Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


重なる思い出が軽く明日へ─日本画の革新者たち展1


 しばらくインフルエンザにかかっていて、高熱が四日ぐらい続いた。わたしは子どもの頃、よく扁桃腺を腫らして高熱を出していた。あの頃もしんどかったはずなのに、思い出としてながめると、楽しいものになっているのはどうしてなのだろう。苦しい、つばを飲みこむのも苦痛だったことも覚えている。だが、学校を休んで寝ているのは楽しかった。おかしくなった三半規管のせいでトイレに起きるとぐるぐる世界がまわっている。身体が熱いのに寒い、吐く息が荒い。めずらしくしんどいなと思ったその先に、ものすごい至福の情景に包まれたことがある。ふわふわとして、見渡す限りの花畑にいて。熱は四十二度にもなっていたのだろう。あとから考えるとちょっと危ない状況だったのかもしれない。
 扁桃腺をはらしているとき、食べ物はほとんど喉を通らなかったが、そんなときにたべるヨーグルトはそれでもごちそうでおいしかった記憶がある。熱があるときにしか食べれないぜいたく品だったから、わたしにとってはハレのものだったのだろう。学校は休みだ。ずっと休みがつづけばいい。
 そんなことを思い出していたかどうか。今回、喉をいためたわけではないけれど、食欲がなかったが、ヨーグルトだけはおいしく頂いた。熱の記憶が身体のなかで重なってゆく。
 高熱が続いたあとだからか、熱がさがっても数日身体がふらついた。体力がおちていたのだろう。またすぐに風邪をひいた。けれども、インフルエンザで5日ぐらいバイトを休んでいたので、もう休みづらく、なんとか出勤していたから、よけい治るのに時間がかかった。結局インフルエンザとあわせると半月ぐらい調子がわるかった。今日になり、ようやくここに書きに来ている。
 その間、風邪のときに、タダ同然で手に入れたチケットがあったので、少々しんどかったが、展覧会にいってきた。横浜のそごう美術館で開かれている「日本画の革新者たち(福井県立美術館所蔵)展」(二〇一六年一月十六日─二月十六日)。
 ここは横浜駅のそごうデパートの中にある。はじめて訪れたのはずいぶん前だ。なんの展覧会だったかも覚えていない。ビアズリーとかだったかもしれない。二十代のとき、多分埼玉からいったのだろう。今はずいぶん埼玉と横浜は近くなったけれど、あの頃は電車もなくてけっこう遠かった。横浜そごうの近くに中華街などへいく水上バスが出ていて、それにも何回か乗った記憶がある。そごうから中華街、山下公園へ。小さな船旅が楽しかった記憶。
 今住んでいる場所は横浜へ行くのはかなり近い。家から数キロ離れた二子玉川駅を利用すれば三十分ほどで横浜へ出れる。その二子玉川駅で、自由が丘方面へ下るのだけれど、昇りの電車が埼玉の川越行きだったので、よけい、かつて埼玉から横浜方面へ出かけた昔を思い出したのだ。なにも昔が良かったとかいうことではなく、こんなふうに昔たちがわたしに増えていっているなと思ったのだ。それが年を重ねてゆくということなのかもしれない。昔たちが重なって今があるのだとぼんやりと思う。
 微熱が出ていたので、電車のなかでは殆ど寝ていた。自由が丘駅で東横線に乗り換え、横浜駅まで。そごうはほとんど駅と直結しているので、迷わずに行ける。方向音痴の私が安心して出かけることのできる数少ない場所だ。水上バスがまだあるなあと、それだけ確かめる。体調があまりよくないこともあり、水上バスに乗ることは考えていなかった。わたしの好きな海の近くにいるというのに。せめてあとでそごうの屋上へ行くか。たしか海が見えたはず。
(つづく)




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