水木しげるさん、合掌。
- カテゴリ:ニュース
- 2015/11/30 21:38:49
☆水木しげるさんが死去、93歳 漫画家で文化功労者
URL http://news.nicovideo.jp/watch/nw1919350?news_ref=nicotop_topics_topic
引用:
「ゲゲゲの鬼太郎」など独自の妖怪物で知られる漫画家の水木しげる(みずき・しげる、本名武良茂=むら・しげる)さんが30日午前7時ごろ、多臓器不全のため東京都三鷹市の杏林大病院で死去した。93歳。鳥取県出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。
:引用終了
生きる文化人とまで言われている水木しげるさんが亡くなるなんて・・・。最近は本当に亡くなる方が多いですが、水木しげるさんの訃報にはとてもビックリしました
。小さい頃はゲゲゲの鬼太郎を見ていたことがあるので、今回の報告は非常に残念です。心からご冥福をお祈りします。
「ゲゲゲの鬼太郎」水木しげるさん 多臓器不全で死去 93歳
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「ゲゲゲの鬼太郎」などで知られる漫画家の水木しげる(みずき・しげる、本名武良茂=むら・しげる)さんが30日午前7時18分、多臓器不全で東京都内の病院で死去した。93歳だった。鳥取県出身。
水木さんは11日に東京都調布市の自宅で転倒。頭部を強く打ち、入院していた。葬儀は近親者で行い、後日、お別れの会を開く。喪主は妻の武良布枝(むら・ぬのえ)さん。
高等小学校卒業後、漫画家をめざし、大阪で働きながら漫画を学び、戦争中は陸軍の兵隊としてニューギニア方面に出征。戦後は一時紙芝居を商売にしていた時代があった。
1958年に貸本漫画家としてデビュー。「河童の三平」「悪魔くん」などを発表し、「ゲゲゲの鬼太郎」が「週刊少年マガジン」に連載され、妖怪を扱う人気漫画家となり、テレビアニメ化されてからは妖怪ブームが巻き起こった。
幼少時に妖怪の話を教えてくれた老婦人との交流を描いた自伝的なエッセー「のんのんばあとオレ」(後に漫画化)や「水木しげる 妖怪大画報」のほか、「総員玉砕せよ!」「娘に語るお父さんの戦記」など、戦傷で左腕を失った自らの戦争体験に根差した作品も多い。
幼少期を過ごした鳥取県境港市には愛着があり、93年には「水木しげるロード」が設けられ、03年には「水木しげる記念館」が建てられた。10年には妻の布枝さんが書いた「ゲゲゲの女房」がNHK連続テレビ小説として放映され、その生きざまが共感を呼んだ。91年に紫綬褒章、03年には旭日小綬章を受章。10年文化功労者。
「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる漫画家の水木しげる(みずき・しげる、本名武良茂=むら・しげる)さんが30日午前7時ごろ、多臓器不全のため東京都三鷹市の杏林大病院で死去した。93歳だった。
11日に東京都調布市の自宅で転倒して頭を打ち、入院していた。
鳥取県境港市出身。太平洋戦争でニューギニア方面で爆撃を受け、左腕を失った。復員後、貧しい生活の中で画家になる夢をあきらめ、紙芝居作家などを経て上京し、漫画家になった。
妻の布枝さんとはお見合いで結婚した。貧しいながらも手を取り合って生き、やがて人気作家になっていく2人の生活は、2010年、NHKの朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」でドラマ化されて人気を集めた。妻の武良布枝さんの同名エッセーが原作。水木さん役は向井理、妻の布枝さんは松下奈緒が演じた。主題歌のいきものがかり「ありがとう」は大ヒットし、この年の紅白歌合戦にも選ばれた。
水木さんは1965年に「テレビくん」がヒットし、それまでに描いていた「ゲゲゲの鬼太郎」も人気に火が付いた。少年漫画誌で連載されたほか、その後もたびたびテレビアニメ化され妖怪ブームを巻き起こした。ほかに「悪魔くん」「河童の三平」などがある。自らの戦争体験にもとずく、反戦の作品も多い。
1991年紫綬褒章、96年日本漫画家協会賞文部大臣賞、03年旭日小綬章。10年には文化功労者に選ばれた。葬儀・告別式の日取り、喪主はいまのところ未定という。
93歳はふつうの人なら大往生なのかもしれませんが
まだまだ死なないと思っていた水木さんの場合
早すぎるって感じです
杏林病院、以前近くに住んでました