Nicotto Town



自作小説倶楽部11月投稿

『微笑の絵』

「灰田氏はどちらですか」
屋敷の玄関を出たところで藍子はふいに現れた刑事にひやりとした。喪服のような黒のスーツなのに顔には絶えず笑みを浮かべている。それでいて目は笑っていない。昨日初めて会った時から不気味な印象を持っている。
「書斎だと思います」
「失礼ですが、どちらにお出かけですか」
「ちょっと外回りです。悪戯のおかげで通常の仕事が滞っていますから]
すぐにでも刑事を振り切って走り出したい衝動を覚えたが、刑事はついて来た。藍子は右手の大きなバッグを肩に掛けなおす。
「灰田に用があったのではないですか? 」 
「あるにはあるんですが、まずあなたにお伺いしたいことがあるんです。あなたは学芸員の資格も持っているだけでなくアメリカの大学で犯罪学も学ばれたとか。今回一番活躍した方だ。どうして個人秘書になったんですか。日本の警察もあなたのような優秀な人材だったら喜んでスカウトしますよ」
「あくまで<偶然>役にたっただけですわ。灰田は若いけど優秀な経営者です。秘書になったのはやりたいことがあった方です。あくまでプライベートですが。どうして私の経歴なんか知っているのですか」
「すいません。仕事柄、事件の人間関係が気になるんです。何せ専門が殺人なので」 
(殺人)という言葉が棘になって心に刺さる。
「あ、でも警察はこの事件を軽視したわけではありません。僕は優秀な刑事なので。ところで今回の事件であなたは初めてあの絵を見たんですか」 
藍子は上の空で肯定する。 
灰田氏の屋敷に〈氏が所蔵している絵画『緑の少女』をいただく〉と投書があったのは一週間前だ。藍子はその時、灰田の祖父が残した財産目録を整理していた。遅々として進まず終わりの見えない仕事から解放されて喜んだのもつかの間。狂気の天才と呼ばれる画家が残した最後の傑作を扱うことに感動し、同時に神経をすり減らした。
誰もが悪戯だろうと思ったものの、小品ながら数百万円の価値がある絵の窃盗予告を警察に通報しないわけにはいかなかった。
「あの絵をどう思いますか? 」
「すばらしい傑作です。筆も冴えわたって。暗い絵の多い画家なのですが、珍しく明るい絵で、新境地だったのに彼が失踪したことが残念でなりません。当時の画壇から半ば追放されていたけれど、あの絵が生前に世に出ていれば評価も変わったでしょう」
「文化的なことはわかりません。僕は小学生の時、絵を習った先生に『どうしてかわからないが君の絵は不気味だ。嫌な気分になる。将来は芸術には携わらないでくれ』ってお願いされたくらいだからね。興味があるのはあの絵がどういう状況で、どういう精神状態で描かれたかっていうことを、どうあなたが想像しているかということ」
「画家は妻子を捨てて失踪して、」
言葉はつっかえて出てこなかった。本当のことは言えない。何度も想像した暗い地下室と画家の狂気。画家は監禁されて絵を描き続けたのだ。
「ちょっと怖いことを想像してるでしょう。あなたの良くない想像が本当だとしたら画家はどうしてあんな幸そうに微笑む少女の絵を描けたのでしょう」
「あの絵は娘への贈り物です。失踪する前に画家は娘に『お前を描いてやる』と約束したのよ」
「そのことについて昨晩、灰田氏に教えてもらいました。いつの間にか亡くなったお爺さんのお屋敷に奇妙な男が居候していて、絵を描いていたそうです。記憶を照合してみるとそれは失踪した画家だったらしい」 
「本当ですか?! 」
「ええ、何日も機嫌よく絵を描いているかと思ったら、狂気の発作で暴れたり、鬱になってふさぎこんだり。一応精神科の医者も出入りしていたそうです」
「それならどうして、画家を失踪したままにしておくのよ。『緑の少女』制作年だって嘘をついてるわ」
「それはやはり、隠れたパトロンの灰田氏の祖父が真相を隠さねばならないような死に方をしてしまったせいですね。どういうわけか死亡届は出ずじまい。灰田氏も詳しいことは知らないようですが、死ぬ23年前は鬱がひどくて自分から地下室に閉じこもって、誰にも会おうとしなかったらしい。」 
「灰田の祖父は画家に描かせた絵を売って大儲けしたわ」
「儲けたお金は画家の妻子にこっそり送金したんだよ。まだ評価される前だから大した金にはなっていない。不審に思われないように少額ずつ小分けにしてね。貧しくても何とかやっていけたのもそのせいさ。あなたはその生活をよく知っているだろう」 
少しでも屋敷から遠ざかろうとしていた藍子の足はいつの間にか動かなくなっていた。頭が真っ白になって立ち尽くす。
「もしそうなら、」やっとのことで声を絞り出す。「灰田を、彼を助けて」
仕返しをしてやったのだという気持ちは霧散していた。
「大丈夫だよ。灰田氏は今頃僕の部下に地下室から助け出されている」
心なしか刑事の声は穏やかだった。
「あなたの正体は昨日のうちに明らかになっていたんだ。灰田氏もうすうす気が付いていた。ずっと、失踪した画家、父親を捜していたんだね。灰田氏の秘書として働くうちに父親が灰田氏の屋敷の地下で死んだと確信した。金庫の中にあった『緑の少女』を取り出させるために予告状を出した。おっと、窃盗罪も、多分監禁罪も成立しないよ。灰田氏はあなたが絵を持ち出すことを見て見ぬふりをしていたからね。理由はどうあれ祖父があなたのお父さんの死に深く関与したことに罪悪感を持って、どうやってあなたに絵を返せばいいのかわからなかったんだ。ここからは刑事じゃなくて個人的にアドバイスさせてもらうけど、屋敷に引き返して灰田氏に会うべきだよ。いつまでも絵の中の女の子の幸せをなくさないためにもね」 
藍子は肩にあったバッグをそっと抱きしめた。 

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2016/12/07 14:22
大事になるまえに解決。
刑事さんの気遣いがすばらしいです。
事件ものだと、とりかえしのつかない状態になってから
真相がわかる、なんともやるせない……という展開が多い中、
罪にならないでハピエンで終わるというのがとても好みでした^^
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2016/12/07 02:01
結び目をほぐすような展開
楽しませていただきました^^
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2016/12/07 00:19
それぞれが感情の出口を求めてたんですね。
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2016/12/05 15:07
藍子さんの動機がはっきりしていて、なるほど、ここでつながるのかと感心しました。
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2016/12/01 21:23
刑事さんのさりげない推理が素敵^^
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2016/12/01 19:50
ヒューマンでサスペンスな楽しめる展開でした
常連閲覧者の皆様もお喜びになることでしょう



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