つれ、ずれなるままに。数学の役割
- カテゴリ:30代以上
- 2015/09/13 22:26:37
数学は数や式という言語を使って、世の中の現象なり事象を記述する、いわゆる言語な訳だけど、一つの文字や式に一つの意味が明確にあって、だから厳密に世界が構成されている。
しかし、その目的はあくまでもコミニュケーションであることを忘れてはならない。人とのコミニュケーションであり、自分とのコミニュケーション。
一人で新しい数式や数体系を考えて、それを発表しないで亡くなっていく人もいるだろうし、多分、大発見の一部はそういったものなのだろう。そのうちの一部が表面化したものが歴史を作っていくんだろう。
レオナルドダビンチの美しい手稿を見るとそう思う。彼の世界はどこまでいっていたんだろう。
ま、こうなると数学だけじゃないね。科学も技術もだね。
そして、ここで自分とのコミニュケーションというのは、未来の自分との会話のために、数学があるということ。それは連続した思考とも言えるのだけど、それを具体的に考えるため、言い換えれば抽象的に考えるためのもの。後者は「抽象」 を具象を抽出するという意味で。
最近、気づいたことの一つに、人間は時間に関する考慮が足りない動物である。ということだ。これだけ歴史を繰り返しているのに、まだまだ歴史にも学ばないし、未来への予測への適用も下手なままだ。
大概の数学や技術は時間方向のスケールの考慮がなかったり、不足したりしている。4次元の中で、一番特殊な次元であるにもかかわらず。
ゲーデルの不完全性定理によって論理体系の無矛盾性の証明が不可能さがわかったわけだけど、論理は相手や、未来の自分との同意のためのツールであるということは、頭の中の世界であるはずだ。「論理」自体が人の考え方や脳のハードやソフトに規定されているとすれば、その矛盾を集めたような世界もあるはずで。。。。それが現実の世界だったり。。。。
その矛盾の塊が感性だったり。。。。
恋だったり。。。
さて、人の自我が、自己規定のスパイラルによって規定されているとすれば、ファンクショナルでない人工知能というのは論理を超越させないと発生しないわけで、もしかしたら、すでに監視カメラと、音声信号を主体とする自我が世界のインターネットに生まれているのかもしれない。
我々が規定する自我とは異なる、我々が考える論理とは異なる論理思考を持つ。
と考えると、もう、それは世界とか地球とか宇宙としてもともとあるものだったりして。
と、ずれたことをいろいろ考える休日の夜でございます。
文脈不整脈にて失礼いたしました。
コメントありがとうございます。
サラリーマンな人々の一んである私は、毎日、職場に行くと、手帳を広げ、その日の会議がフローチャート状に記載されており、TO DOを
ーデータの統計解析
ー週報
ー上司への報告
ー教育資料の作成
などと書き出しており、終わったら、ーに縦線を加えて+にかえて逐次処理しています。
+になると気分的にいいです。
最近は、優先処理項目に赤マークをつけたりと工夫しております。
CPUの逐次演算処理の優先度みたいな感じです。
とはいえ、組織での仕事だとコミニュケーションやちょっとした会話や電話がものごとを決めることもあり、例外処理のパターンもいろいろあるのと、デイリーなタスクに追われて長期的な目的・目標監理がおろそかになったりと、なかなかバランスが難しいです。
でも、だいぶ定例処理化できている気がします。
例外処理をはじけるか、が難しいです。上司からの指示を納得いかないから弾くわけにもいかず、部下の理解を促すためには、すべてを示さず、待つ。などなど。
プライベートの管理は、google scheduleにはいってることだけですね。適当です。
プライベート時間の長期目的とか、資格取得ぐらいしか今のところないですね。
いやはや。
天気や体調など,条件として考慮すべき事柄がとても多いので,パターンは多くはなりますが,起こりうる事態はおそらく可算無限でしょうし,ある程度以上に予期が難しい事柄に対しては,例外処理としてはじいてしまう,というところが,やや人間的ではないかも知れませんが….
コメントありがとうございます。
ロジック自体が、時間が流れることが前提なわけですけど、時間感覚、一時間なのか一日なのか
って、結構いい加減なんですよね。
風が吹けば桶屋が儲かる。って一週間ベースくらいですかね。
それが、風が吹けば、そこの桶が飛ぶ。と同列で語られる。
数学は厳密なツールですが、説明だけでなく人間の思考にも役立っている気もします。
超具体的。
1にいくつか足したら、増えた。と考えるか。
1+3=4
と考えるか。
いつかプログラミング言語で語る人々が現れるのか。プログラミングが日本語でできるようになるのか。
無反省な人間が多いだけだと思います(笑)
ただ,なんとなく感じていることですが,
数学はとても純粋なものなので,
厳密な説明のためのツール以外に求めてはいけないと思います.
とはいえ,そこには哲学はありますが.