ぐだぐだながーいよ!
- カテゴリ:日記
- 2015/04/28 17:48:26
またしても久々に出てきたかと思ったら
そういうのは中高生で終わらせとけ、みたいな
ぐだぐだ悩んでることとか書いてくよー。
どうしようもないって分かってるなら
ワードでも立ち上げてそこに書けって話だけど、
不思議なことにねー、ここの方が捗るんだよねー。
御目汚しごめんねー?
一応公開スペースだし、もしかしたら誰かが読むかも
って体なのがいいのかしらねー。
誰かに宛てなければ人は一言も発することができない
って誰の台詞だったかしらねー。
ちなみに実際は、世界でたった一人の生き残りの人間だって
誰も見ている人がいなくたって独り言は言うだろうし
怒ったり悲しんだりを表出したりするだろうけど、
これは自分の中にいる他者を想定したものだというんだよねー。
自己は私が最初に出会う他者である、なんてねー。深いねー?
……閑話休題。
えーと、行き詰まってます。
どこから書くべきかな? どこから書いてなかったかな?
まず、この4月、母が異動になったのです。
前から、今年は異動になるかも、とは聞かされてたのだけど、
もし通勤に時間がかかるようになって、残業が多くなったら、
受験生の弟のためにも来年度いっぱいは家にいて、
夕飯の支度やら家事の面倒を見てね、という母の予告、
それが現実になってしまって、がっくりきた。
私は夕飯の支度が嫌いなんだよ。この家に居たくないんだよ。
好き嫌いが多く文句も多い父や弟のため、メニューに頭を悩ませたり
未だトラウマ消えやらぬ父の一挙一動にびくびく従ったりしたくない。
さらに言うなら新しい部署に配属されて愚痴が多くなった母に
自分も疲れてるのにいちいち適切な相槌を探すのも嫌になってきた。
それにバイトだって、やめられるものならすぐにやめたい。
勝手な注文ばかりするお客を呪いながら、油にまみれて
ひたすらマニュアル通りの作業をこなす。なんて不毛な。
……からの自己嫌悪。どうして私はこんなに自分勝手で、
自分をすり減らすようにしてしか他人に優しくできないんだろう。
すり減った自分の欠片が積もり積もって喫水線を越えるようにして、
突然イライラが抑えられなくなってブチ切れ泣きすることも増えたなあ。
たとえこの生活を脱することができたとしても、今のままなら
私はどこに行ったって、いずれ自分で自分の首を絞めるように
その場所が息苦しくなってしまって逃げ出すんじゃなかろうか。
大学のように。和裁学校のように。初めてのバイト先のように。
山田ズーニーさんは言いました。仕事とは、他者貢献である。
他者かー。他者なー。
率直に言って、私は他者が怖い。他者と相対するのが怖い。
自分のどうしようもなく醜く駄目な部分が露呈することを恐れている。
それすなわち、自分を恐れているということでもあるんだよねーきっと。
自分でもよく分からないのは、匿名のネット越しでも
恐ろしさはあまり減じないってことなんだよね。
アバター越しでも、見透かされるのが怖い。
(そしてその屈託がかえってぎこちなさを生むという)
中二くさいけど、ペルソナが欲しい。……いや、ゲームの話じゃなくて。
他者は怖い。でも、他者の作ったものが好きなの。
創作物にどうしようもなく残る、作り手の息遣いのようなものが。
他者をその他者たらしめている血肉が透けて見えるのが。
また、人間が好きなの。人間を人間たらしめる、各々のかたち。
肉体は躍動し。言葉は恐ろしく。歌は流れ。心は神秘。
人間が好きで、人間が恐ろしいの。
だから、私は何かを生み出せる人になりたかった。
私が創作物やネット越しに誰かを想像するように、
これが私、の少なくとも一部です、と相手に差しだせるものが欲しかった。
人形越しにおしゃべりする内気な子供のような。
……てとこまで書いて気づいたけど、これ傲慢な望みだな。
無謬のペルソナが欲しい、なんて。あるわけないじゃん。
少なくとも何か生み出す努力くらいしてから言うべきだと思うよ。
ネット依存買い物依存で、余暇を食いつぶしてる暇があるのなら。
話が逸れたか。えーとつまり。
私がやりたい仕事……んーこれも引っかかる言い方。
他者貢献、のその意とは、誰かに望まれるままにただ目の前の仕事をこなし
自己になんて拘泥する間もないくらい他者に尽くして尽くして、
そうして歩んできたその道を振り返ったときに立ち現われるもの、
それが「天職」ってことなのだと私は思う。あくまで事後的な把握。
……まあしかし、この心身ともに脆弱でいろいろこじらせたこのわたくし。
できることなら、自分をあまりすり減らさずにいたいもの。ってのも甘えかなあ。
でもすり減らすだけじゃなくそのあとにメンがヘラるとかキレるとか
そういう副作用が待ち構えてるのがわかるから怖いんだよなー。
最近メンタルの方もずる賢くなってきて、ちょっとつらいとすぐ体壊すからな。
親には、また和裁を学び直したい、と言ってある。
でもこれは、やっぱりどうしても和裁がやりたい、とかじゃなくて、
わたしもぼちぼち三十路が見えてくるし、
ものになるかも分からん学問などに専心するよりは
一刻も早く自立せねば、という焦りによる消極的選択なのだ。
……いや。確か去年の秋の段階では、希望に燃えて
やはり私の道は和裁しかないのだ、などと思っていたはずだ。
でも悲しいかな、私の心は秋の空よりも移ろいやすく、
あと一年待ってね、とかお預け食らったりしてる間に
案の定、やっぱりこっちでいいのかな? と迷いだしてるのだよね。
この、自分の決心が何より当てにならないってのがね。
今興味のあることは言語学や文章表現の可能性だけど、
それだってあと半月後にはまた移ろってるかもしれないのだ。
この道、と思い込んで(思い込むのだけは得意だ)飛び込んだとしても、
やっぱりどうしても隣の花は赤く芝は青いので、
いつか心変わりする自分が想像できちゃうから
余計に二の脚を踏むのだよねー。
おう、2000文字超えてた。
そろそろあの呪わしい夕飯の支度もせねばならんし、
今日はこのくらいでやめておこうかな。
聞いてくれてありがとアロエリーナ(古い)。