Nicotto Town



子供の頃の火事のトラウマ


私が子供の頃の風の強い日に向いの家が家事になった。
子供が起きている時間だったので夕食が終わってすぐの頃だったと思う。

外に出ると風が強い事は私でも解った。

アッと言う間に火の此の帯が暗い夜空を
我が家の二階の部分の屋根の上を流れて行く。

荷物を出して居る暇はない。

其処は青春時代を戦中で暮らしていた大人達である。

二階の窓から一階の屋根の部分にまで大人がバケツリレーで
二階の屋根に向かって水をかけていた。

私は近所の叔母さんに預けられて夜空を飛んで行く
赤い火の粉を唖然と見ていた。

向の家までの間に車4車線の道路が在って
更にそれぞれ歩道が在る。

其れなのに二階の屋根より高い所を
位夜空の中を見た事の無い赤い点々の物が
帯の金箔の模様の様にすごい速さで飛んで行くので在る。

其れが突然パタッと止まって風向きが一瞬変わった。

その頃は消防車が来ていた。

そして火事は其の家の後ろの家に燃え移ったらしい。

大人達は風向きが変わったと煤を被った黒い顔と
髪の毛が焼けてちりちりになった部分と服に点々と
黒い周りの穴が開いていた。

だいぶ火元の家が鎮火して私は自分の家に戻った。

大人達はあちこちに火傷した様で白い軟膏を塗って貰っていた。

其の後に聞いた事だが、後ろの家の間に庭が在るのに
其処は大人の男の人の寮が在って
我が家に火の粉が来ている間に主な荷物は出して居て
風向きが変わった時に直ぐに其の寮の屋根に火が付いたそうだ。
平屋の寮の屋根に火が移った時は其れ以上の延焼を防ぐために
壊せるだけ柱を壊して家を低くしていたそうだ。

其の寮は結局燃えたけど、低くしていたので
消防署の水もかけやすかったのとそれ以上の延焼を
其処で食い止めたので其の家の後ろの人達は
手を合わせて感謝したそうだ。

バケツリレーも此れも戦中に訓練していたのか、
大人達は凄いと子供ながらに思った。

更に驚いた事に其の火元の家の隣の家は
お金持ちの二階建ての家だったのだが
外壁が木で無くて土壁?漆喰?良く解らないが
煤が付いただけで延焼はしなかった。

此の体験で風の強い時の火事は恐いと言う記憶がある。

其の寮の人達は近所では長い事
英雄だった。

其処で食い止めなかったら後ろにどれだけ広がっていたのか
解らないと大人達は言っていた。

でも、此れだけの広い道路を飛び越えて
二階の屋根の上を火の粉が流れて行くというのを
其の後の見た事が無いが其れまでの縦横に広がる火事と
全く違う何か別の世界の恐怖で
決してきれいとは思わなかった。
只々驚いて怖かった。

長い事生きて来た大人達の知恵がバケツリレーで屋根に水をかけると
言う事と、もともと古い平屋の寮だったのだが、
屋根に火が付いたと思ったら壊せる柱を壊して
低くして消防車の水を被りやすくして延焼を防いだのか
兎に角其処で延焼を食い止めた。

其の寮は後ろの家々から見舞金が来て
其れ以外の保険も入っていて
二階建ての立派な寮になった。

兎に角大人は凄いと言う印象とあの夜空を流れて行った
赤い無数の点点々の光景は忘れない。

戦中時代の人達の危機管理の訓練が行かされたのだろうけど。
其れと火元の家の隣のお金持ちさんの家が壁が木じゃ無くて
違っていたので何でも無かったのが驚きで在った。


ドイツのテロと言うよりもEU全体にテロリストが大勢入り込んで
自由に行き来して行動を取っている事をBBCは其れを警察が
把握していても捕まえられない法律の限界をイライラした口調で
行って居た。

テロに屈しないと言っても限界の様に疲れ切った人々の
インタビューに答える姿がある。

右系の党が今度のテロを利用すると言うよりも
メルケルと同じ党の中から難民政策に対する
メルケル批判が出ている事を言っていた。

やはり国境のチェックは必要ではないだろうかと思うし
其々の国家の機密や警察のやり方が在るので
連携は難しそうである。

かといってどこかに広大な難民地区を作るのだろうか?

パレスティナの二の舞の様に何十年もまるで飼われて居る様な
生活にさせて其の中で働かないで食料を貰って
何世代も暮らさせるのだろうか?

そして貧しさをアピールして国連やその他からの何十年もの
補助金を独り占めしたアラファト議長の膨大な金額のお金が
複雑に行方を追跡できない状態になっている。

パレスティナの人達のインタビューで此処に居る限りは
食べるのに困らないので移る気はないと老婆が言う。

たまには海水浴に行きたい。
もっと自由に外と行き来したい。
と、欲求は色々あるが働かないで食べて行けるので
移らないとの事。

動物園の動物が自分でえさを取っていた時の事を考えると
今の方が楽で幸せと答えられた様な気分で
一度そう言う生活をすると自活できなくなるのに
似ている。

日本のマスコミが報道しない海外のジャーナリストの
報道を複雑な気持ちで聞いて居た。

欧州も昔の低賃金労働者を得る為に
低賃金労働者として組織的に入れていたのと違う。

彼らに与えられた福祉政策が同じ様に何世代も
働かない家族を作っている。

新天地を求めて開拓して生きる為に入って来た人達と
違うのだ。

明らかに今より良い生活を得る為に働かないで
子供に学校に行かせる為に入って来る母子家庭も在る。

事前に調べて入って来ているのだ。

其処に命の保証が無いので逃げて来た事情と違う人達がいる。

総てをひとくくりに出来ないが其れを別ける事を逃れる
紙への提出の仕方も彼らは知っている。

其れが本当かどうかも調べる手段が無い事も彼らは知っている。

此のままだとどうなって行くのだろう。

欧州はもう一敗なので今度はトルコからアゼルバイジャン、タジキスタンと
今資源が出て豊かな国になっている所へ低賃金労働者として
流れて行くのだろうか?





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2016/12/24 20:21
かねた一郎様
其れしか書けない貴方が可哀そうです。
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2016/12/24 20:19
ゲンキ様
当時の日本人はまだ何か違っていた様に思います。
若い男の人も含めて大人もいざとなった時の連携の行動の凄さがありました。

唯お婆ちゃんの言葉は今も覚えています。
大切な物を黒い鞄に入れると座り込んで「いざとなったらこのかばんを持って逃げなさい。
私は残るよ。この家と共に燃えていくよ・・・。」
今ならお前は船長のつもりか!と突っ込みの入れる所ですが。
当時は私は近所の叔母さんに預けられて安全な所へ。

で、大人達はバケツリレーで屋根に上っている人も。

「お婆ちゃんは?お婆ちゃんは?」と必死になって聞くと
母が「ほっときなさい。いざとなったら○○さん(近所で戦争帰りの屈強なおじさん)に
負ぶって貰うから」と。
多分説得して外に連れ出す暇は無かったのでしょう。
其の後、母の髪の毛の一部が全体に白髪になってました。

全部が怖い思い出です。
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2016/12/24 20:05
ラム様
ラム様も良いクリスマスをお過ごしください♪
Merry Christmas *。 ・ ゚ ・ :* : ・
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2016/12/24 18:59
一行目!
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2016/12/24 15:18
(変換ミス・訂正)
出来ないあること→であること
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2016/12/24 15:16
こんにちは。

対岸の火事ではないです。
(道路どころか)海を隔てた外国のこと、なんて思ってるとエライ目に遭います。
危機は管理出来ないけれど、危機に対する備えと対応が不安です。
我が国は、他国に自らの生存さえ依存する国(日本国憲法前文)出来ないあること、
どれほどの日本人が自覚(覚悟)してるでしょう。

飼いならされた日本人でも、
それでも、有事には奮起できると…
それでも、日本の底力を信じたいです!

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2016/12/24 13:43
Merry Christmas!今週もありがとう♪
クリスマスの祝福を祈ります。よいクリスマスを!



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