祝降誕祭
- カテゴリ:日記
- 2016/12/25 12:05:04
Merry Christmas!
その昔は、ヨーロッパや地中海周辺では、一日の始まりは日没がスタートでした。
なもんですから、クリスマスも、
24日の日没~25日の日没
が、クリスマスなのです。
日本では日の出が一日のスタートという意識が強いですから、
どうしても24日の夜というと、「前夜」と感じてしまうし、そう訳されます。
でも違うw
クリスマス・イヴとは「クリスマスの夕べ(夜)」であり、
前夜ではないんです。
メリー・クリスマス、と言うチャンスは従って本日の日没まで、となります。
なんか今年になってからですが、「メリー・イヴ」というわけのわからない表現を、
あちこちで見るようになりまして、
「それは誤用だよ」
と激しくつっこみたくなったので……
つっこんでみましたw
さて、間違いというのとは少し違いますが、
英米ではだいぶ前から、メリー・クリスマスという挨拶が、政治的に正しくないとされているそうです。
とくにアメリカなどは、一応キリスト教国家とカウントされたりしますが、
(事実基本的にはキリスト教文化圏ではある)
実際にはユダヤ教の人も相当数いるし、イスラム教の人もいるわけですね。
挨拶する相手がユダヤ教とかイスラム教とか、仏教徒であったりしたら、
「メリー・クリスマス」
と言うのは不適切であり、宗教的なハラスメントである、という考えなのでそうで。
だから、そのかわりとして、「ハッピー・ハラデイ(ホリデイ)」を使うのだとか。
同様の理由で、宗教的な要素を感じさせる建物が禁止されているそうです。
つまり、いわゆる教会堂的な教会堂、
シナゴーグ的なシナゴーグ、
モスク的なモスクはまかりならん。
十字架のペンダントもだめっ。
……とまで言われているのだそうで……
やりすぎだろうと思ってしまいますねえ。
いいじゃあないですか。
キリスト教の人なら、十字架を身につけてあたりまえなんだし、
メリー・クリスマスと言ってもいい。
言われた方がキリスト教でなかったら、「ハッピー・ハラデイ」で返せばいいと思うんですけどね~。
そういう、規制ばかりの社会は、つまらないと思います。
その点、文化が混淆してなんら問題なく生活していける日本は、
素晴らしいのかもしれませんw
そんな地元の小さな神社が、私は好きです。
うちのあたりには、禰宜さんが常駐していない小さな神社が多いのですが、
新年だけは禰宜さんが巡回してきて、お札も出すようです。
私は三が日は混雑を避けたくて行かないのですが……。
珈琲、上等なのを少しずつというのは幸せが長持思想な気がします。
うちも一時期は豆をミルで挽いて飲んでいました。
でもサイフォンは使った事がありません。
あれは珈琲が下から上がってくるところを見るのが、
子供の頃は大好きでした。
年末年始も、慌ただしく時を過ごしている「そら」ですw
今日は、ゆっくりとした時間に起きたあと、
幼い頃に子供神輿を担いだことがある神社へ、初詣に出掛けて来ました。
小さな神社ですが、地元では毎日多くの方々が参拝する神社です。
その後は、今年最初の新年会に突入!
帰路では神戸大丸に立ち寄りお買い物を☆
レギュラーコーヒーを、自宅でミルで挽いてサイフォンでいただきますが、
しばらく災害の影響で入手できなかったブルーマウンテンが、入手できました☆
また少しずついただきたいと思います☆
去年に新居に引っ越したばかりなので
まだまだ自宅内には、いろんなものが少なく不足している状態ですが、
少しずつ買い揃えたり、
幸せも少しずつ増えたらいいなって思っています。
自宅のエントランスにはガジュマルもやってきましたので、
いいことが増えそうな予感もしています☆
ニコタと同様に、リアルな世界も平穏で幸せな空間となる年であることを願っております。
今年も、ニコタに住む皆さんと、小さな幸せを共有できればと思っています☆
イスラム系の移民が増えたら、イスラム系のお祭りが広まるかもしれませんねw
お互いの宗教とか生活習慣とか、尊重し合えれば
トラブルも起こらないのだと思います。
毎日が色々な宗教のお祭りだったら楽しそう。
日本はとても懐が深い国なのかもしれないですねw
別に、近くに教会があろうとモスクがあろうと気にする人はいないです。
私はそういう日本が好きですw
いっそのこと、クリスマスがキリスト教のおまつりなら、他の宗教のお祭りもやって、何教の人でも一緒に楽しめばいいのにね(^_^)
何でも受け入れられる・・・と考えると、柔軟で、素晴らしいことなのかもしれませんね(^^)