電車の中で
- カテゴリ:日記
- 2009/09/09 20:32:43
電車の中で年配の男性が三人、ほぼ横並びで話をしていた。
みんな白髪で、どちらかといえば小柄だ。
駅に着けば開く扉の前に陣取っている。
降りるのに一苦労するな、と思わせた。
阪急電車の今津線、西宮北口から宝塚に各駅で向かう。
閑静な住宅街と私立校が点在する。タカラジェンヌと乗り合わせることもある。マナーの悪い人は少ない、というよりそんな雰囲気ではない。
お年寄りと呼んでもいい男性達の声は大きい。
空いている静かな車内に響き渡る。
笑い声が混じり、楽しそうに会話が弾んでいる。
北京語だ。
テンポのいい異国の言葉が流暢に行き交う。
ここはどこだろう。
胡同(フートン)…。
何度か行ったことのある中国、北京の下町に迷い込んだ錯覚に陥った。
降りる駅に着いたので、わたしは軽く頭を下げるようにして、男性達の間に立った。
一人の男性が、ほらほらというように、他の二人に指示をして道を開けてもらった。他の二人はオオ…と言う感じだった。
悪意は全くない。それよりも何か微笑ましいものが残った。
三人とも、旅行で来た感じには思えなかった。
日常の暮らしの中で、友人を訪ねていく道連れという風情だ。
謎は行きつけの美容院で解けた。
美容師さん口から中国残留孤児の皆さんの話題が出た。
帰国後、何十年も引きこもった人が多い。言葉が分からないのだ。
行政が手助けをしてこなかった。仕事にも就けず、地域社会にも溶け込むことができず孤立したままの生活をしているという。
宝塚にボランティアでやっている日本語教室があるらしい。
そこに向かう途中だったのかもしれない。久しぶりに合う仲間同士なら、思いっきり喋りたくなるだろう。
数日後、小電車の扉が開いても、真ん中から動かず、必死に立っている小柄なおばあさんを見かけた。簡素で地味な服装は周囲と馴染まない印象を受けた。
乗降客の邪魔になるが、それよりも不可抗力で誰かに当たり、転んでしまう危険性がある。
電車に乗るルールを知らない気がした。
扉の閉まった電車のガラス窓に、小学生のようなおばあさんの顔がちょこんと覗く。視線は伏せたままだ。
声を掛けるのをためらわせる頑なさみたいなものを感じた。
新聞やニュースで見る中国残留孤児
どこか遠い話のように思ってきた。
身近にたくさんおられるのかもしれない。
息を潜めるようにして暮らしているのかもしれない。
過酷な時代に翻弄され続ける人生を、今も過ごしておられるのだ。
わたしたちは歴史の何を学んできたのだろうと思う。
苦い。。
『嗚呼、満蒙開拓団』
2008年キネマ旬報文化映画1位
日経新聞の映画欄で珍しく5★でした。
観てきました。
感想は次回。。
次回感想を書く『嗚呼、満蒙開拓団』★が5つだったんです。
知らなかったなぁ。。という感慨があります。
過去の歴史って思いがちですが、まだご存命の方々がおられ
現在の問題でもあるんですね。
それを忘れがちになります。
映画を観て、電車の風景を思い出したんですね。
ああ、身近におられるんだって。。
いえ、わたしも知らないことばかりなんです。
どちらかといえば、わたしも狭い世界に住んでいるタイプの人間です。
何かをしたくても、その方法が浮かんできません。
ふとしたことが、目に留まることがあります。調べてみると
それが深い問題に繋がっていくことがあります。
驚きです。
身近にいろんなことが、実はあるんですね。
違う視点で物を見る。それだけで世界が変わることに
日々、驚いているんです^^;
辛い年月を重ねてきた人々に、祖国は優しくあったのか
どう見えたのか、それを考えると悲しくなります。
人生の終わりを穏やかに過ごしていただくためにも
サポート体制は国がちゃんと制度化していただきたいなぁと思います。
それと、何よりも、ご存命の間に、あの時代に何が起こり
何があったのか、わたし達が本当の話を聴き、考える時間も
あまり、残されていないことです。
歴史の被害者の証言を遺すこと
それは、未来への貴重な財産だと思えるのです。
たとえ異国の人でも、子どもであれば、教育を受ける機会与えてあげるのが
先進国と呼ばれる文化的な良心だと思います。
そういう援助や制度が本当に必要ですね。
それがあれば、その人が大人になり、故国に帰ったとしても
日本を懐かしく思ってくれるでしょうね。
ええ^^よく芦屋の寮におられたと^^
近くです。阪神間です^^
もしかしたら、どこかですれ違っていたかもしれませんね。。
時の流れは残酷で、個人の重大事も、置き去りに前へと
進んでしまいますね。
フィリッピンのブログ、とても感慨深く読ませていただきました。
ドラマにもなり、縁を感じずにはおれませんね。
わたし達は戦後を何不自由なく生きた世代です。
長い歴史の中で、第二次世界大戦の惨劇は、遠いものではありません。
まだご存命の方々もおられる、今に通じる大切なことなのです。
でも、わたしを含め、どうしてこんなに昔のことに思えるのでしょうか。
心理的空白を埋めるには、多くの出来事を知ることから始まる、
そんな気がしています。
生きるって大変だね。それぞれが離れて暮らし時間が長かった分
共に辛い思いが増すだろうし。。
満州やら残留孤児の方々、どこかすごくお年を召した方だけの話のように
思いがち。でも、その人たちがわたし達よりもずっと若い歳に
戦争に行ったり、親を殺されたり飢えで死んだ人をみたりしてきたんだね。
わたし達には歴史の遠い話でも、経験された人の中では
苦しみを抱えた少年、少女のままなのだと思います。
忘れてはいけない日本の歴史の一部にしないと、哀しいね。
見たいな事を見た気がします。それもその後は普段暮らしていると情報もないし、いつしか忘れていました。
きっと僕らにはわからないご苦労をされているんですね。手毬さんいつも観る視点が鋭く考えさせられます!
黒猫さんのブログを拝見すると
いかに自分が狭い世界にいるのかを実感します
人口の多い地域に住み生活している
さまざまな事情を抱えている人も多いはずなのにそれが視界に入らないのは
もしかしたら見えていないだけなのかもしれない
これだけ年月が経つと、孤児の方たちも高齢だし、サポートも難しくなりますよね。もっと早く、手厚く手を差し伸べるべき問題だったのでしょうか。
「祖国を一度見てみたい」という希望だけは、叶うようにと、個人的に思います。
中国残留孤児問題や北朝鮮
拉致被害と平和平和の日本
にも歪はまだまだあるですね。
小学生の頃、学校にも行けず
1人、中国のかた(当時は中
学生位?)がよく小学校に遊
びに来ていました。
言葉や文化の違い、援助さえ
あれば一緒に学校にも行けた
はずの人でした。
こういうケースの場合、国の
援助のなさが浮き彫りにされ
ますね。
案外お近くだったんですね・・・
中国残留孤児・・・・
子供の頃の記憶になっていましたね・・・・
たしかに・・・・
簡単にはコメントできなくて…ごめんなさい。
祖国(日本)に帰国し肉親と感動の再会ができたとしても、その後家族として
迎えてくれるかどうかは別。長い時がお互いの事情を変えてるからね。
9割の人が日本語を話せないらしいので仕事に就くのも難しいだろうし
生活保護と、数年前に制度が変わって年金受給出来るようにようやくなったようだけど
言葉がわからなくては、テレビすら楽しめないだろうし....
人の辛さや苦しみは、味わった本人しか分からないので
想像するだけだけど心が痛むな..
いつもあらためて考えさせてくれるテーマをありがとう。。
「花と兵隊」というこれまたドキュメンタリーを観ました。
終戦後、日本に帰らずビルマ(ミャンマー)に留まった未帰還兵の話です。
彼らがなぜ戻らなかったのか、理由は痛ましいものの
多くの人が南の島に根をおろし、土地の女性と結婚して
穏やかな老後を迎えておられるのが救いでした。
戦場であった南の島、日本軍が酷いことしたにもかかわらず
おおらかな気質というのでしょうか。隣国の中では掘り返しも
少ないようですね。
ラテンですね。良くも悪くもですね。
国籍や人種に拘わらず、合う場所で暮らすのが一番です。
好きな風土、国に暮らす自由。
すべてに人が持っているわけでもありません。
たとえ自由であっても、好きであっても
異国で暮らすには、生きていく力と柔軟性が必要です。
ヒロさんはそれを持ち合わせておられるのです。
それは、誰もが簡単に手に入れることができないものです^^
生きる国を選べるということは
とても贅沢なことだと、わたしには思えます。
ワテ、根無し草ですから、異国で暮らしてこちらに少しずつ根を下ろしてますわ。
日本と同じ島国ですけど、歴史が違うし文化が違う。 アジアで唯一のラテン国ですから、日本のように刺刺したことは、おまへんしね。
中国のようなしたたかな人も少ないし、エエとこですわ。
国策で満州に渡った人々。軍隊が真っ先逃げ置き去りにされたんですね。
国の責任は重大です。民間レベルで活動を行っている人々もおられるんです。
幸運にも帰国できた方々が中心となっているようです。
情報や時の流れは残酷ですね。
一時、中国残留孤児問題は大きなニュースになりました。
一通り落ち着き、仕方ないとはいえ、人々の関心は薄れて行きました。
昔、何があったのか、教育の中できっちりと残すべきものなんでしょうね。
おかえりなさい。お疲れさまでした。
ライダーさんは現在の中国の実情をよく知っておられますものね。
どちらかというと、腹立たしい思いをされていることが多いですね。
ビジネスで組むと本当に大変です。
日本の方が、インフラや個人生活の利便性は破格に優っていますが
何事もある程度の資金がないと、豊かさを実感できないのが現状ですね。
格差社会に陥りつつある日本。
言葉も習慣の違う異国のような故郷で老いていく…。
本当に難しい問題ですね。
今津線の補足ありがとうございます^^
わたしは生まれ育ったのが阪神間で、現在も住んでいるんです^^
確かに、絶対に席を譲りたくない感じのお年寄りがいますね。
阪急電車は優先座席表示を撤退し、全車両、優先座席です、という方針を打ち出した時期がありましたね。
すぐにそれでは無理ということになったのか、善意に訴えかけるのはダメだったのか
いつの間にか、元通りの優先座席表示が戻ってきてました^^;;
それで思うのです。若い人も空いているならば、優先座席に座ってもいいけど
お年寄りが前に立てば優先権は失われるのに、立たない人が多いですね。
これみよがしというのも、なんとなくすっきりとしないものです。
でも、やっぱり年齢と共に疲れるんですね。
母が身体障害者手帳を持っていおり、杖が手放せないんです。むろんパワー溢れるお年寄りも
おられますね^^;
やはりね、気になります。
ごく普通にできるようになるには、慣れることも必要ですね。
顔を真っ赤にして立ちあがり「どうぞ」と席を譲ろうとした女子大生
お年寄りの男性は頑なに「結構です」
年寄り扱いされるのが嫌な人なんでしょうね。どう見ても…なんですが^^;
それで心の中で思うんです。
「座ってやれ!」
最近までわたしも気付かなかったんです。
歴史的なものを抱えておられる方が近くにおられることを…。。
あとは、行政がしっかりとケアしてあげるってのが必要なのはもちろん、もっと民間レベルの理解と強力が・・・
数十年たっても・・・
うう
彼らにとって日本は祖国であり異国なのですから
日本に来る前の思い描いていた事と
現実のギャップに絶望感を抱く人もいれば
早々と日本の水になじみたくましく生きていく人々
中国へ出張する機会の多い私
彼らの日本のイメージは暮らしやすく豊かな国
中身は本当にそうなのか
考えさせられる問題です。
ご存知ない方向けに補足させていただくと、この路線は10駅程度の、いわゆる地方の小さな路線です。
西宮市の中枢部「西宮北口」からの乗客が多く、終点は宝塚大劇場のある「宝塚」。
時間帯や曜日によって客層は激しく変わりますが、この区間は昔から閑静な住宅街として知られ、お年寄りの利用も多く、窓から見えるちょっとさびれた風景もあいまって、車内にはのんびりとした空気が漂っています。。。。。
が、
お年寄りって、案外ずるい人多い気がするんですよねぇ、、。ボケたフリ、知らないフリをする老人が。
実は知恵の塊みたいなお方ばかりですから、うまいこと座ってる若者にプレッシャーを掛けて、席を譲ろうとさせたりとか、、。やり方はどうあれ、場面によっては図々しさを感じる方も多い気がします。
厚顔無恥。無知ではなく無恥。そう感じてしまうのです。
何をもって恥とするかなんて人それぞれですが、あの車内には、生きた世代の違いや育った環境の違いを感じてしまう何かが存在しています。それが理由で不快と感じるのが日常だったのですが、今日黒猫手毬さんの話を読んで、あの車内にある歴史的背景を思い出し、色々考えてしまいました。
「お年寄りには席を譲りなさい。」というのは、それらとは無関係で普遍的なこと。もう少し、気持ちよく席を譲ろうと思いました。
明日またインできないかもしれないので。
激しいです。。実際はしたことがないですが。
狭いのじゃないと思います。
たぶん、人の感情をすごく感じやすいので、影響するんじゃないでしょうか。
悪い意味での共鳴みたいな…。
たぶん、負けないくらい強く出て??
なんでわたしにそうさせる。。みたいな居心地の悪さ。
まぁ、これはわたしの話です。激しい所もあるんです。
日本は海に守られてきて、やっぱり基本大人しいです。
大陸で地続きで、いつ誰が襲ってくるか分からない恐怖と背中合わせで
生きてきてますもんね。
いろいろ大変だったんですね。
フラットに見れなくなっていると感じた時は
遠い国の似たケースを吟味して、それをそのまま引きずって置き換えると
どこに自分がこだわりを持っていたのか、よくわかります。
生々しい体験があると、人間ですもん、バランスを崩します。
もっとね、サポートが「受け入れる」と決まれば、必要だったんです。
望郷の念は、確かにあるんだと思います。
捨てられた感も、消えないモノでしょう。
日本は豊かに見えます。
実際に豊かなんです、豊かなのですが、その中で維持していく事に、みんな必死です。
その理解はしづらいと思うんです。
もっともっとニコヤカに受け入れられる状況への支援が、必要だったように思います。
個人は、良い人です。
悪い人の方が、人間少ないモノだとも思います。
ただ、「言い合い」をしなくてはならない場面に出くわした時に、
豹変するんですよね、民族の違いが露呈します。。。
韓国の方にしろ、朝鮮の方にしろ、中国の方にしろ、
その場に出くわして、闘わなきゃイケナイ場面が、私には多くて、
フラットに見る事が出来なくなっているのかもしれません。
これは、私が狭いのかもしれません。
根っこって大事。
海外に行くと当たり前だけど、自分が日本人だって思う。
この感覚にアイデンティティーが支えられているんですね。
本当に帰る場所。
根無し草だと、揺れ続けるね。
でも その“根っこ”を失ってしまった人は・・
・・これ以上書くと長くなりそうなので今夜はやめときます。
映画の感想楽しみしてます。^^
名古屋はブラジルの人が多いですね。
習慣の違いなどで、トラブルもあったり、言葉の壁で不登校になるなど
ニュースで見たことがあります。
日系ブラジル人の歴史も大変なものがあるようですね。
少し前、ブラジルには友好関係で移民した、いわば交換留学生みたいな感覚だと
思っていた、そこそこの歳の人に出会いました。。知らないとは・・・。
外国語を覚えるって、本当に大変です。地道な積み重ねですもんね。
ああ、英語ですら、お恥ずかしい限りのわたしです・・。
どちらで暮らすのがいいか、本当にわかりませんね。
住めば都と言うけれど、常に両方の国に心情は揺れ続けるのでしょうか。。
地域社会のルールを守るという基本的なことは、気持ちよく暮らしていくには重要なことです。
外見が全く違えば異国の人だと周囲も納得してくれるのですがね。。
老境に入ってから帰国されれば、漢字は分かったとしても(学校にも行かせてもらえなかった人もいて)
話し言葉の習得にはかなり苦労されるはずです。地域との繋がりもなければルールも
知りようがないですしね。
わたしも意識したことがありませんでした。
ふと、そういう視点で物事を見ると、もしかしたら…となるのです。
本当のところはわかりません。
残留孤児の方はたくさん帰国されました。
その後はどうされたのか、分かりません。
保障のお粗末さに裁判も起こっています。
知る、それだけで、見えてくるものが変わってきますね。
言わんとしていることはよくわかります。正直、生きることに対しての利己的な感覚は
すごいです。弱者への憐憫の情がないんです。文革の影響もあるし、凄まじい歴史を生き抜いてきた
国民性もあると思います。おカネと親族しか信用しませんし、仕事で絡んだことがあるのですが
頭痛を催すこともありました。
でも個人としては嫌いになれません。どこにでも良い人悪い人いる、それぞれ、巡り合わせなんですね。
人との出会いは。悪い人ばかりもいないし、よい人ばかりでもない。
わたしには一度も会ったことがない兄弟姉妹が何人かいます。
父方にも母方にも。母の記憶はほどんどないのです。
その母方の父違いの兄が突然訪ねて来たことがあります。
歳はかなり上でした。わたしはとても若かったし、実母に対しての愛着自体が希薄、というより
ないに等しい状態でした。ただ、ただ!!!。
実母の思い出を語られても、苦痛に近いものでした。どこかに捨てられたという感情がくすぶっていたのでしょうね。
それっきりでした。異国の人でした。
今思えばもう少し何かを言ってあげればよかったと後悔しています。
でも、あの時は仕方なかった。
共に暮らさなかった時間の長い肉親ほど厄介で、
割り切れず、罪悪感の入り混じるものはないと思います。
受け入れる側のキャパの問題もあるし、いわゆる個としての問題もあるでしょうね。
どちらの側に立つがで見えてくる風景が大きくかわります。
日本が豊かだったからというのは、否定できないと思います。
逆だったらどうか、となると、案外、それもあり得るかもしれません。憶測にしか過ぎませんが。
望郷の念なんです。生物の帰巣本能でしょうか。知りたいんだと思います。
実母への未練な想いは切り捨てたはずのわたしですが、歳を重ねるごとに無視できない、知りたいと思う
心情に傾いていくのです。たぶん、辿ったとしても何もないかもしれず
辛いことばかりかもしれません。それでも、いつか、行くんだろうと思います。
DNAの記憶、父母を知りたい、生まれた国を知りたい。
現実は厳しいものです。帰国した人も迎えた家族も。
その違和感を埋める保障制度は、国が与えなくてはいけないと思います。
言葉が違うってどれだけのストレスになるんだろうと思うのです。
オジサンたちは仲間がいたけど、おばあさんはひとりきりで、
窓からの景色だけが心のよすがだったのでしょうか…。
おきのどくにというだけでは済まないものがありますね。
実家の仕事でブラジルの方とふれるたびに「言葉を少しでも覚えて
安心させてあげたりしたいものだ」と思うのですが、なかなかできなくて…。
そのひとたちにはどっちが幸せ(中国にそのままいることと、こうして祖国に戻ることと)
だったのだろうかと思わせられますね。
祖国に行きさえすれば幸せになれると思ってやってきた人には、もしかしたら
もっと辛い日々の始まりだったかも、と思うと…。
電車に乗るときに、扉のところに二列に並んで待つのは、
我が家の辺りで電車を使う人からすれば、当たり前のことだったりします。
でも、列に並ばず、横から並んでいる人を割り込んで入っていく方もいます。
「何も知らない」方なんだって、思ってしまいました。
通勤ラッシュには、きっとご縁がなさそうな方だったから。
知らないよりも、知っておいたほうがいいことや、知っておいていてほしいことがあったりします。
知っている人は、知らない人に対して、きっと「どうして知らないんだ!」って、
お怒りになるかもしれません。
でも、知らないのは、仕方のないことだから
わたしは、知らないことを責めることはできません。
きっと知ってもらうことも大事……なのかもしれません。
すれ違うだけの人は、きっとたくさんいるけれども。
身近な人から、自分の土地から。
そしてわたしも、黒猫手毬さんから教えていただきまして……ありがとうございます。
わたしの中に、持って帰りたいと思います。
いまでも実際は、判断に困っています。
これが反対であったらどうだったのだろうか。。。を思うのです。
いまの状況の日本に残留してる人がいたとして、中国が祖国だとして、
はたして「帰りたい」と主張したかしら。。。って。
手段として、「祖国」と言っているだけではないかしら。。。と。
それでも、「祖国だ!」と言われれば、なにもこちらは言えない。
ただ、「祖国だ祖国だ」と言われて、受け入れた日本人家族のいきどおりと苦悩を
みる機会があって、なんとも言ってあげられなかった。
国民性が違うということは、本当に「日本人」のように自己主張を美徳としない国民は、
してやられたりもする。
中国が悪い、良いではなく、文化の違いなのだ。相違なのだ。
歴史上の悲しさは解る。
でも。。。と考える。
本当に、そこに人の心があるから、むずかしい。