコピーで、時間的に情報を保持している。群として見ると端部が変化していき、だから環境適応していくわけですが、
何か、時間に対する意識があるような、時間軸方向に進もう。というようなものを感じてしまうわけです。
超ミクロに見ると、素粒子論なんかだと、時間の観念がなくなってしまう。もう、本当にあるだけ。4次元空間を行ったり来たりしている存在。
そういう意味で、物質というのは、時間方向に対して、ただあるだけ。流されてるだけ。エントロピー拡散により薄くなって行き、壊れて行き、冷えていくだけの存在。
生命というのは、生きる。餌を見つけ、食べ排泄する。意思を持つ。
という、時間方向に対して、予測やフィードバックがある存在な気がするわけです。
そんなことを考えています。アプローチの違い。という意味で、クワトロさんの言っていることと多分、同じです。
まぁ…純粋にそこにある続けられるまで存在し続ける。
DNAは一つの個体としてはやがて死にますが、次世代を生み出せばちょっと変化したDNAが残っていく。
単細胞生物に至っては突然変異しない限り同じもののコピーを作り出し続けますね。
そう考えると物質も生命もそこにあり続けるという本質からは変わらないような気もします。
あり続ける方法へのアプローチが違うというだけで。
高等生物になるとあり続ける場所が拡大していって
人間になると地球上全体に拡大されるという感じかな。
そんなことを考えました。
感想でした~(笑)
こんばんは。コメントありがとうございます。
正解はないと思うのですが、
歪みをなくすと、素直な人になる気がしますね。
すべての歪みをなくすと、それは煩悩もなく、感じたままの人。いわゆる悟りの境地でしょう。
ブッダは全てを悟り、無我の境地に至り、全てを感じたようです。生きることも不要。とまで言ってます。
即身仏に至る人も、食欲や他の煩悩を捨て去り、雨乞いや、平和など、ただ一つの願いのみを残し、願いそのものになるわけですから、これらも、すべての歪みを無くす行為に近いと思います。
ちなみに、宗教関係者ではありませんので、あしからず。
人格について考えていたもので
歪みを全て無くしたら、どんな人になるのでしょうね?
うーん、考える事がまたひとつ増えました。