本でも読んでみよう!(1)
- カテゴリ:小説/詩
- 2016/09/01 00:00:31
もうすぐ秋。
食欲の秋、スポーツの秋とか言うけれど、読書の秋でも。
「読書」なんて堅苦しく言わずに、気楽に本でも読んでみたらどうだろう。
TVはくだらない番組が多いし、ゲームも飽きてきたろうから・・・
僕が最近読んだ本、以前読んでいいなって思った本、愛読書などを紹介していきたい。
気楽に読めそうな本を対象にして、論評なんかはせずに一部を書き抜くスタンスで。
「あ、面白そうだ」、「これなら読めるかも」、「買って手元に置きたいな」
なんて思ってくれたら、いいんだけれど・・・
第1回は読了したばかりの、養老孟司『文系の壁』。
解剖学者の養老孟司氏は、TVにも出るから知ってる方も多いだろう。
『唯脳論』やベストセラー『バカの壁』といった本を、耳にしたことがあるはず。
それらの本も面白いけど、昆虫バカぶりを発揮する著書の方が僕には好み・・・
『文系の壁』は、4人の若い世代と著者との対談集。
理科系の思考で、文科系とされる問題を考えたらどうなるか、が一応のテーマ。
その中で、工学博士で作家の森博嗣氏との対談での発言を紹介してみる。
前述したように、ヘタなコメントも付けない。直しもあるが、基本的に原文のまま。
●「文系の先輩に、『人間は言葉で考えている。言葉がなかったら考えられないはずだ』と言われて、びっくりしました。僕は言葉で考えていませんから、・・・・思考の大部分は映像です。・・・人物も、その姿や顔を思い浮かべるので、名前は必要ない・・・」(森)
●「理学部の人は『どうしてか』をまず考えて『どうしようか』は後回し。工学部や医学部は、理由がわからなくても、とりあえず『どうしよう』と考えます。」(森)
●「疫学の統計にまつわる面白いエピソード。フィンランド保健局が、40~45歳の上級管理職600人を選び出し、健康管理を行うよう細かく指示しました。一方、同職種の別の600人には、ただ定期的に健康調査票に記入するようにしました。15年後の結果を見ると、後者の健康管理されていないグループの方が、心臓血管系の病気、高血圧、がん、各種の死亡、自殺者の数が少なかったというのです。
でも、好き勝手させておく方が長生きするなんて、当たり前でしょう」(養老)
●「C・W・ニコルが、『日本に来て一番よかったことは、宗教からの自由だ』と言ってました。信仰に自分が縛られるのは辛いけど、他人が信仰に縛られている様子を見るのもけっこう辛いじゃないですか」(養老)
●「文系の人は、自分のわからないことを言葉で解決しようとします。たとえば、独楽回っているから倒れない。自転車は走っているから倒れない、ということを『理屈』だと思い込んで納得し、それで解決済みにしてしまう。回っているものがなぜ倒れないのか、走っているとなぜ倒れないのかは考えようとしません。
どうしてそんな説明で納得できるか不思議ですが、理系と文系の差はここにあるのではないか。文系は物事を言葉で割り切るからデジタル。理系の方がアナログです」(森)
●「社会や人間など、あやふやでとらえようがないものを、文系の人はどうして理屈で解釈してわかったような気になれるのか不思議でなりません。心理学の本を読んでも、よくこんなに割り切れるものだと感心します。文系は理系のことを理屈っぽいと思っているのでしょうが、文系の方がはるかに理屈っぽいですよね」(森)
●「学生に教えたとき、最初の講義で僕は学生に尋ねました。『コップに入っている水にインクを一滴垂らしたあと、しばらくするとインクは消えてしまう。なぜだと思う?』
学生の答は、『そういうものだと思ってました』。これは、実にうまい生き方。そういうものだと思ってしまえば、いろんな問題を避けて上手に生きていける。この世間では、追究しない、前提を問わない方が生きやすくて、異を唱えると嫌がられてしまう」(養老)
●「原発をどう思うか、憲法改正をどう思うか、そんなことをやたらと問われるのですけれど、僕がどう思うかによって、あなたにどんな影響があるのか、と聞き返したくなる。・・・・・
世の人が『どう思いますか』と尋ねるのは、疑問をぶつけて相手から答を聞き出したいからではありません。『この人は自分と同じ考えを持っているか』、相手が敵か味方かを見極めようとしているだけなのです」(森)
●「『原発について、僕自身の中で、感覚的な賛成と反対の割合は五分五分でした。しかし、事故が起こったおかげで原発は少しは安全になるから、今は55%は賛成』と書いたら、ものすごい数の批判が来ました。事故が起こったら、安全対策を一所懸命するから以前よりも安全になるのは当然だからです。・・・・
その一方で、『絶対的な安全』を求める人もいます。絶対安全というのは、論理ではない。まさにただの『言葉』なんです。絶対安全なんてものはこの世に存在しません」(森)
●「事故が起こったとき、文系の人はよく『説明責任』といった言葉を多用しますが、『説明』
というのは後付けの理屈です。上手に『なぜこんなことが起こったのか』という物語を作ってみんなを納得させるのが『説明』するということなのですが、その物語の構造は文化によって異なります。
欧米の文化は、『誰がやったのか』という物語を作りやすくなっています。それは言葉にも表れていて、主語の直後に動詞が来る。欧米人にとって、『物事を行う主体がある』ことが自然で、子供の頃からその考え方を叩き込まれて育ちます。
一方、日本は『空気』、その場の状況によって物事が進んでいきます。・・・欧米人からしてみれば、行為の主体が存在しない、空気によって物事が決まるという物語は、嘘だとしか受け取れません。思想的バックグラウンドはキリスト教で、キリスト教は自由意志の存在を認めています。自由意志があるということは、選択の自由があるということ」(養老)
●「今の学生たちは、わからないことの答は、検索すればどこかにあると思っていますね。つまり、自分で考えて仮説を立てようとしない。小学校での自由研究の発表でも、自分で観察したのではなく、ネットで調べた情報を書き写しただけのものが多い。ネットで検索するより、落ち葉拾いでもした方が不思議なことを見つけられますよ」(森)
●「四十代の働き盛りだった人が、大阪から周防大島という瀬戸内海の島に移住してしまいました。大阪で暮らしている時より生活は不便になるわけですが、その不便が面白いというんです。大阪にいると便利だから全然ものを考えない。だけど、田舎では生きていくために、みんなであれこれ考えて工夫しないといけないから。」(養老)
「自分の工夫が実ると、笑いたくなるくらい楽しいものですよね。でもこの楽しさは、人に話してもわかってもらえません」(森)
「僕が標本を作る際の工夫について話しても、誰も聞いてないですから(笑)」(養老)
気になっていましたが、結局読めずじまいでいます。
最近、読書量がめっきり減ってしまって。
読書の秋、PCの前に座る前に、
ちょっと本を手にとってみるのもいいですね。