Nicotto Town



見た目より深い歴史


福沢諭吉の「脱亜論」が書かれた様に
其れを書かざる得ない人達のかかわりが日本にある。

日本人は彼らとのかかわりによってどれほど醜い人間性を
彼らによって見らされて来ただろう。

悪夢の様な「女子高生コンクリート詰め殺人事件」は
長期に渡っての拉致リンチと言う陰湿な所業と同時に
それらを知って居ながら犯罪者を隠した
或いは犯罪に加わった加害者側の人数の多さが
特徴だった。
組織だって赤旗と言う新聞が其の化けの皮を剥がして
我々に見せた姿こそが延々と続いている共産党の
組織と其れに係わる人達の悪行と陰湿さを表していた。

其れは私達の本当にリンチ殺人被害者は表に出た
其れだけなのかと言う疑いの目を
常に彼らに浴びせて居なければならない現実であり、
今後も何時行われるかもしれないので彼らを警戒
しなければならないと言う意識なのだ。

今回「安保法制」によって「反対」を主張した彼らの
自分達の其の本性を隠して「綺麗事」を並べ立てた表の姿に
騙されて彼らにうっかり近づいてしまった人達の中に
彼らの本性の被害者が出なければ良いがと願うばかりである。


私は数十年前から自分の近隣の人が旅行に行って
話す欧州へ憧れていた。

しかし其処に長期に留学した人の印象は旅行で
行くのが良いと言う事で長期に住む事を薦めなかった。

其の実態は憧れから見始めた当時は掲示板と呼ばれていた時代から
各国に住む人達の決して泣き言をかいているのではない現実を
受け入れる中での出来事が書かれていた。

其れは歴史から来る根強い「どこの国にも在る現実的な差別」である。
其れは住めば都とは別に解る住めば解る「差別」で在った。

欧州には植民地を支配した歴史があり
現地の肌の色の違う人達を超低賃金で指定した居住区に
住まわせて働かせた歴史があった。


白人同士でもオーストラリア人が自国の歴史について
北海道を「網走監獄」が有名な為に犯罪者を島流しにした
歴史と誤解して「犯罪者」を何百年と渡って流し続けた
島と誤解した様に彼らもせんぞは犯罪者と言う「差別」が
在る事を伏し目がちに言った。

私は尽かさず「政治犯」を専門にオーストラリアに連れて行ったのか?と
聞いた。
其の意味がオーストラリア人の彼には解らなかった様だ。

確かにアメリカの鉄道開拓に犯罪者が過酷な労働に付かされたように
北海道の歴史の中に同じ様な側面がある場所が在る。

だが、もう一つの大きな側面は明治維新に在るだろう。

日本の歴史に取って大きな分岐点となった明治維新で
消えた侍はどこへ行ったのか?

詰り幕府側の侍達はどこへ行ったのか?

其れは何時組織だって集まって反乱を起こしてまた
クーデターを起こして軍事政権、すなわち幕府が納める政治。
即ち将軍が政治の決定権を持った時代に戻すとも
限らない大きな存在として残った旧幕府側の侍達は
何処へ行かされたのかと言う事だ。

所謂旧幕府がの侍と言う政治犯たちである。

彼らに与えられた過酷な運命は遠く離れた海を越えた場所で
船の行き来の時にチェックをすれば良い場所の北海道であった。

北海道開拓と言う命令を与えられて組織的に此の極寒の地に
送られたのである。

そして日本の残っている多くの城跡が在る様に
明治政府によって旧幕府側の城は破壊されたのである。

だから北海道には必然的に元侍の先祖を持った家が結構ある。


しかしイラクに取って旧フセイン派、所謂スンニ派の人達を
一緒にイラクに住まわせながらイラクを民主化するにあたって
フセインを処刑するだけで其れが成り立つほど甘くは無い。

しかし、当時のイラク戦争は「アメリカの石油の為の戦争」では
無かったのである。
糞左翼がさもアメリカ批判の理由に嘘を言いまくった
「アメリカの石油の為の戦争」は其の後の直ぐに始まった
シェール石油の採掘によって日本に居るマスコミの自称コメンテーターの
嘘が、自称有識者の嘘がばれたのである。

確かにアメリカは其の勢力を出した分の見返りの石油は貰った。
が、それと同時に中東からアメリカが必要の無くなった中東の石油の為に
アメリカ軍が引き上げる為の戦争だったのだ。

湾岸戦争の様な事が起きない様にと言う名目で中東に展開していた
アメリカ軍が中東の石油を円滑にアメリカに運ぶために居た
アメリカ軍を其の必要がアメリカに無くなった為に引き上げる為に
サウジやクゥエートなどから頼まれた戦争だったのだ。

其れはイラクの民主化だった。
フセイン亡き後のイラクの民主化の為には
元スンニ派の多くの兵士の一門を当時の幕府側の藩を侍の家を
組織的に北海道各地に別けて点在させて北海道開拓と言う命令を
与えて船の出入りでチェックすると言う政策が取れなかった。

其の為にイラク国内でスンニ派と言う一つの思想の生き方の
根本をからある人達を説得してシーア派とイラクの未来の為に
矛を収めて此の国を作り上げて行くと言う説得に応じさせた。

其れがシーア派とスンニ派の共同の政府をつくると言う説得であった。
所がアメリカが引き上げると同時にいや、其の前からイランがシーア派を
後押ししてイラクをシーア派の国にしようとした事から
実質矛を収めたスンニ派は裏切られた結果になった。

現在のシリアの裏に何度も国連で解決させようとしても
しても拒否権を使って其れをさせなかったロシアと中国が在った。

日本で「カンボジアの虐殺は無い、あれはアメリカの流しているプロパガンダだ」と
言って居た反日左翼マスコミの主張はどこと繋がっていたのかだ。

何度もカンボジアの内紛を解決しようと国連の議会にかけられたのに
中国の拒否権であの状態になるまで何もできなかった国連。

あの大虐殺をおこなったポルポト政権は中国の傀儡政権で在った。

あの「カンボジアの大虐殺は無い、アメリカの出しているプロバガンダだ」と
言ったマスコミと今のマスコミは何ら変わっていない。

其のままのマスコミの組織なのだ。

あれと同じ事を日本でまだ彼らは嘘の発言をもっともらしくやっている。

此れだけ書いてもまだマスコミのキャスターの発言を
そして自称有識者の発言をそしてコメンテータのもっともらしい所謂「綺麗事」を
信じるのですか?

そして其のマスコミの本性は牙を日本人に向いたまま
其の工作活動は現在進行形で続いているのだ。

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2015/10/12 21:51
しゅぽぽ様
いらして下さってありがとうございます。
たいした事をかいてないのですが、日本人の本音を書いているつもりです。
「綺麗事」を言うのは簡単です。
善良と見られようとすれば「平和」だの「愛」だのと言って居れば良いでしょう。
でも、「本当の平和は武器を捨てる事」では無いのです。
チベットで無抵抗な人が虐殺されました。
旧ソビエトが北方4島を侵略した時は8月15日以降です。
白旗を振っている僅かに国境に居た日本兵は其のまま殺されました。
そして彼ら旧ソビエト軍は日本兵が居ない村から襲って虐殺して行きました。
皆殺しです。まず食料と自分達が安心して駐屯する陣地を確保する為にです。
そして他の村のどこかに居る日本兵の居る所に助けを求めに行くのを防ぐ為です。
捕虜は必要なかったのです。

中国がフィリピンから米軍が居なくなってからフィリピンの島を略奪しました。
米軍が居るから狙われるのと言うのは嘘です。
アメリカと本気で戦争をすれば中国は甚大な被害を齎し、
其れは中国の現政権の危機になるからです。

「武器を持たない平和」とは「敵に取って自分達に被害が少なく其の土地を略奪できる場所」と言う
側面を持ちます。

敵の工作員は其れを相手方がしてくれることを望んで居ます。
だから、言葉巧みに侵略しようとする場所が侵略しやすい様にしようと
あの手この手で巧みに騙して侵略しやすい様な所を作ろうとします。
その手に引っかからない様に注意しなければなりません。

本当に「人権問題」を主張するのなら中国がチベットで行っている事を批判しない人達は
可笑しいと思いませんか?
中国がこれまでやって来た事を批判しない「平和主義者」は可笑しいでしょう。
戦後虐殺と侵略をやり続けているのが中国なのですから。
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2015/10/12 02:25
のたもたさん こんばんわ

ブログ広場で お見かけし  初めて 訪問しました
のたもたさんの ブログの内容が濃ゆ過ぎて 
こんなコメでしか残すことが出来ない自分がいることを 感じています
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