Nicotto Town



世界中を回って大勢の前で嘘をついて回る人生って


朝鮮戦争は朝鮮半島人にとってとても大きな事項でしょう。
最初は北側が有利の展開して北側を支援する形で中国軍が
深く南下して来ました。
其の時大勢の朝鮮半島人が虐殺されました。
アメリカが韓国側を支援する形で38度線まで持ち直して
今は休戦中で朝鮮戦争が終わった訳ではありません。
家族が38度線でバラバラにされた人達も大勢居ます。

65歳の私も朝鮮戦争を日本に居て大人から聞いて
覚えているのに何故其の当事者の韓国人の私より年上の
お婆さん達が知らないと言うのでしょう。

朝鮮戦争時は日本軍など居る訳がありません。
其れでも何故日本軍の従軍慰安婦を年代が朝鮮戦争時に
していたと世界のあちこちで言っているのでしょう。
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 ※【米国議会の要請により、省庁横断的な詳細な調査が行われ、2007年4月の米国IWG報告書が提出されたが、第2次大戦中の慰安婦の問題については、日本政府の戦争犯罪を示す文書は一つも発見されなかった。これは、米国国家公文書記録管理局(NARA)によって行われた大々的な調査の結果判明したものであり、2000年から7年間と3000万ドルをかけて、OSS(戦略情報局)、CIA(中央情報局)、FBI(連邦捜査局)、米陸軍対情報部隊(CIC)などが保有するドイツと日本の第2次大戦に関する機密文書が対象とされ、両国について戦争犯罪があったかどうか吟味された。日本については、14万2000件の機密文書が確認されたが、慰安婦に関する戦争犯罪を示す文書は何一つ発見されなかった。
http://www.sankei.com/smp/world/news/150912/wor1509120033-s.html
=====--
↑此れでも自称韓国の従軍慰安婦は強引に日本軍に連れて行かれたと言って居ます。




そしてあちこちで一人の人の言う事がコロコロと変わります。
其れでも韓国は自称従軍慰安婦の証言を唯一の証拠として出して居ます。
此処に1人の例を出します。
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時々、ハングル併記もしたいと思います。

20154月24

慰安婦 : キム・ボクトン ハルモニの証言

「私がこうして生きているのに慰安婦の証拠がないなんて」 (2015.4.24 朝鮮日報



キム・ボクトン(金福童)ハルモニは、非常に珍しい存在が確認できた、と"される"慰安婦かも知れません。1947年9月に作成された軍属名簿「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」に金福童が「看護婦」として採用されていた記録が残っているからです。

ということで、その記録を見てみましょう。


共に韓国挺身隊研究所より


この名簿を見ると、1945年8月31日当時21歳であることが分かるだけですね。ようするに1924年生まれ。庸人であった、ということ。


さて、キム・ボクトン ハルモニの証言を探してみましたので、取り上げてみますね。

“22년간의 절규, 언제까지 외면할 텐가” (2012.7.26 Korea Times)
22年にも及ぶ叫びをいつまで無視し続けるつもりなのか


キム・ボクトン ハルモニは14歳のときに慰安婦に連れて行かれ、日本軍15師団に帰属、台湾、香港、中国広東省、インドネシア、シンガポールなどで、日本の第2次大戦敗戦までの8年間、性奴隷に苦しんだ。

韓国政府の外面と周囲の冷たい視線により心精神的に病んでいたキムボクトン ハルモニは1992年に自身がされた人権蹂躙を申告した。(抜粋)

もう一つ、別な証言も加えてみましょう。日本軍慰安婦問題関西ネットワークによると

「軍服を作る工場だと言われて連れて行かれた所で軍人の性の相手をさせられるという、この残酷な歴史をみなさんはご存知でしょうか。


私は陸軍15師団の本部に連れられて戦場を行き来しました。戦争が終わったことも知らされませんでした。最後まで「慰安婦」というものを隠して私たちのことを看護師だとウソをついて第16軍病院で訓練を受けさせられました。そのような経験をしてやっと国が解放されたことを知りました。日本軍は先に撤去してしまって私たちだけが残りました。米軍が上陸して米軍の収容所に収容されました。そこで全てのことを調べられて調査を受けて調査が終わった時点でやっと韓国に帰ってくることができたのです。」
この記事からキム・ボクトン ハルモニの慰安婦としての関連情報を抜粋すると、

・2012年で86歳
・軍服を作る工場だと言われて連れていかれた
・14歳で慰安婦(記事では15歳)
・日本軍第15師団に帰属(両方で同じ証言)
・台湾、香港、広東省、インドネシア、シンガポールなどで慰安婦
・8年間性奴隷だった(片方では5年間)

ということになりますか。

2012年に86歳ですから1926年生まれなんですね。ですが、資料では1924年生まれを示唆する。何せ、この手の公文書は満年齢記載が原則でしたから。戦前の人は年齢を数えで数えても、公文書は満年齢。ここは重要なので覚えておいてください。
この時点で、資料に出てくる金福童と慰安婦キムハルモニは同一人物ではない事が分かります

これで終えても良いのですが、続きを。

このキムハルモニはもう20年近く活動している超ベテランさんなんですね。で、当初は「慰安婦として連行」だったのですが、これも使い分けがとてもお上手になり、国内や海外では慰安婦として連行、日本では挺身隊として、という言い方ですね。

ですが、1926年生まれで、14歳。数えなら1938年、満なら1940年。挺身隊も徴用もありません(女子挺身隊の徴用が始まったのは1944年8月から)。また1938年は慰安婦の募集も始まっておらず、ほぼ妓生として売られた人たち。そこには日本軍は塵ほども関与していません。


次に、証言では第15師団に居たと繰り返しています。ここはブレていないですね。ところがこの第15師団はビルマの部隊であり最終的には第15軍に編入され終戦をタイで迎える。そして、資料にある第16軍はインドネシアの舞台で終戦はジャカルタ。全く接点がありません。それではキムハルモニの記憶違いで、本当は第15師団ではなく第16軍にいたのかというと、それは公文書が否定するんですね。年齢から完全に別人ですから。

そして、第15師団云々はキムハルモニのいう戦地に向かわない事からも全て否定できます。


オーラルヒストリーの原則、というのがあります。証言に手を加えないで記録していく事が基本にあるんですね。辻褄が合わなくても、証言をそのまま記録する。これは確かに大切ですが、今度はそれを史実に基づき検証していかなければいけません。




中には想像力が豊かな人がいて、実はキムハルモニは第15師団ではなく途中から第18師団に居たんだ、という人もいます。第18師団なら台湾以外は全てキムハルモニのいう戦地を巡っているからだ、という論法です。ところが第16軍は第48師団が所属し第18師団は第25軍。この2つが交差することはなく、師団本部にくっついて移動していたと証言している事から、途中から第18師団に居たことも、いつのまにか第16軍に移っていたという事も絶対にあり得ない。
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一人を取り上げても調べれば直ぐ解る此の出鱈目ぶりです。




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