示唆と刺激に富むブログへの真摯なる感謝
- カテゴリ:日記
- 2016/12/15 12:11:24
他の方のブログをチラチラ眺める。ネット界を渉猟するより楽しい気がする。
私は多様性を愛し、相反する思考を興味深く眺め、争わず認知しあう緩やかな繋がり、
いや、繋がりというよりも『敬意を持って 佇みあう』ことを理想だと思っております。
なんでしょう。真摯な想いや独語ってのは独特の質感がある気がする。
そういうものに出会うと叱咤され鼓舞される。それは知的活動ではなく、魂の共鳴かも。
ここ数日でも2つ出会った。お名前は出しません。援用と誤読はいつも通りご寛恕下さい。
核や軍事力への断固たる拒絶を呼びかける方がいらっしゃった。
私はそうしたムーブメントに参加したいと思わず、おそらく共感も抱いていない。
ですが。ただの理想だと自嘲しながらも書かざるを得ないその方の真摯さは尊いと思う。
知人には311以降、デモに参加するようになったものが複数います。
私が彼らと袂を分かった、または彼らに切り捨てられたのですが、その理由は、
デカイ事件に仮託して鬼の首を狩りにいくような脊髄反射的行動がイヤだったから。
わー、この言い方だけでお叱りの山ができそうだ。スンマセン言い直します。
大衆迎合的社会正義が大手を振ってのし歩く現在、モノスゴーク大切なのはですね、
ミナサマの敵にも血と肉があり、試行錯誤と苦悶と妥協を重ねてきたことを忘れないで、ということ。
こんな私にプリミティブな理想論がぶつけられたとする。たぶん私は動じない。
だけど、その方たちの夢である永久平和や核廃絶を論理的に否定なんかしたくない。
並行世界では既に実現してるかもしれない。私は大いなる誤謬として生を送ってもよい。
もう一つ。ある書の味わいの一つに、旧漢字を挙げている方がいらっしゃる。
「むずかしいことを わかりやすく」といったフヌケタ発想の対極がそこにある。
文字言語、特に表意文字の深遠さはデジタル全盛の現代人にも首肯できるはず。
難解な、実は奥深い一語を安易に換言したため失われたモノは大きい。
経済原理に基づく各種合理化で行きわたった言語節約平明化は現代病の一つである。
提案書はA4で1枚、筆者の主張を200字で要約……こういうのは知性ではない。
大海に零れる蚤の涙、という表現は何に出てきたか忘れてしまいましたが、
熟読、精読、遅読、味読する姿勢は文字言語に留まらず、万物に適用したい。
蚤だって、脳内に思い描くことすらできない大海の姿を畏怖して頭を垂れたはずだ。
テクニカルタームが分水嶺から知性障壁へと誤読されたことが問題の本質かもしれぬ。
知性の衰退にさりげなく警鐘を鳴らす姿勢には、真摯な本質的人間愛を感じる。
思想も嗜好も異なる方なのかもしれない。だが私には有り難い文章でありました。
はー、またも散らかり過ぎた。「面白かったです」と書けばいいものを、
痴性と狂養を発揮して自分好みに仕上げようとするからこーなっちゃうのです。
『スキゾ・エクレクティズム(分裂症的折衷主義)』という語は私のためにあるのかも。