今年もこの日がやってきた。
- カテゴリ:30代以上
- 2016/01/17 06:07:45
1月17日。。。
この日がまたやってきた。
私は生まれも育ちも兵庫県明石市ですが、
あの大震災、いまでもよく覚えているし、
体があの揺れを覚えています。
神戸市での被害が大きかったですが、隣の市である明石も
神戸ほどではなくても揺れはもちろん、被害は大きかったです。。。
あのとき、私は大学1年生でした。
自分の部屋で寝ていて、ぐっすりと寝ていましたが、経験したことの
ない縦揺れで本棚が倒れ、ローボードの当時ブラウン管テレビが
落ちていたりと何が何だかわからなかった。。。
ふと思ったのが、家族はどうだったのか?
母・姉・叔父、家の中は物が多く、下敷きになっていないか?
幸いそういうことはありませんでしたが、色々と物が散乱して
いました。。。
食器棚でも観音開きの扉が開き、食器が飛び出ていて
床は割れた食器であふれていました。
水は最初出ていましたが、時間が経つと断水。
神戸に比べると断水時間は短かったですが、重要性を
感じたときでした。。
当時アルバイトをしていて、某家電量販伝がバイト先でしたが、
当然ポストコンピュータがつながらず、商品も棚から落ちていたり、
テレビもほぼ壊滅常態。
その日の午後だったかなぁ。。お客さんが店に殺到した。
カセットコンロ・ボンベ、電池、ラジオ、、みんなそれらを求めに
ちょっとの間はほんとに品薄になりました。。
うちの嫁さんは神戸の須磨区という所にいて、避難所生活を
していたようで、当時仲の良かった友達が亡くなったとのこと。
”とってもええ子やったのに何で?”って言ってたことが印象的。
今日、たまたまレンタルショップに行ったとき、CDを手に取り、
”これ、震災前に聴いていてどっかいってもたやつや~”と
言ってました。久々に聴きたくなったようで借りていました。
もうあの震災を知らない世代が多くなってしまいました。
とりあえず子供たちにはこういうことがあったんだよ
そう伝えて多少の危機管理を彼らなりに感じてもらえたら
いいなとは思っています。
日本は地震大国です。。まだこれからもどこかで大きな地震が
怒ることは避けられないでしょう。
福島で経験された方もいらっしゃるかと思います。
自然災害はほんとに怖いですが、誰にでも関わる可能性が
あることは感じていてもらえたらなと思います。
自分が体験したわけではないのですが、親戚が兵庫にあり、連絡が取れるまで落ち着かなかったです。
幸い、親戚一家無事だったのでホッとしました。
朝起きてニュースをつけたら橋が崩れて見るに堪えない映像が流れていました。
唖然としました。
21年も経つとだんだん記憶が薄れていきますが、風化させてはダメですね。
今後30年間に70%の確率とも言われている大地震。今では豪雨などの災害も多々あります。
少しでも防災意識を持つ人が増えればいいですね。
当時は東海地方に住んでいましたが、揺れで目が覚めました。
子供の頃から東海地震のことは言われていましたので
他の地域で大きな地震が起きたのは驚きました。
今日TVで感震ブレーカーの設置を勧めていました。
気になってます。電気ストーブは使用していないので必要ないかしら。
直接被害に合われた方の恐怖はいかほどだったかと
思います。
私たち日本人すべてが「忘れてはいけない」ことですね。
黙祷。
大学の試験中の朝の出来事で、朝からニュースにくぎ付けになったこと
大学に行くと関西出身の友たちが落ち着かず不安げにしていたことを思い出します。
実際に体験していなくても、衝撃的な記憶は残っている訳で
実際に体験した方々にとっては忘れることなど出来ない記憶となったことでしょう。
21年前の震災、5年前の震災 そうなんですよね・・・
いつどこで誰が関わるのか分からないのが自然災害。
こういう日に家族で色んなことを話すことも大事かなって思います。
ハンドルを握りしめたまま何も出来なかった。
ふと窓の外を見たら、知らないオバさん同士が抱き合って揺れに耐えてました。
会社に戻ったら、事務所の中は凄かったので、車の中に居ました。
車のTVを見たら、とんでもなかったので、諦めて家に帰りました。
その後暫く携帯の緊急地震速報のアラームが恐くなりました。
神戸の地震の後に色んな事が改善されて、東日本大震災の時には教訓が活かされたのではないでしょうか。
神戸の地震、覚えています・・
テレビでみてとてもショックでした。
3.11の時は、東京も揺れました。
私は12階に住んでいたので
食器棚は倒れ、お皿はほとんど割れてしまいました・・
それ以来、不要な物は捨てて
避難袋も用意しています。
どちらの地震も、ゆらゆらと地面がローリングしている感じでした。
いつもと違って、長かったです。
だから、3.11のときも、どこかで大きな地震なのだろうと思っていました。
本当に、いつやってくるともわからないだけに、
日々の生活の中で、できるだけのことをしておこうと思っていますが、
なかなか日々に流されて、進んでいません。
それでも、そうなったときに、
少しでも、よい対応ができるようにします。
今も、家の中を片付けている途中です。
とっさに飛び起きまだ小学生だった子供達の部屋に走りました。
神戸に住んでる兄の所になかなか電話が通じず
とても心配したものでした。
幸い大きな被害には至りませんでしたが
まさやんさんと同じように
家具が倒れて、食器が割れて散乱したり
ライフラインもしばらく止まって不自由したようです。
明日は我が身かも・・・
あれから「防災」「自分の身は自分で守る」の意識を持って
できる範囲の備えだけは心がけています。
京都も揺れました。
まだ外は暗く テレビをつけて 神戸で起きている惨状を見て
唖然としたのを覚えています。
実家の母は炊き出しのボランティアに参加したりしてました。
町は復興しても 被災された方達の 心の復興はまだまだ遠いような気がします。
その時神戸から離れていたとはいえ、結構な揺れでした。
本当に怖いなって思いました。
部屋が散乱まではいかなかったけど、ほとんどの電化製品が半分落ちかけていました。
いまだに、その当時の事覚えています。
子供達にも自然災害が本当に怖いこと教えていけたらって思います。
一度神戸に旅行で行った時に、泊めてもらったことのあるお宅でしたので、一応知り合いの方。
3.11の時は我が家はフランスにいたので、
幸いあの地震は経験しませんでしたが、
東京も酷かったですよね。
地震怖いです。
ただ、一瞬でライフラインが全て遮断されてしまったので全く情報がなく、やっと電気が通ってテレビの映像を見たときは衝撃的でした。。
関西は地震が少なかったのでほとんどの人が無防備だったと思います。
あの日のことが風化しないようにこれからも意識を高く持っていないとだめですね。
私は遠い地ですがやはりまだあの時の記憶は今でも体に残っています。
あの時お腹の中に居た息子が二十歳。
これからも忘れることはないでしょう。