ウィンタースポーツ
- カテゴリ:スポーツ
- 2017/01/29 17:45:32
(お題消化)
好きなウィンタースポーツ・・・って
好きも何も、やったことのあるウィンタースポーツは、スキーとスケートしかありません。
スキーは小中学校の頃、学校のスキー教室とか従兄弟や友達と行ったりもしました。
・・・が、特に好きではありません。
スケートは大人になってから1~2回行き、当時の恋人と一緒にやったので楽しかったし、初めて滑った時はワクワクしました・・・
・・・が、特に好きではありません。
そもそもスポーツは、観るのも、するのも嫌いです。
Wikipediaによると、スポーツとはもともと「気晴らし、遊ぶ、楽しむ」ものだったらしいですが、近代スポーツとは「ルールに従って行われる競技・試合」だそうです。
「競技・試合」、つまり競いあい、争いあいを意味しています。
人間には闘争本能があります。
「スポーツはその闘争本能を満たし、満足し、暴力や暴言などの争いを起こさせない様にする」・・・という人が結構います。
しかし果たして本当でしょうか?
他者に怒りを覚えた時、その怒りをぶつけることが出来れば満足はするでしょう。
しかし、その結果アドレナリンは過剰分泌され、更に興奮状態となり、攻撃性が増すのが実際では無いでしょうか。
よく、「口論の末に殺傷」という事件が起こるのはその証明とも言えます。
逆に笑い飛ばした方が闘争には発展しないことが多いのではないでしょうか。
他の本能や筋肉と同様に、闘争すればするほど闘争本能が向上します。
しかし、闘争本能をそんなに向上させる必要性があるのでしょうか?
闘争本能は、人類発祥当時、強力な敵(猛獣など)から身を守る闘いをしたり、狩りなどで食糧を得る為に必要な本質でした。
しかし現在では、人間を襲ってくる猛獣は激減し、人里では滅多に猛獣に出会うことも無く、また対策もすることができます。
また牧畜を行うことで、狩りの必要性もありません。
つまり、スポーツなどによって過剰になった闘争本能の行きつく先は、対人への闘争と向かうことになります。
それは、スポーツ振興を勧める人たちの言っていることと、全く逆の結果となる訳です。
対人への闘争、それが国家によって方向性を決められた時、それは戦争へと向かいます。
国家がスポーツを奨励するのも、その為だと言って良いでしょう。
それに加えて、国家間で優勝や順位を争う国際スポーツは、ナショナリズムを高揚させ、活性化された闘争本能とナショナリズムは戦争準備と言ってもいいでしょう。
「闘争本能に根ざした様々な競争が人類を発展させた」と言う人がいます。
しかし、人類の発展は、本当に人類の有益なものなのでしょうか。
経済にしろ、科学にしろ、その発展によって戦争が引き起こされたり、戦争が激化することの方が多いし、むしろ国家にとってはそれが目的とも言えるでしょう。
勿論、医療などの様に有益な発展もありました。
しかし、医療の発展は、むしろ人を助けたいという「愛」のもたらしたものだと思います。
確かにそこには、「有名になりたい」、「社会的地位を向上させたい」、「お金持ちになりたい」という闘争本能に由来したものも存在するのでしょう。
だからと言って、闘争本能を過剰に活性化する必要はありません。
急速な人類の様々な発展は、精神の発展を伴わず、逆に人類に害悪をもたらすとも言えるでしょう。
その為、私は国ごとのメダル数を競いあう様なオリンピックが大嫌いです。
まさに、闘争本能とナショナリズムを過剰に刺激する悪だと思います。
とはいえ、身体を動かすことは悪いことだとは思いません。
身体を動かすこと自体に楽しみを覚え、他者と競い合わなければ、まさに心身の成長をもたらす良いものだと思います。
是非、近代スポーツの呪縛から解き放たれ、スポーツ本来の意味に立ち戻り、「気晴らし、遊ぶ、楽しむ」スポーツとなって欲しいものです。
近代スポーツの概念が打ち立てられて以来、スポーツは政治的に利用されるものとなりました。
お金のある国の競技者は、国や自治体の援助のもと、近代的なトレーニングや施設、用品用具などを得ています。
お金のない国の競技者は、全て自前で用意しなければなりません。
つまり、国家間のお金の有る無しが勝敗を決すると言っても良いでしょう。
勿論、遺伝的な体格差でハンデを負ったりすることもありますが、そもそも勝敗に拘らなければ関係ありません。
「スポーツマン精神にのっとり、正々堂々」と言える状況ではありませんね。
高校野球で強い高校は、全国から優秀な選手を集めますが、それに何の意味があるのでしょう。
まるで、プロ野球のスカウトマン達のための見本市なのでしょうか。
教育的意義があるとは、とでも考えられず、学校機関で行う必要もありません。
確かに、同レベルの人たちとの運動は、楽しいでしょうし、レベルアップもできますから、リトルリーグの様に別の機関で行えばいいでしょう。
いしころさんの言う通り、「出来ないことが出来るようになる」、「知らないことが分かる様になる」というのは、心身の鍛練に繋がりますし、喜びもありますので、本来のスポーツの意義に則していると思います。
それは一つの学びであり、人間の発達に必要なことだと思います。
スポーツは楽しむというより勝ち負けを競う所が嫌い
しかも 動物占いではコアラでまったりのんびりが好きな私が
スポーツなんて好きなハズもなく^^;;
インドア派でスポーツ苦手 しかも寒いの苦手と言ったら
好きなウィンタースポーツなんてあるはずもなく^^;;
スポーツ=気晴らしや楽しむもの? わ~苦痛でしかないよ^^;; 人それぞれだよね^^;;
冬はやっぱりおこたでぬくぬくが一番いいな~^^
おこたでTVみたり本読んだり寝たり←わ~ ぐうたらの典型www^^;
あたるくんは どうですか?^O^(爆)
本文に書きました様に、「スポーツ」という概念は、近代スポーツがスポーツの概念になって以来、スポーツは競い合うことを基本とし、政治的に利用されています。
実際、国家や地方自治体からスポーツ団体が援助を受けることにより、そのスポーツ団体の成績が上昇しています。
つまりスポーツの成績とは、「金(カネ)」に依存しているのであり、それは国際的貧富の差、不平等を産み出しているのです。
スポーツの本来の意味は、体育や運動という概念が引き継いでおり、それは心身を鍛練することであり、私も肯定しています。
スポーツの中には、争い自体を基本としているものがあります。
つまり、試合が前提のテニス、野球、ラグビー、サッカーなどからゲートボールに至るまで。
それ以外のランニングや水泳なども、競い合うことを動機づけとしている人も多いと思います。
教育の場である学校におけるスポーツ系部活動は、まさに競い、争い、成績という結果が重要視されているのではないでしょうか。
もとより、現在の学校教育は、国家という社会の都合の良い人材を育成することが目的となっています。
つまり、学校は政治の手段であり、本来の教育的意義はほぼ失われています。
闘争本能を動機づけとすると、アドレナリンが分泌され、充実感や達成感を得やすいのでしょう。
つまり、それは技術を含めると地上最強となった人間という生物には不必要な本能です。
その不必要な過剰な闘争心は、どこに向かうのでしょう。
それを、学校教育やマスコミによるマインドコントロールや洗脳によって国家が利用しやすくするのは容易いことでしょう。
社会性の無い人間が社会に生きることを強要され、社会を形成するこを目的とするのが教育の本質です。
つまり、現在の社会を肯定することを前提とするのでは無く、より良い社会に改変する能力を身につけることこそ教育の本来の目的と言えるでしょう。
その為に必要な教育は、読み書きそろばん+哲学なのです。
そして哲学の基本となるのが、人間を動物の一つとして生態を研究する人類学が重要なのです。
その人類学という学問が衰退させられ、民俗学と同様の文化人類学にとって変わられているのは興味深いことです。
闘争では無く、心身鍛練を目的とした本来のスポーツの動機づけをすることも教育の目的なのでしょう。
素直に誘致を推進することに関しては 喜べないし 一部の金儲けのために
国民感情をあおるものとしか思えなくなりました
国内の現状を見れば もっとやらねばいけないことが山積みになっているような気がします
オリンピックの風に浮かれていてはいけないと思うのですが。。
今迄にどれだけの税金が無駄に使われていまったかを想うと
やるせない気持ちの方が先に立ちます
スポーツは競いあい勝つことに意義があるようにとらえられているけれど
決してそうではないですよね 技術を磨く以上にお互いの親睦を深めるものとして
存在しなければいけないと思います 試合はしても 勝っても負けても笑顔で称え合う
そんな媒体であってほしいと思います 勝つことに焦点を当てると苦しいものになってしまいます
確かに 良い意味での競い合いはあってもいいと思いますけれど それが過剰になっていかないように
祈るばかりです。。といってももう遅いですけれどね~
おっしゃるように運動不足の現代人にとってはからだを動かすことは必要だし
その手段の一つとしてとらえられれば いうことなしです
もちろん試合はしてもいい 実力がどの程度か わかるし
目指す相手が居れば練習していくうえでの励みになります
私は60の手習いですが 卓球に巡り合って 今 とても楽しいです^^
からだを動かしていい汗を一杯かきます 仲間にも恵まれ 色々と教えてもらったり
相手をしてもらうことで 少しづつ打てない玉が打てるようになっていく・・
そんな過程が 本当に楽しくて嬉しくてたまらないです
なんでもそうだと思いますけれど 人でも物でもスポーツでも やはり素敵な出会いが
ちゃんと用意されているようですね なんにでも挑戦してみるものだと思います
年齢が高くなってもなが~く楽しめるスポーツは良いですね
卓球はラケットと玉さえあれば 気軽に楽しめるし お金はあまりかからないし
しあわせなスポーツです(^^)/
スポーツは自身との戦いだと思うのですよ。
だから、「国のため」とかいうオリンピックは
嫌いです。
元々の身体能力もあるのに・・・身体能力の差で
勝てないことってあると思うのです。
今、スポーツすると3日後は筋肉痛で
死にます。(冬眠状態)