Nicotto Town



とまらないざわつき

来月に入ると祖母を介護し始めて13年目になります。

祖父が亡くなってからなんとなく内にこもるようになって
でも2年くらい経つといつもの祖母に戻って当たり前の日常を送っていたけど
それから数ヶ月もすると一見普通なのに妙に怒りっぽくなってたり
何かおかしいと思い始めてそこから言動とかを観察して一時は鬱?とも思ったけどやっぱり違う。
本来無かった健忘と粗暴性も現れて。ときには「物が無くなった、泥棒が出た」と
騒ぎ始めたり、やたら外に行きたがる事が多くなったり、薬を飲んだと嘘を付いて溜めこんでたり。
決定的だったのはトイレに行くのをあきらめて手近な場所で済ませる・済ませようとする
異常行動を確認して初めて精密検査をして・・・。ここまでで6年。
アルツハイマー病と分かってケアマネなどを入れて本格的に見始めたの実質7年前から。

その間色々あった。己のする事全てを正当化する祖母に母と共に腹を立てて口喧嘩もしたし
あまりの異常さにもう全てを受け入れられなくなって、怒りまかせで手を上げかけた事も正直あった。
みんなとテーブルを囲んで出来ていた食事も端の使い方を忘れスプーンに変え
スプーンを忘れたら今度は手づかみでも仕方ないと介助しながらやってきた。
そんな衰え期にさしかかった3年前の年末に転倒して鎖骨を骨折してしまい
足の骨折ではないのに自分のイヤだと思ったことはとことん放棄するという
アルツの弊害で正月の元旦から寝たきりになられて右往左往。
たった二日で床ずれを作られてしまって泊りがけで体位換えを徹夜でやって
なんとか介護事業者が動き始めた1/4にベットにエアマットにと
全てそろえてもらってホッとしたのも束の間、今度は下の世話との戦い。
ヘルパーさんにも助けて貰いながら出来るだけ今までと同じ日々を過ごして
よくしゃべって笑う祖母を見れるだけで満足だった。

つい先日までそれが当たり前だったのに急に様子がおかしくなって
今年の夏負けと血糖値の不安定さで原因不明のお腹が異常に膨れる事態に
救急車を呼んで病院に担ぎ込まれ、入院前の処置でおしっこが1.5Lも溜まってた事実に直面
元々便秘持ちだと知ってて、いままでもそれで対応できてた僕らは「便さえ出せれば」と
思っていたのが実は膀胱。スッキリした祖母はそこから容態も安定して今も元気になってるけど
医者から言われたのは排泄に関しては医療処置を受けるレベルまでアルツが進んでるという事実。
「むしろ今まで家族だけで看てきたのが脱帽のレベル」と褒め言葉を頂いたけど
心のざわつきが止まらなかった。

一度大きな病院に来た以上はこうなったら一度全部検査してもらおうとお願いして
年齢的なことも考えて9/4に入院してからやっと昨日までで全ての結果が出た。
内臓疾患的な問題は何一つ無い健康体でこれも脱帽レベルと言われホッとしたけど
血糖値が異常な跳ね上がり方をしててこれが今回の急変の全ての元凶。
コントロールがかなり難しい状態にあると出た。そして、一番聞きたくなかった言葉

「この状態だと、長期的な療養が出来る医療機関で過ごした方がいいでしょう
 排泄ももちろんだけど急な処置が必要になる状況もきっと出てくるでしょうから
 今まで看られてきたご家族も介助はもう任せて、むしろ顔を見に行くということで
 でも何もしなくて良いってわけではないですけども、少しは楽になれますし
 紹介状は出せますから一度ソーシャルワーカーと相談してですね・・・」

途中から何も聞こえなくなって頭に中でいろんな事が回った。
違うんです。違うんだ先生・・・。楽とかそんなんじゃないんだ
それを選んでしまったら、認めてしまったら・・・。それが祖母がそう簡単には家に戻れないって
いや、もう病院暮らしになっちゃうって事だよね・・・?あの家にもう祖母がいないって
今まで無理してなかったの?って言われたら無理してたよ。
全てが祖母優先で毎日が回ってた。でもそれは祖母が、う~ん・・・もういいや

”僕にとって最後のばあちゃんがいる実家を守り続けたかった”んだ

僕が生まれた時には父方の祖父母はもういなくて、僕には母方だけだった。
あの当たり前のことを、景色を、思い出を壊したくなかった。
その目的の為なら無理も無理じゃなかった。自分の時間も楽しみも捨てたって平気だった。
そして実際そうしてきた。守りたかった。
いつだったか「お前は情が強すぎる」って叔父に言われた事がある。
だったら僕らが大変だった時に助けてくれたか?と、外孫の僕が母とがんばってる中で
あんたの子供は同じ孫なのに当時は未成年で介護には一切関わらず、寝たきりになってからは
顔も見せてないじゃないか。そして成人したと思ったらさっさと結婚して所帯もったじゃないか
そしてさっさと子供まで出来てあんたじいちゃんになったじゃないか
恨み辛みは言いたくない。でも他にも兄弟居るのに母だけで看てて他は助けてくれなくて
そんな状況見てたら「俺が助けなきゃ」って思うのは当たり前じゃないか。これが情だよ
ただ僕が情が強いからだけじゃないんだよ・・・
あえて言うなら、ばあちゃんを看て来たから優しく接せる人になったんだよ

ソーシャルワーカー含めこれから後のことは全て叔父に一任した。
僕はあくまで嫁いだ母の息子であって、実家と同じ性ではないし背負ってもいない。
むしろこういう最大の選択の時に思いきり今まで何もしなかった分を働いて下さい。
僕はもう今まで何度となく悩みながら祖母のためにしてきた決断はもうしません。
今度の事が祖母にとっての最良の事となるのは重々分かってるけどあえてしたくない。
ばあちゃん許してね・・・これが僕の最初で最後の抵抗だよ・・・でも波風は立たないよ。
ばあちゃんさえ穏やかに過ごせるならそれでいいんだよ。笑っててね。

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2015/11/20 23:05
お元気ですか^^お久しぶりです。

色々大変そうですね、私が介護してる時は色々とアドバイスしていただいたり、教えて頂いたりありがとうございました

でも、本当にお疲れ様でした。これからどうなるか分かりませんが少しゆっくり散歩してみては^^

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2015/09/27 20:03
お疲れ様^^
決断の時が来てたのね。。。

よく看てよく頑張ったよ☆13年も!
今の時代、家でお迎えを迎えれる人は少ない。おばあ様もわかっているはず…

今度は、カンちゃんの未来を考えなくっちゃね♪
介護も料理もできる!引く手あまただよ☆



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2015/09/26 11:48
こんにちは^^

人を行動に駆り立てるのは情。愛情、無情、非情。どれも人を動かします。
人を動かし続けるのは理。有理、無理。どれも人を走らせ続けます。

kantaさんは介護の中で人よりもたくさん、情と理を繰り返してきたのだと思います。

とまらないざわつきは、情と理が対話をしていること。
これでいいのか、これでいいのだ・・・

今はkantaさんが休むときです。
心の波立ちがおさまるまで・・・




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