「ファンタスティック 江戸絵画の夢と空想 4
- カテゴリ:アート/デザイン
- 2016/04/29 14:36:42
「ファンタスティック 江戸絵画の夢と空想」(二〇一六年三月十二日─四月十日(前期)、四月十二日─五月八日(後期)、府中市美術館)の後期展に行った。前期展に引き続き、また自転車で。
前期展から三週間ぐらいたったのだろうか。三月の終わりから四月下旬へ。この間に、桜が咲き、また桜はほとんど木になった。緑の葉をつけだして。前期展にいったときは風もつめたかったような気がする。今回の後期展は、ひさしぶりの晴れで、自転車をこいでいると、すこし汗ばむぐらい。前回つかった地図をつかって。でももうさすがに、ほとんど迷わない。地図をみたのは、だいぶ美術館が近づいたとき、一回だけだ。もしかすると、今度来るときは地図がなくとも大丈夫かもしれない。もっとも、実は家の近くで、多分この道を通っても、行けるだろうと、はじめての道を通って、見事に間違えたのだけれど。方向音痴で、方角がわからないためだ。実感する。たとえば北北西をすすんでいるつもりが斜めになっていて、北西になり、しらないうちに西になってしまって…。たぶんそんな感じで、気付いたら九十度ちがう道を進んでいた。地図がよめない、方向音痴の人は、店などで道を覚えるそうだ。店や家、まわりの建物で。わたしもまわりの建物がちがうので、おかしいと気付いたので、なるほどなと思った。どうしたら知っている道(しっている建物たちが並んでいる場所)に戻れるのか解らなかったから、もときた道を引き返した。間違えた地点まで。そうして見なれた建物たち、お寺やお店などを見つけて安心する。まあ、仕方ない。いままでそれで、ずっとやってきたんだから。あとはつつがなく。大型スーパーや駅を通り過ぎ、角をまがるとすぐに郵便局。車の少ない、旧甲州街道だ。あとはしばらくこの道をゆけばいい。みなれた店や、家たち。
ところで家から美術館まで、前回は時間を計らなかったが今回は計ってみた。一時間弱。意外とかかっている。距離は十五キロぐらい。往復だと倍か。朝はいつもどおり仕事しているから、どうりでちょっと疲れるはずだ。
東府中駅東という、東がちょっと多いなあと名前が気にかかる交差点をまがって、しばらくすると府中の森へ。この中に美術館がある。
ここにきて、はじめて、景観的に、季節の違いを実感する。それまで温度や陽射しでは感じていたのだが、市街地、商店街などを通ってきていたので、違いが見えにくかったのだ。府中の森。木々の緑が圧倒的にはなやいでいた。晴れていることもあったかもしれないが、新緑の色がまぶしい。前回来た時は、まだ大部分、冬木立の面持ちを残していた。すこしだけ木の芽が芽生えて。花たちがそっと咲いて。それが、あたりは、まったくの春、やさしいいきいきとした色合いで、そこにあったので、驚いたのだ。季節はこんなにも変わるのだ。前回きたときは桜がまだ咲き始めだったが、もはや桜の木。だが、府中の森全体が、こんなにも明るく華やいでいるなんて。芝生のある丘付近には、鯉のぼり。春というより初夏なのか。そしてやっと美術館に到着。ファンタスティックだ。
後期と前期で総入れ替え。実は、今回、なぜか前回ほど興奮しなかった。わたしの問題なのか。前期の方が惹かれる作品が多かったのかもしれない。前期でもう、ファンタスティックについて、ひととおり、感じてしまったのだろうか。ほとんど目新しさを感じることがなかった。それともほかに気にかかっていることがあるからか。いや、前回きたときのほうが、そうだったではないか…。
もしかすると、こんなふうに書くことで、それがすこしはうすれるかもしれない、そんなふうに会場で、ぼんやりと思う。それが記憶の改ざんなのか、体験の掘り起こしになるのかわからない。おそらく両方。感じたことを言葉にすることで、誤差や温度差があったとしてもなにかが生まれる。現実と写真の違いのような差があったとしても。そのはざまに。
展覧会、一章の「身のまわりにある別世界」で、数点、それでもひかれたものがあった。さきほどみた府中の森をほうふつとさせてくれる絵たち。木々に花。そしていつかみた海。一章の中の、「動物」にあった岡本秋暉(一八〇七─一八六二年)《日々歓喜図》(絹本著色、江戸時代後期(十九世紀前半)、府中市美術館寄託)。題名からはわかりにくいが、波の上をあまたの蝶が渡っている。波の上を群れる白い蝶たち。波に呼応するように、波に逆らうように、列をなして。あの世とこの世を往還するかのような、とすぐに思ってしまうけれど、この絵は謎だ。題名も、どうした意図でつけられたのか不明らしい。海峡をわたる蝶に、どうしてこんなに惹かれるのか。それは、橋渡しをしてくれそうな、未知への憧れ、そして恐怖を含んで、やまないからかもしれない。蝶への伝言。蝶はまたわたしたちの魂でもある。あこがれて、ふわふわと。はかなくも。
日々、歓喜して、というイメージは、実はこの絵からはあまり感じられなかった。ただ憧れとして、やさしかった。
(続く)