Nicotto Town


速水猛のブログ アルカディア「Ἀρκαδία 」


A2


A-2フライトジャケット(Type A-2 leather flight jacket)とは、第二次世界大戦中のアメリカ陸軍飛行兵に着用された軍用フライトジャケットである。略式にボマージャケットとも呼ばれたが、そのオリジナルの呼称は「夏期パイロットジャケット」であり、戦時中は操縦士にも爆撃機勤務の搭乗員にも着用が限定されていなかった。飛行兵達は自らのジャケットを、飛行中隊章や、背中に丹念に描き込んだアートワークで飾る事が多かった。

独立の「アメリカ空軍」が結成されたのは第二次世界大戦終結後。それまでは陸軍・海軍の航空部隊だった

A-2型飛行用ジャケットは、アメリカ陸軍航空隊により、1927年に採用されたA-1型飛行用ジャケットの後継として制式化された。型式呼称表では、軍務に用いるに当たっての試験の日付を1930年9月20日と記録しており、制式化(標準的な任務に採用される)は1931年5月9日だった。A-2型のための軍仕様番号は94-3040である。製図用番号は31-1415が与えられた。ただし、ジャケットに縫い付けられたスペックラベルには30-1415と記されている。

1943年4月27日、A-2は限定採用品に指定された。これは勤務中の部隊が補充品としてだけ発注できることを意味していた。新設部隊は、B-10型かB-15型のような布製ジャケットを支給されることになっていた。アメリカ陸軍航空隊の第13級カタログでは、この衣服を「ジャケット、飛行用、型式A-2」として簿載し、スペックナンバー94-3040を付記している。カタログではジャケットの構成を、「防水した茶色の馬のなめし皮、編まれた袖口覆い、および腰帯(裾)」と記述している。構成上はA-1と同様であるが、A-1の前中心のボタンはジッパーに、ポケットフラップのボタンは隠されたドットボタンに変更している。(とはいえ、少数のA-2極初期型はボタン式のポケットフラップだった。)A-1ではリブ製の立った襟はボタン+ループで止められていたが、A-2では、シャツカラーの革製の襟と、隠れた留め金、および喉の位置に設けられた鉤ホック方式の掛け金に変更された。肩部分にはエポレットもデザインに追加された。サイズは、32から54まで、2インチピッチで登録された。

 

実際の仕様は製作した会社によってわずかに異なる。また一つの製作会社における契約の中でさえ、すべてのA-2ジャケットにはいくつか際立った特徴がある。両脇のドットボタン式のフラップがついたポケットにはハンドウォーマーが付けられていない。その理由は、ポケットに手を突っ込むことは、軍人の仕種として不適当であった為である。シャツスタイルのスナップダウン形式の襟、肩章、編んだ袖口と腰帯、衣服にかかる張力を制限するために一枚革で作られた後ろ身頃などがある。軽量の絹または綿製の裏身頃、後ろ襟ぐり裏には軍用の性能タグが付けられた。第二次大戦前は、襟は、ワイシャツのように、台襟付きの型紙だったが、台襟無しの型紙に変更された。しかしラフウェアー社とペリー社は、製作にあたり、ずっと台襟仕様の襟を使い続けた。

戦前から戦時中に作られた、大部分のA-2はベジタブルタンニングまたはベジタブルとクロムの混合なめしによる馬革で製造されたが一部のA-2はヤギ革(海軍のG-1ジャケットのように)や牛革(同じような仕上げで色つけされると、これは馬のなめし皮の製品と類別するのが非常に難しくなりうる)から製造された。スピーワック社とドニガー社製の全てのジャケットはヤギ皮から作られた。またこれは多くのケーブル社製品、デュボウ社、ブロンコ社、ペリー社とラフウェアー社製品にも例が挙げられる。

戦時に供給されたA-2ジャケットは、広範囲で多彩な色展開で作製されたが、大別すると2種類ある。アザラシの色・シール(ほとんど黒から暗褐色)およびラセット(赤褐色からミディアムブラウン)である。大部分のシール色のジャケットは、戦時中に摩耗と退色を防ぐためラセットから再染色されており、いくつかの契約では、航空用皮革21996のように、当初からすぐにシール色に染められた。一般的に最初のニットの袖口は地の革にぴったり合うかそこそこ適合した。ただ例外的には、航空用皮革の錆びた赤色に、暗褐色の袖口という組合せの製品も存在する。

オリジナルの仕様書では、初期のA-2は、裏身頃を絹で製造する事とされた。これは絹紡糸(細くて通気性のあるシャツに似た織地)のようである。後に、裏身頃は綿に変更された。1939年1月7日付けの、ライトフィールドに置かれた材料部からの手紙では、飛行用ジャケット裏身頃に絹の使用を停止したことについて「その入手が困難な事が判明した為。」と述べている。手紙では、この事態がいつ生じたかを言及しないものの、しかし、これは大多数の初期につくられたA-2ジャケットが綿製の裏身頃を使用している。

ジッパーは鋼または真鍮で製造され、また少数がメッキされたニッケル製だった。名の知られたジッパー供給元はタロン社、クラウン社、コンマー社とクウィック社であり、中でも戦時のA-2生産については大多数のジッパーをタロン社が供給した。

現代のような大きい着心地のジャケットと異なり、原型のA-2の外観は、今日の我々には、むしろ締まった着心地のジャケットであるように見える。又、当時の写真と映画では、体に良く適って着用されているジャケットが示されている。これはきつめに外見が見えるか、または少々大きめのサイズで、体型に不似合いである。これは原型のA-2が、当時の痩せ型の男性に適合するよう作られており、現代の男性の着用には肩がきっちりと合いすぎるようである。これは、特に戦前に契約された衣類、例えば1933年のウェーバーと、1938年および1940年の航空用皮革にあてはまる。当時の写真と映画からは、通常、A-2はシャツ、もしくはシャツと航空服の上に着用されていた。航空兵は、冬期の作戦または高高度の任務では、通常ムートンレザーのジャケットか、電熱航空服に着替えた。

 

アバター
2015/12/26 10:02
あのね、お友達と広場の人に、
ニコ彼はやめたほうがいいって言われたから、
やめてもいいかな・・・
悲しいのはわかるけど、
(悲しくないかもしれないけど)
怖いから・・・
ルミにも相談済み・・・
まだ返事はないけど・・・





Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.