Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


わたしの旅は… その1(『忘れられた巨人』)


 地面にはホトケノザがだいぶ小さな花畑を作っている。だがこのところ、陽射しが少なく、春がすこしだけ足踏みをしているような天気が続いている。今日も雨。
 おもに金銭的な理由で、このところ美術館に出かけていなかった。だんだんわたしのなかで何かが停滞してゆく。目からとびこむ想像世界。それは入口だ。かつては本がそうであったけれど。
 この期間、本も数冊読んだきりだ。興味深い内容ではあったけれど、想像世界へ旅立たせてくれるには、何かが足りなかった。いや、足りないのはわたしのほうなのだが。つまり、いろんなことが重なり悪循環となっている。旅立っているのかもしれないが、その足取りが鈍い。すぐに、現実に舞い戻ってしまう。ぐずついた天気のせいもあるのだろうか。
 図書館から予約していた本が入荷したと連絡が入った。百人待ち以上だったから、すっかり忘れていた。おそらく去年の四月に刊行されたとき、書評かなにかを読んで、予約したもの。もう一年近く前になる。ところでこの頃、あまり本が読めなくなっている。というか面白いと思う本と出逢うことが少ない。以前好きだった作家の本でも、読みとおすことが難しいことがあったりする。これもほとんどわたしのせいなのだろう。旅立たせてくれる本との邂逅が少ないのだ。
 だから、予約していた本も多分、今のわたしでは読みとおすことができないだろうと思い、図書館でもう一冊、保険として借りた。
 予約した本は、カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』。わたしには読みやすく、なつかしい世界だった。こんなふうに物語世界へ入ることができたのだ。頁をめくるたびに、登場人物たちがいきいきと語りかけてくる…。わたしはそれを見ているだけなのだが、それは絵を見るときのそれと同じものだ。わたしのなにかが旅立ちをはじめる。
 読みやすいというのは、わたしに合った、ということもあるけれど、たぶん文章自体も彼のなかでは読みやすいほうなのではないか。アーサー王の時代の物語。息子をさがす老夫婦の旅、途中に戦士や騎士と出会い、妖精や鬼、龍も出てくる。これだけ書くと、逆にこの本の紹介としては何かをそこねてしまうかもしれない。ファンタジーを否定するつもりはないし、ファンタジーは好きだが、これは今あげたような要素があるにも関わらず、ファンタジーという枠をまたぐ小説だから。それは物語の最初から、なんとなく見え隠れしている。すこしずつ霧がはれるように、重さとして、心に浸透してゆく。人々は龍の吐く息のせいで、忘却している。それがまさしく霧のように世界を覆っているのだ。失われた記憶をもとめて、老夫婦は旅立つ。殺戮の記憶もまた忘却の淵に。そのうえに成り立つ平和とは。思い出さないほうがいいこともあるかもしれない。だが、多分思い出すべきなのだ。ラストでは多くの謎がはっきりしたのだけれど、大事なものが謎のまま終わる。これは愛情の物語なのかもしれない。たぶんアヴァロン…、あの世で、わたしたちは、ひとりなのか、それとも。そして龍が退治されたことで、世界に記憶が戻るのだが、お話はそこで終わるので、記憶が戻った後、どうなるのかはわからない。また憎しみによる復讐、戦の世界へと向かうのか…。あるいはこの謎のまま、ということがわたしたちへの問いなのかもしれないし、覚醒も忘却もまた、わたしたちに両方ともある、ということなのかもしれない。永遠の愛が存在しつつ、しないように。

(以降、明日のその2へ)




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