山伏弁円と親鸞聖人のお話
- カテゴリ:小説/詩
- 2015/05/12 23:33:34
これからお話するお話は、住職さんに聞いたお話をほとんどそのままお伝えいたします。
さて、山伏弁円と言えば。
親鸞聖人をたびたび殺そうとされましたが、どの計画もうまく行かず・・・とうとう親鸞聖人の家まで行って、「親鸞、出てこい」と、怒鳴りこんだ人。
自分の信者を取られ・・・「わしはお前の事を考えると腹が立って、腹が立って仕方がないのだ。この怒りを治めるにはお前の命をもらい受ける」と、弁円。
それに対して親鸞聖人「そうか。わしもそうなのじゃ。朝、起きては箸の置き方に腹を立て、服が用意されていなければ、その事にも腹を立て、服の洗い方が気に入らぬと文句を言ってしまう。わしもほとほとこんな自分に嫌気がさしておるのじゃよ」と、言われる。
「え?」と、これには弁円も驚く。
「そなたもわしと似たような事で悩んでおるのか?」と、逆に聞かれる。
「そうじゃ。わしこそは誠の極悪人よ。どこを取っても救いようが無くてのお。救われるところなぞ、1欠片もありはせん。しかし、しかしじゃ。そんなわしでも阿弥陀仏は救われると言われておる。弁円、そのままのお前さんでよいのじゃ。ほれ、聴こえぬか。人殺ししか思いつかぬお前さんだからこそ、救わせておくれ。誠の極悪人だからこそ救わせておくれ。そう、言われておる」と、親鸞聖人は笑顔で弁円を見る。
「・・・」この後、弁円は泣き崩れ、親鸞聖人の弟子になった。
有名な話ではある。
ボクが住職から聞いたのはこんな感じのお話だった。記憶によるモノなので、かなりオリジナルに脚色した部分もある。
この物語から伝えたかった事は。
「そのままのあなたでいいんだよ」
そこから始めてみてください。
例えあなたが「極悪人」だったとしても
どうか。
否定をやめて・・・肯定の道へ。
それでもやめれない時は
最後のひと言だけでも
「でも楽しい」と、波動を変えてみてください。
それであなたの行き先が変わります。
タクシーの話はまた今度させてもらいます。
あい
此方に失礼します。
自分の心の傷はわかりません
本……ですか。
絆創膏はいつまでも使えるわけではなく
使い捨て。
絆創膏隣そうな本を見つけましたが
2日が精一杯でした。
前世の私はリルルさんに
対して偉そうにいろんなことを言ってた
みたいですね(苦笑)
今世の私は
今世のリルルさんに感謝しています
ありがとうございます。