脳活日誌513号
- カテゴリ:日記
- 2016/07/08 11:37:37
インスピレーションの火花。
閃くことがある。瞬間的な出来事である。「そうだ。こうすればいいのか。」と開眼して気分が一気に整理されることがある。アイデアと開眼とは、重みが違う気がする。アイデアは日常の雑事から特許をとれるくらいの大発見まであるが、生き方や考え方にたいする開眼は多少違うような気がする。禁煙は閃きでは出来ない。良くない習癖というのは、生活のカビみたいなもので一度身についてしまうとサビを落とすのは大変である。舵を切って傾きかけた船体を修復しようとしても、簡単には修正できないことがある。
諦めず、飽くなき追求が求められる。自分自身の中で執念深い傾向のない人はいないのではなかろうか。精魂というか、少々叩かれようが、怒鳴られようが、嫌われようが、他人がいくら言ってきても、ビクともしない不動のこだわり、信念というものがある筈である。譲れない命にかかわる最後の領域である。生きる原子核のようなものである。ところが、この堅い殻が自身の内部からの覚醒により、案外とスムーズに割れてしまうことだってあるということである。これが開眼である。これまでの頑ななまでの社会とのバリアを、バッサリと一刀両断にする閃きが脳内で発火する。
何事も切っ掛けがあるから、いきなりとはいかないだろうが、閃くチャンスをしっかりと掴むことである。直ぐに忘れるから、私はメモするようにしている。ふと浮かぶアイデアは、次の瞬間に、ふっと忘れてしまって何だったかなと思い出すのが至難のことになってくる。問題はアイデアと開眼のメモが山積みになっていることだ。これは何を意味するか。開眼が実行されなければ、意味をなさない。
ホントニ、小説の方が、なんでもあり だと、思う。