Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


重なる思い出が軽く明日へ─日本画の革新者たち展2


(1から続き)
 さて、まずは展覧会。
 チラシや紹介のHPなどから。
 「そごう美術館は新たな取り組みとして、日本各地の美術館の名品を紹介するシリーズをスタートします。その第一弾となるのが福井県立美術館の所蔵品展です。一九七七(昭和五十二)年に開館した福井県立美術館は、福井藩士を父に持ち、横浜に生まれ育った岡倉天心ゆかりの初期院展作品を主に、福井県に関連する作家作品など貴重なコレクションの数々を所蔵しています。
 本展では同館所蔵作品から、「日本画の革新者たち」をテーマとし、明治期の美術界を牽引した天心率いる日本美術院の作家たち、横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山らの屏風を中心とした名品の数々、戦後日本画の新たなる表現に挑戦した横山操、加山又造、三上誠などの作品、さらに江戸時代初期に福井の地で多くの代表作を手掛けた、奇想の絵師として人気を集める岩佐又兵衛の逸品など約六〇点を展覧いたします。」 
 実はあまり期待していなかった。けれどもHPにあった出品目録をみると菱田春草のほかに速水御舟、奥村土牛など、わたしが好きな画家の作品があった。それでゆくことにしたのだ。
 実は、出かけてから、これを書くまで、日数が経っているので、あまり覚えていない。というか、たしかに期待していなかったのがあたっており、感動したという作品が少なかったのだ。けれどもなんとなく出かけてよかったという妙ななつかしいような、人なつっこいような穏やかな記憶が残っている…。
 菱田春草(一八七四─一九一一年)の作品は、どれも菱田春草展(二〇一四年九月二三日~十一月三日、東京国立近代美術館)で観た記憶がある。《温麗・躑躅双鳩》(一九〇一年)、《海辺朝陽》(一九〇六年)、これは岡倉天心に連れられ、ヨーロッパで展覧会をした後の作品だそうで、どこかホイッスラー風の海が温かく淋しい。朦朧体とよばれた作風のなかで、くすんだ色がなくなり、透明度をよりました作品だそうだ。そして目玉の《落葉》(一九〇九~一九一〇年)。これは菱田春草展では、それほど感動した覚えがないのだけれど(あるいはあそこはほかに興味をひくものが多すぎたからかもしれない)、今回は特に心に残った。落葉が降り積もった地面は後ろにゆくにつれ、背景にとけてゆく。木々は多くは輪郭がなく幹だけ。その幹もまた後ろのほうでは、霧のなかの風景のように薄くなっている。アクセントのように二本の木だけがくっきりと葉が丹念に描きこまれている。一本は柏であろう。虫の喰った葉、やぶれた葉までが美しい。写実と装飾性の融合。そして背景のほう、落葉や薄くなってゆく木のほうへ、霧のむこうへ、おそらく幻想のほうへ、みているうちにひきこまれそうになる。それが心地よかった。
 岡倉天心の生没年は一八六三年─一九一三年。十一歳年下の菱田春草は尊敬する師である岡倉天心よりも二年早く没している。そのことに改めて気づく。三十五歳という若さで亡くなった彼を、やはり大切に思っていたであろう岡倉天心はどんなに哀しんだことだろう。
 そして、出口近くで、岩佐又兵衛の展示。絵に関してはとりたてて思うことはなかったけれど、略歴を見てすこし驚いた。天正六(一五七八)年─慶安三(一六五〇)年。織田信長に反旗を翻した荒木村重の子どもだという。もともと歴史は好きだったので、荒木村重の名前にはなじみがあった。その子ども、荒木一族が殆ど殺されたなかで、数少ない生き残りである人(当時二歳だった)の絵を、こんな風に見れることに感慨があった。それは物語世界に生きる、いにしえの人の生きた証だった。物語のなかで、歴史のなかで、彼は確かに生きている。けれども、さらに重層的に、彼はわたしに、生きた人物として何かをつきつけてくるのだった。
 展覧会会場を出る。六階だった。美術工芸品や食器などの売り場でもあるから、ラリック社のガラス製品が売っているコーナーに足をむける。ルネ・ラリック(一八六〇─一九四五年)のデザインを踏襲した現代のガラス製品たち。香水瓶、グラス、花瓶。現在ポシェ社の傘下だというがよくわからない。ラリックが生きた時代のガラスたちに思いを馳せる。彼の何かが今も生きている、そう思ったかどうか。
 それからエレベーターに乗り、屋上へ。中途の階にいると、なかなかエレベーターは来ないものだが、すぐにきたので、そのことに驚く。四時ぐらいだったろうか。殆ど誰もいない。子ども広場や自販機があるコーナー、岡本太郎のオブジェなどもあったが、閑散としていて、それらを楽しむ雰囲気はなかった。だがたしか、かつて来た時もそうだったと思いだす。おまけに以前きたときは雨だった。よけいにさびしく、だいいち屋上からみえる海も、あのときは雨のなかで灰色だったではないか。
 海はどこに見えるのだろう。屋上は意外と広い、ともかく縁をめざす。ようやくあった。ガラスの塀ごしに海が見える。出かけた日は曇り空だったが、この時は、すこしだけ晴れ間が見えている。以前みた、灰色の海、灰色の空を思っていたので、それでも青い海、まだ夕焼けは始まっていないが、そろそろ暮れに近い鮮やかな概ねの青い空と明るい雲、水上バスが割ってつくる水尾のしぶきなどに、うれしい驚きを感じる。思い出が今に重なってゆく。そうして重層的になってゆく。それが今を生きるということなのだろうか。あるいは過去を生きるということなのか。あるいはもし明日があるなら、明日のわたしを生きることになるのだろう。
 次の日(明日、と書いて、これもまた変だけれど)、家の近くのお宅の窓辺に、わたしと二十年近い時を過ごした愛猫べべにそっくりな猫が座っているのを見た。べべのような模様。べべはこんな風にわたしに生きている。そして今日、また別の家の庭で、梅が咲いているなとぼんやり眺めていたら、ヤツデの花が咲いている…というのか、実になってゆく途中なのを見た。ヤツデは近頃、あまり見かけない植物だ。けれどもわたしが子どもの頃、家に生えていたので、見かけるたびに、子どもの時分のこと、おおむね亡くなった父親のことを思い出す。父は植物を多く育てていたから、植物たちに個々に父との思い出はあるのだが、特にヤツデは、父が育てていた頃以降、あまり見かけることがないからか、父と直結した思い出となっている。
 そういえば、この頃、父の夢もべべの夢もあまり見ないなと思う。あるいは見ているのに覚えていないのだろうか。いや、べべの夢はインフルエンザの時にみたと思いだす。過去たちが積み重なり、彼らがわたしにやってくる。それは死者だけでないのだろうけれど、思い出すのは死者ばかりだ。思い出たちは重くない、おおむね軽く、わたしもまただんだん軽くなってゆくようだ、そう、病み上がりの幾分重い身体をひきずるようにしながら、思っている。




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