脳活日誌648号
- カテゴリ:日記
- 2016/11/29 17:46:43
今日は父親の命日。
父親は1944年(昭和19年)9月19日に召集され、中国の武昌で翌年の1945年(昭和20年)の11月29日に戦病死した。毎年、この日には護国神社へ参拝している。父は耳が聞こえにくかったので本当に苦難の晩年としか言いようがない。享年31歳の若さで死んだことになる。敗戦が濃厚になっているのに耳の聞こえにくかった父まで招集した当時の軍部の考え方に疑問を持っている。
敗戦後、七十数年経過した現代、自衛隊をアフリカに派兵して戦死者が出たならば、その家族の悲嘆を考えると悲劇となろう。戦争はするべきでない。悲劇は繰り返さない。この精神が大切であるが、戦争経験のない人達が戦争を軽視する風潮があることを憂う。戦争は人と人の殺し合いである。駆けつけ警護とは戦争への加担である。危険を感じたら、銃を発射してもいいらしいが、銃弾の先に人間がいることを忘れてはならない。銃弾に正義の玉とか悪の玉の区別はない。銃弾は物理現象で目標に向かって飛んでいく。
無謀な銃弾は殺戮でしかない。銃弾の先に平和はない。打ち方が銃を放棄して平和の一歩が始まる。平和を作るのは銃ではない。平和を求める精神が平和を作り出すのである。何度も言うが、平和への精神が大切である。平和への精神のない者には平和は永遠に訪れない。力で争って得た勢力は再び戦争へ向かっていく。武力による小康状態では平和はやってこない。平和は精神である。精神のない処に平和はない。暴力はどこまで行っても暴力でしかない。暴力から平和は生まれない。大切なのは平和への精神である。
そうだったんですね・・・
私の父はもう1世代したかもしれませんけれど、小学生のときは「予科練に入ろう」と思っていたと聞かされたことがあります。
戦争は何も生みません。
生み出すとすれば、悲しみと憎しみだけ。
明日から12月ですね。
師走なんていいますけれど、ホントに走ってるような感じです(^^;)
(師走の語源は諸説あって、走るのはお坊さまという説が有力らしいですけれど。)
今日は10時半ごろに植木屋さんが来て、お庭の剪定をしていただく予定です。
晴れてよかったです。
4時過ぎに終わる予定です(^^)v
5時前に、またもお勉強会に行ってきます。
今日のテーマは「感染防止」。・・・(^^;)
なんだか本当に慌ただしいです(>_<)
ちょっと早めに出て、温かいコーヒー飲んでいこうかしら(*^^*)
でも、商店街にあったド○ールコーヒー、閉店しちゃったんですよね~。
お客さん、そこそこ入ってたと思ったのに・・・???
両親が好きで、お供えしてあった苺大福。
見たら、賞味期限が今日?!
・・・朝食兼ねていただいちゃいます~(笑)
いっそ、偉い人なら、白川、黒田日銀総裁くらいすごければ。
親株、住金の単なる、営業マンでした。 単身赴任で、良く知らない。。。病死だ。