Nicotto Town


てらもっちの あれもっち、これもっち


長崎での生活

長崎での二回目の生活がもう9ヶ月になる。


長崎の街の人は、やっぱり優しくて、嬉しい。

 家の近くは静かな地域で、カフェなどもないと思っていたら、少し探したら、ケーキセット600円(3種類のケーキ)のカフェとか、ケーキセット720円(自家製ケーキ+ブリュレ+クッキー2個)などお得なカフェが見つかり、一人で本を片手にウヘヘと楽しんでいる。

 去年も色々とあり、相変わらず波乱万丈な人生を生きているわけだけど、やっぱり、この人生を捨てたいとは思えず、一歩一歩丁寧に歩いていきたい。
 一歩一歩なんて言えないほど波乱万丈ではあるけれども、それでも、この人生以外にスイッチしたいなんて思わない。とにかく丁寧に、一つ一つ周りを見ながら歩いていく。

 賢さというものが、知識や情報を身につけることではなく、その奥の原理を見出すことと気づいてから、色々なことを知った。
 そして考え続けている。

最近、考えていること。

 生というものが、部分空間的に、エントロピー拡散の法則に反し、秩序を生み出していること。太陽系や星雲も、同様であること。
 そもそも生物というのは、無機物にない時間的フィードバック機構を持つこと。そのフィードバックの「方向」を、または無機物があり続ける空間以外の方向を時間と呼ぶらしいこと。



死とは何か。

我々が生を受けたことの逆転とすれば、忘却であろう。意思の喪失であろう。
我々は、どのように意思を記憶を、紡ぎ出していったか。
それを思い出し逆転できれば、「死」を理解できるはずだ。
生、そして意思の創出は、多分、単純に一つ一つの神経細胞系の反応が生まれ、集まり、最終的に音声、画像の記憶、そして言語とあいまって、我々の意識・抽象的思考群が生まれてきているはずだ。同じように死の際には、記憶がなくなり、言語能力がなくなり、無意識、非言語系思考である肉体運動系、そして生存本能に戻り、そして、その連接も失われ、個々の各神経細胞の反応に、我々は戻っていき、そして消えるのだろう。ただ死はそのスピードが早いだけだ。
 そして、我々は時間へのフィードバックを失い、ただ、そこにあり続ける、時間とともに流れる無機物となる。

 死後の未来に残るのは、周囲への影響だけであり、逆にその影響を残すのが生の役目であり、そして死の役目でもあるのだろう。

 永遠の生があれば、時計はいらず、生きる意味もないはずだから。
 進化があるから、時間制約を生み、影響をばらまくために、死は存在する。

時間とは。。。。。。。。
 あなたと私の時間は、物理的にも、直感的にも異なるはずだ。
 だから、、、この論は後に譲る。

 なぜ、未来は「無い」はずなのに、誰も経験したことがないのに、未来というものが「ある」と話すのか。なぜ「未来」という概念を我々は想像できるのか。

なんてことを、つらづら考えながら、本と漫画とコーヒーを愛し、今日も寝る。

おやすみなさい。





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