Nicotto Town


‘いつもありがとう’


時間


人が亡くなるような事件や、各ジャンルで活躍されていた方々が、他界されるニュースを、日々見聞きすると、
人は必ず『死』で終わるという現実を、真正面から突き付けられる。随分前に、父、そして母の
順番で看取り、身近な人の死に触れたのは、私が大人になってからだった。だから、ソレまでは、
自分の親って、死なないんだ~的な、根拠のナイ楽観的確信で、生きてきた様な気がする。

両親がこの世からいなくなって、随分経つので、当時の衝撃的な喪失感とショックは、時間薬のお陰で
徐々に穏やかな記憶に変換し、今こうして普通に毎日暮らせる。でも、気が付けば今度は、
自分と周囲が、確実に年齢を重ね、(ツギハイツダレガ?)~少しずつ、心構えも必要だナと最近思う。

平幹二朗サン、肝付兼太サン、、いずれも80代で、義母とほぼ同じ。田部井淳子サン77歳、、義父と同い年。

身体はピンピンしている義母だが、記憶力の低下は年相応~逆に体が不自由でも諸手続き等、頭を使う
作業は、ほぼ担ってきた、義父の入院に伴い、代行する義母をサポートするダンナ。が、何度丁寧に説明し、
役所等に提出する際、口頭説明しなくてイイよう、紙に書いて持っていくよう、義母に渡しても、
無くなった、捨てちゃったetc、、ケロッと連絡が来るので、電話口でキレて口論多々である。ヾ(ーー )

新しい病気が見つかり、施設退所で病院に入っている義父も、ドクターからは、いつ何があっても、、
と、ダンナが説明を受けている。先週、直接顔見て、少し安心したが、複数疾患で症状は重篤、、
離れて住んでいるからこそ、何かにつけ義父母の事が脳裏に浮かぶ。何かアレばすぐアクションを
起こせる様に、何をしていても、携帯の着信が鳴ると、確認するのは、母の闘病中と同じである。

どこで寿命を終えるのか、分からないから、人は笑顔で生きられるんだと思う。母が亡くなった時、
友人の1人に、「(親が他界して)泣けるのって羨ましい。誰もが、そう思える訳じゃナイ。」
涙を潤ませながら言われたコトバが、ずっと残っている。血縁だから、必ず失った事を悲しめる
家族関係ばかりじゃナイって事を、改めて実感する。私は、自分と関わった人は、失いたくナイ、、

そう思える人生を歩めてきた今を、幸せに思う。限られた時間だから、大切に過ごしていきたい。


♪㊳Triangle♪

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2016/10/25 16:39
★ナッティさん

こんばんは^^

有難う~~積み重ねてきた人生。つみ重ねてきた時間は、
自分を裏切らないって、思っています。ヾ(*ゝω・*)ノ

お互いに、ココまで歩いてきた自分を信じて、コレからも笑顔でいきましょうネ(^^♪
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2016/10/25 16:37
★エッタしゃん

こんにちは^^

時間薬、、特に、母が他界した時、どうにも収まらない気持ちが
あちこち漂って、、一時期、残されて生きていく感覚?に陥り、
かなり取り乱していました。色々一段落して、家で普通に家事していても、
何もないのに、突然ドドーッと涙が止まらなかったり~そんな時、知人から、
「3年はね、、まだ無理だと思う。時間が経ったら、必ず落ち着くから。。」と、
言葉をかけてもらい、焦らないでゆっくり待とうと、、そしたら3回忌過ぎた頃から、
法事で集まっても、皆しんみりしなくなったんです。母を囲む感覚と、皆が今も
元気で良かったね~お父さん、お母さん、見守っていてくれるかな?って、、^^ゞ

だから、時間は私にとっては、(味方)だと思っています。=*^-^*=

>自身に嬉しいことがあった時、周りに妬まれたり、
悲しいことがあった時、周りに喜ばれたり、

こんな↑悲しい生き方ってナイですよね。。。多少のズレはあっても、同じ方向性で
周囲と感情を添わせていきたい。私も、一生懸命生きていきたいです。(*'ω'*)
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2016/10/25 16:31
★はみちゃん

こんにちは^^

はみちゃんのご両親、そうなんだ~。。実は、ダンナの母方が兄弟多くてね。。
今は、大分亡くなられて(男性は既に全員)、少なくなったけれど、最近も、
次々、、で、義実家埼玉~義母の故郷福島 まで、運転手だった義父が倒れてから、
子供達が代わりするしかなくてね、、最近は、ダンナの車持参の同行が増えました。

私は、諸事情で、途中から親族とは縁を切ったようなモンだから、そういうのは
ないんだけど、その分、傍で見ていて、大変だなァと思う。。血縁の死は、
同世代の親御さんから見れば、辛いものがあるよね。。誰もが通る道なんだろうけどね。(*_*;

生まれる時は泣いて、死ぬ時は笑って~か、、長引かず、できれば自宅で。。もしコレが
できたら、その人は本当に幸せな最期だと思う。皆ソレが理想なんだけどね、、コレばかりは、
どうなるか分からないから、せめて周囲へ迷惑をかけないようにって、準備するしかないよね。(*_ _)

重たいテーマにコメント頂いてありがとう。(。-人-。)
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2016/10/25 16:25
★ラムネさん

こんにちは^^

ラムネさんも、ご両親を亡くされているのでしょうか、、実は私も、
父の時は、危篤と言われて、飛んで出たものの、東京駅で病院に連絡したら、
亡くなったと聞き、、死に目には会えませんでした。なので、母の時は、
絶対に、、と思っていました。亡くなる数日前、弟から危ないと聞かされ、
当時、上の子が丁度学校行事の芋ほりがあったのですが、直感的にいかなきゃと思い、
本人説得して、半べそ状態で学校休ませ、義実家に預けて、自分は母の元へ行きました。

結局、その直後に急変したので、虫の知らせとでもいいましょうか、、他界したのが
11月だったので、しばらくは、クリスマスのイルミネーションを見るのが辛かったり、翌年に、
母の日の案内を見たくなかったり、、ナンダカンダ、父より母を失ったショックの方が大きかったです。><

人は確実に年を重ね、心身共に老いていく、、順番なんでしょうけれどね、、自分も徐々に、
その(番)が近づいてきているんだなァ~と、最近は思うようになりました。^^ゞ

妻より夫が先に逝く方が、後が安心っていいますね。ウチがまさにそうで、、父が先に亡くなり、
母が残りましたが、父を看取るまでの重責から解放されたのもあったのか、思った以上に
元気になり、法事でお坊さんが来られると、「庭がキレイに手入れされている。お元気そうですね。」
とよく言われました。もし逆だったら、、とてもじゃないですが、父1人じゃ暮らせなかったかもです。^^;

地域密着&生活面に問題ない女性は、経済面さえ安定すれば、1人で立ちあがりやすいんでしょうね。
でも、仰るように、ご近所さんの存在ありきでした。母も一人暮らしになっても、近所の友人の方を
招いたり、お喋りしたり出かけたり、、そんな機会を多々持って、暮らせてきたんだと思います。
母が亡くなり、実家が無人になった後は、母の残してくれたご近所交流のお陰で、協力して頂き、
今も実家を何とか維持できています。生きている内に何を残したか、、いなくなって分かる事が多いですネ。
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2016/10/25 14:19
積み重ねてきた人生。
ちゃんと生きてきたからこそ 今があるね(*'ω'*)
これからも ステキな人生を♪♪♪
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2016/10/25 12:01
こんにちは~(❀╹◡╹)ノ゙

時間薬ですか・・・確かに時間でしか治らない傷は沢山ありますね^^
これから私の周りの身近で大切な人も、亡くなっていくのかな・・・(´・ω・`)

人生で積み重ねるのも時間。
全ての人に平等なのも時間。

自身に嬉しいことがあった時、周りに妬まれたり、
悲しいことがあった時、周りに喜ばれたり、
そんな寂しい人にならないよう、今を一生懸命生きようと思いました。
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2016/10/25 10:36
うちの親、兄弟姉妹がとっても多い中の末のほうだったから、
兄や姉が次々と亡くなっていく中で、ぽつりと、
「歳を取るって、こういうことなんだわねぇ・・・」って呟いたのを時々思い出す。
親戚付きあいが薄かったこともあって、伯父や伯母の葬儀なんかは、
私は出ることが無かったんだけども、両親の気落ちは見ててちょっと切なかった。

誰かの言葉のパクりなんだけど、
『生まれる時は大声で泣いて生まれるけど、死ぬ時は笑って死にたい』って
本当にそう思うわ。周りはきっと泣くけれど、私は笑顔で・・・って思う。
死は、若くても往生でも、やっぱり寂しいし悲しいね。
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2016/10/25 09:40
私も自分の両親はいつまでも元気にしてくれるものだと何の根拠もなく思ってました。
病気で療養していても突然に訪れる死…身近な人なら尚更辛いものですよね。
死という現実をなかなか受け入れられなかった…時間が少しずつ解決してくれて、今では思い出話が出来るようにもなりましたが。
あの時の後悔をしない様に…と思っていたのに、離れていて義両親を看取る事も出来ずまた後悔した事も。
男性は歳を重ねると付き合いが狭くなりますが、女性は逆。
義母は毎日の様に近所の方々と楽しく過ごしていました。生前、いろがみやヒモなどで色々な物を作って楽しんでおり、葬儀の時には友人方が折り紙で卓さん小物を作って来てくれ棺に入れてくれました。
残りの折り紙を入れ、向こうで楽しんで作ってね…と言葉をかけてくれたのを見て、良い方と過ごせて幸せだったのだな…と思いました。
遠くの親戚より近くの他人といいますが、本当にそうだな…と痛感しました。
何が書きたいのかわからなくなっちゃってごめんなさい<(_ _)>


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2016/10/25 09:03
★クーさん

おはようございます^^

朝っぱらから、こんな重たいブログに、、コメント有難うございます。*o_ _)o
宇都宮の事件が、、栃木出身なので、何だかドドーンと心に響いてしまって、、
義老親の事もあり、、自分自身も段々、色んなリスクが高まるな~とか、
どんな人が身近に潜んでいるかもしれないとか、、深夜なので、考え過ぎちゃいました。^^;

お父様とお母様、、そんな経緯だったんですね。子供(特に上)が小学生の頃、
お友達のお父さんが、元気に仕事に行って、職場で倒れて亡くなり、葬儀に参列、、
というケースが多々ありました。卒業式には笑顔で写真に収まり、この地で家を買い、
引っ越す直前に、ご主人が亡くなり、実家の関西に中学途中で移住した子供の友人もいます。

特に男の人は、ある日突然、、の場合、少なくないような気がします。クーさんまだ
学生さんだったんですか、、どんな思いだったか、察しきれずです。><
私は学生時代、父が大病して長期入院し、その後元気にはなったのですが、
私が結婚し上が生まれて数年で、病気が再発し他界。母は、途中で持病が見つかり、
その段階でかなり進行していたので、父が亡くなった後、母の闘病を試行錯誤で
支えながら、結局最後は、余命告知されて在宅療養後、突然の急変で亡くなりました。

学生時代に、友人の男性が事故で他界した時は、お通夜が若い人ばかりで
異様な光景に衝撃を受け、、、ついこの前まで話できていた人がいないという
初めての経験に、当時は何がなんだか分からない落ち込み方をしましたね。。(*_*;

色々と大切な記憶をお話し下さり、感謝です。寿命の全うは、誰もが出来る訳じゃなく、
たまたまそこに居合わせたから巻き込まれた、、とか、1歩遅かったから無事だったとか、、
本当に、明日どうなるか分からないのが、人生であり命ですよね。生きている時は、
出来れば向き合いたくないテーマかもですが、今だから考えてみたいって、ちょっと思いました。

寝たきり状態が長引いた時の、周りの心境は、綺麗ごとでは片づけられませんよね。。
逃れられない身近な家族親族は、疲弊する気持ちを、遠慮なく他の形で発散できれば、
気持ちもリセットできると思うのですが、、長丁場になれば、キツくなる~誰かが寄り添えればいいですね。
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2016/10/25 06:48
人って、いつ、どうなるかわからない。痛感しています。
父は、私が学生時代に、朝はピンピンしていて元気に出勤し、突然の死の知らせでした。
母は病気で、ある程度の覚悟は出来ていましたが、早すぎる死の訪れでした・・・。
東北の知人も、東日本大震災で亡くなった方や、
去年も、私より若い会社の男の子が、がんの宣告を受け、その3ヵ月後に、逝ってしまいました。
中学時代、仲のいい同級生の死も、とっても辛かった。。
ごめんなさい、こんな、沢山書き連ねてしまって。。 でも、様々な「死」に直面し、
やはり、寿命を全うしたな、と思える死が一番なのだなと、それは思います。
しかし、兄のお嫁さんのお婆さんが、ずっと寝たきりで、親族に
「なかなか死なないね」なんて言われているそうで、そう言う気持ちもわかります。。
どんな命も大切。身近にいればやはり、最後まで大切に思いたいです。

なんだか、まとまっていなくてごめんなさい^^;



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