還る
- カテゴリ:家庭
- 2016/12/12 09:47:32
12月11日18時30頃だった様です。
最後は意識もはっきりして無くて、
苦しいとも思わなかったんじゃないかと思います。
雨の日の言葉が、わたしには最後となりました。
葬儀は仏式でも無く、神道寄りだけれど、
神主さんを呼んでやることもしないらしいです。
借金は無さそうだけれど、
あったお金は使い切ってるみたい(苦笑)
母は文句ばっかり、兄は困ってる風でした、
母の話によれば、わたしの訪問を父は、
兄が来たと言ってたそうです。
脳出血で倒れた時点でもそうだったけれど、
そういう見分けを付ける側頭葉の機能が、
大きく損なわれていたんでしょう。
それでも、あの日、時間が掛かったけれど、
わたしの名を呼んでくれたことで、
いろんなものが帳消しになった気がしました。
身長は低かったけれど、身体の丈夫な人で、
運動はなんでも出来るし、人当たりも良かったけれど、
母との仲はどうしてこうも悪かったのか、不思議でした。
子供の頃は、母寄りに考えていましたけれど、
今はもう少し客観的に見てられるかな?
子供の頃は、夫婦喧嘩の度に、別れないで欲しいと、
願っていたけれど、今は、むしろ、別れた方が
良かったんじゃないかとか、思ったりもするんだけれど、
…悪口言いながらでも、それでも、
母は父を愛していたのかも知れません。
神道では、亡くなった人は、家族の守り神になるんだそうです。
そのために、家の神棚の御神体に魂を移す儀式があるそうですが、
それも今回やらないそうですから、自然の中へ還って行くのでしょう。
母の時は、母方の家の仏式になるのかなぁ…
ありがとうー
くやむべきはたばこを止めなかったことくらい。
そうなるとわかっていてやめられなかったんだし、
残されたわたしたちにくやむところはないかも知れません。
それに、神道では、
なくなると家族の守り神になるそうだから、
はんぶんおいわいみたいなものかも?
格が人から神様へ上がるんだものね。
でも、なんの神様なのかなぁ〜?(笑)
あたたかくてとてもうれしいです。
ありがとうございます。
今日、12月13日のお昼前に、
火葬が終わり、骨をひろって来ました。
手足の先は影もカタチも無いんですが、
大きくカタイ骨は、原型を留めていて、
ほんとうに頑強な身体だったんだなーと、思いました。
ほら、硬いよ、と、母に見せてから骨壷へ入れました。
大きめの骨壷が満杯になるくらい、
昨晩から降っている冷たい雨に混じって、
そのほかのものは、きっと、山と海へ還っていったのでしょう。
やがて、母も、兄も、わたしも、
拠り所の分類に入っていて
そこで後から混同が起こっちゃったんだと思うよ
名前を呼んでくれたときは
ちゃんとマーヤだとわかっていたはず
このごろ私も脳が弱ってきて
夢の中などでそんな混同が起こるのでよくわかる
きっと自然の中に還って
陽の光に混じって
マーヤを照らしてくれるよ
お父様とうとう空の彼方へいらしたのですね。
旅立ちの前に時間を作ってお会いになられたのは本当によかったと思う。
子の思いと親それぞれの思いは同じ方向を見てないことも多く。
それでも今・当時を振り返ると理解可能ないくつかもありそう。
見送る方法はその家それぞれ。
でもね?お父様はnekoyamaさんの心にずっと住んでいらっしゃる^^
たまにでも横にいるような感覚で過ごされたら?
それもご自身の心を穏やかにしてくれると思いますよ~♪
私個人は実父との親子関係を家裁(!!!)で絶ってしまって。
父系の墓参すら行っていません。
いつか許せる時が来ればいいのでしょうね。
けどまだまだ来そうにない(苦笑)
お気持ちよくわかります
とりあえず勢いで忙しく物事片付けちゃう方が
いいという気がします
たくさん考えたのですけど、、、これだけでごめんなさい。
認識は少々ズレてしまうけれど、
来てもらえたという嬉しい気持ちは変わらないものだと思うよ。
うちの旦那は実母との確執があって、
今も許せてはいないというけれど、
その死に自分のできる限りで寄り添ってみて、
溶けていったものはあるように見える。
今年はたくさんの命を見送った。
泊めてもらったことがある友達のお母さん、
不思議と縁の切れない方のお父さんなど、
いつにも増してお別れの多い年だった。
静かに、今年を見送ろう。
マーヤちゃんや私たち、世界のこれからを見守ってもらえるよう、
私からもお祈りいたします。