現代の独り呑み文化
- カテゴリ:日記
- 2017/01/18 09:50:36
「おひとりさま」という語に続いて「ソロ活」なる単語まで出てきました。
所属もなく、独り身でいることをSNS等で上手に演出する技術のようです。
若い世代にはそれが重要なのか。呑みに行くにも知人が欲しいらしい。
呑み歩き番組や旅番組の興隆にもかかわらず、「仲間」といたい人が多いらしい。
これが非常に不思議である。下戸の私であるが、ある程度は独りで呑みに行く。
これは二十代のころから変わらない。「袖摺りあう」ワクワクを求めるのである。
居酒屋や地元の方が集まる酒場というのがたいへんヨロシイ。
入ってカウンターのどこかに陣取り、酒とサカナをちょこっと頼む。
ニコニコ店内を見学する。主人や酌婦(古い言い方だな)と二言三言会話も。
近くで話してる方の話題に耳を傾ける。スポーツ、社会、家庭、遊びなど様々。
知らないことは何でも面白いと思うのでニコニコ耳を傾ける。目線が合えば会釈。
「な、そうだよな?」なんて振ってもらえれば、とたんに食いつくのです。
自分の話をしたくて入るのではない。他人の、未知の話題が面白い。
サカナを追加する。よかったら、と勧める。代わりに何かもらう。ポトラッチ。
いつ店を出ても誰にもとがめられない。こういう自由度が独り呑みの醍醐味だと思う。
知り合いがいないから自分を擬態する遊びもできる(あまりやらないが)。
やや快活な人間を演じる。自営業者のフリをする。独り者を演じる。
でも横浜出身であることや、個人的な好みは一定。これが私の軸かもしれない。
どんな酒場でも、こうやって話し相手を探すことができたと思う。酒呑みは話好きだ。
さてこういうのは「ソロ活」の趣旨に反するのかな? 異性との関係が前提なのかな?
自らの仮初の充実を週末ごとにブログやツイートでつぶやきたいのかな? 不明。
尤も、個人生活の充実が世間からの評価基準になる現代、若者には重要なのか。
誰とも繋がっていないことは恥なのかしら。絡んでもらわないと自己崩壊なのかしら。
うーむ。精神の脆弱、という単語を使いたくなるなー。叱られそうだが。
私が当たり前(と思う)の人間関係を構築している故の、上から目線なのだろうか。
オマエは恵まれているから、オマエは特殊だから、と非難されたら何というだろう。
むむむ……スンマセンデシター、と頭を下げて逃げるしかなかろう。難しいわ。