脳活日誌687号
- カテゴリ:日記
- 2017/01/09 12:49:34
社会制度と意識。
資本主義社会のもとで生きている。百五十年前までは江戸時代という封建社会であった。徳川慶喜が大政奉還をしたのが1867年。幕府が政権を朝廷に返してから150年が経過したことになる。公武合体により妥協政体ができるかに思えたが、武力討伐の密勅が出され、薩摩を中心とした軍勢が鳥羽伏見の戦争で勝利し、天皇を中核とした王政復古が断行された。こうした政治的流れの中で公武合体を提唱していた坂本龍馬が暗殺された。折衷案は武力に弱い。ただ言えることは、折衷による公武合体の政治体制の方が良かったかもしれないという疑問が残る。
歴史に「たら、れば」は無意味かもしれないが、明治維新後の政治体制が武力によってなされたところに明治政府の桎梏が宿されることになる。つまり、民主的な要素が政治の舞台から消えて行った。武力というのは、暴力を背景に持つことである。富国強兵で造られた軍隊組織は一種の暴力社会ということになる。戦記物を読んでいると古兵や上官が初年兵をボコボコに殴る。軍隊は、殴ることによって鍛えられるという思想である。殴られて、「ありがとうございました。」と感謝しろ。上官の命令は天皇の命令と思えである。天皇はこんなことを支持しているわけではないのに組織の人間が天皇の名を利用して平気で暴力を振るった。
こうした無能教育が軍隊内に蔓延し、憲兵が批判精神を封殺し、国民総玉砕思想が形成されたわけである。政権は誕生した時の条件を桎梏として宿命的に持つ。このことが重要である。勝った時の癖が桎梏になる。米軍の戦後支配は積年の桎梏の鎖を断ち切ることにあった。マッカーサーの役割は鎖の打破にあった。
昨夜は帰宅後、沈没してしまいましたm(_ _)m
今日は無事に復活しております。
おかげさまで、今日はお休みです。
私はやっぱり、「ペンは剣より強し」という考え方を大切にしたいと思います。
現代という社会において、軍隊の必要性は否定できませんけれど、いつか、軍隊が必要とされない世界が来ることをお祈りしたいと思います。
今は晴れていますけれど、午後、雪になるかも、っていう予報です。
私が住んでいる地域で雪になるっていうことは・・・大変なことなんです。
以前、住んでいた新潟も、すごい積雪みたいです。
とにかく、今日は全国的に雪になるかもしれないです。
くれぐれも、お気をつけくださいませ。
今日は日中もエアコンのお世話になるかもしれないです(>_<)