遠き日の猫体験
- カテゴリ:日記
- 2016/08/18 22:57:36
小学校の頃
家の近くで、小さい黒猫を見かけました。
赤い首輪がついてて、迷子猫だろうと思ったけど
何が出来るでもなくて困ってると
一緒にいたお友達が、餌をあげようと言うので
何か餌になるものを…と思って、おいらは、アパートの4階部分に住んでいたのですが
(ちなみに、友達はそのアパートの1階なのに、家に戻らなかった…)
そこまで行って取ってきて、与えて
その後、家に無事帰るかもしれないしということで
一旦そこでお開きに。
翌日
おいらは、外に出掛けて、そこの5階から降りてくる少し年下の女の子が
動けずにうちの前で立ち止まっておりました。
うちの前を通らないと階段に行けないのだけど
なんと、その黒猫がおるじゃないですか。
動物が怖くて、動けなかったのだそう。
すごいな、たったの1回だけ、おいらが部屋に入る姿を見て
そこに行くことを憶えていたのか。と
実際は分かりませんが
他の理由が考えられません。わざわざうちの前に来て
その女の子も、猫が逃げようともしないから、何をしていいか分からず
10分近く立ちすくんでいたというのですよ。
結局、迷子猫ということで
前日一緒にいた友人を呼び出して、一緒に飼い主を捜す為に
あっちこっちへ歩いて、最悪猫を飼ってる人の家に行って
少し預かって貰えないかなど相談に行きましたが、まず無理。とあっさり終了。
他に、近所で飼ってる人はいないかも分からずじまいで
小さな子猫だったので、多分小学生のおいらでも行ける範囲の猫だったんだろうけど
ひょっとすると
近所にはアパート、マンションも多く
交流がない人が飼ってる場合、誰も目撃しないし
隠れてこっそり飼っていればまた、飼い主であっても言い出さないかもしれない。
交番に届けるということが浮かばずに
近くの公園に置いていったあと、その子猫とはまったく会わなくなり、終わりました。
同近所にて
猫屋敷がありました。
そちらは二階建ての昔ながらのアパートって感じの家の1階部分。
もっとも出入り口に近い家に、おばあさんが一人で暮らしておりました。
捨て猫や野良猫が可哀想で、面倒を見ていたみたいなんだけど
子猫が産まれてしまったり
たくさん猫がいるからと、そこにわざわざ捨てにくる人もいたそうです。
子供ながらに、猫が可愛くて見せてほしいと、庭に行くも
おばあさんだけなら、喜んで入れてくれたのですが
介護をしているのか、親族なのか分からないおばさんがいると
「子供も迷惑、猫も全部迷惑」
「バカが勝手に手を出すな」
「お前らみんないなくなればいいんだ」と
公園で遊んでるだけでも、死ねばいいくらいの勢いで怒鳴り込むおばさんで
その人がいると、さすがに入れない。
怖くて入れないんじゃなくて、おばあさんも後ですごく怒鳴られる。
勝手に子供をいれやがって!ババア!って怒鳴ってる声が聞こえたことがあって
介護してると思えないというか…。
いろいろと厄介のパターンが複合している感じの家だったけど
とりあえず、おばさんがいない時だけを見計らって
子猫を貰ってくれる人がいないか、探し歩いたことがあります。
公園で通りかかったOLさんや
道行く人に、猫飼えませんか?と質問したり
子猫を1匹でも連れて歩いてると、可愛いーって言う人とかがいるのを見つけては
お願いをしてみたり。
まぁ、当然なんですが、ほぼ見つかりません。
飼えないとか、飼えてもペットショップで買ったばかりだから要らないとか。
他に飼ってる動物がいるから、動物は好きでも無理とか、様々。
ある時、おばあさんに何かがあったのか
おばさんがいる日ばかりで、おばあさん一人の日がまったくなくなってしまい
前を黙って通りかかるだけでも、水をぶっかけられた事もあるおばさんなので
おいそれと近寄れず
子猫を2匹もらい手見つけたこともあったんだけど
それさえ、恩と思うこともなく、おばさんは「猫は全部死ねばいい」とかいうのに
「お前ら勝手なことしていいと思うな!どこの家だ!親を呼べ!」とかいうし
まぁ、なんか、おばあさんよりこのおばさんの方が介護必要じゃないかと
今なら思う異常者だった気がします…。
おばあさんがいなくなって、面倒見て貰えないはずだけど
猫達はだいたい、そのアパートの近くをうろついていました。
なんとか、自力でそこで生きていけてるのか
よその人も、迷惑だといいつつ、他の人も餌やりしていたりもしたのか…。
クレーム言う人だけが目立って、賛同者は声を出さなければいるかいないか
分からないってものですからね。
動物に限らず、政治や経済、法律についても動かそうという時はだいたいそうだ。
反対。の声だけは大きいのに、一部賛成、一部改良希望なんていう細かい話は
なかなか、広くには行き届かない。
アパートは、数年後立て直しになり、猫は殆ど見かけなくなったりもして
ただ
工事の後、やっぱり通り道にはされていて。
猫には猫の生き方があるんだなって思いました。
大人になってから
猫にも認知症がある話や
寿命をまっとうするまで、猫を面倒見るのも簡単ではないために
犬や猫のホスピスのようなサービスがあるということも知りました。
人間にももっと
的確な医療、治療が必要なんじゃないかな?と思うくらい
研究は進んでいても、実用化されたり、保健対応してもらえたりとなると
なかなか難しい。
でも、犬にも猫にも、どれも必要性もあって
暮らす環境もまずなきゃ生きていけないけど
所有する人がいない動物は、殺処分っていうことが多かったりして。
ただ、一緒にいる喜びはとても深くて、心が癒される人も多いのに
癒される気がしない人もいれば
癒しと関係なく、飼ってる自慢をしたくて外国のものを不正輸入する人もいる。
飼育していく上で、命である以上は
死も考えていく存在なのだけど
生死は別にして、可愛さや高級感を最優先にされたり
可愛く思えなくなったら、捨てるか。ってケースはなくはなく。
それも、無理して最後まで飼え!と言われても
体や経済的なことに無理が出てしまった人にまで
ごり押しするのは、どうかなぁってこともあって
ホスピスみたいなサービスに着手する人がいることは、実際ありがたいこと。
そういうの、手伝えることがもっと多様化したり
どこに住んでいる人にも出来ることが増えたりするといいけど
結局は、募金、寄付金と、お金があれば何かは出来るでしょ。となりやすくて
お金がなくても、力で出来るひとを求めてるかどうか、伝わりにくい。
かつての、江頭2:50さんみたいに、お金がなくてもいわき市の人を助けるとか
そういうのが出来ればいいんだけどね。
関西では、震災後の動物の保護からはじまった
動物を引き継いだり、年寄りだと動物譲渡しても人が先に死ぬと困るからと
断られやすかったのを、年寄りから次の若い世代に引き継いでもらえるよう
呼びかける活動している獣医師さんなんかもいるそうだ。
こういう事が増えてくれるといいのになぁ。