震災の事。
- カテゴリ:日記
- 2015/01/17 19:22:31
阪神・淡路大震災から20年目の今日です。
大阪は天気は荒れ模様でした。あの日は雪が降ったと思います。
syocoはその年のお正月に夢を見たから。
雪の降る日に地底から巨大な怪獣かもしくはロボットが出てきて、地上をひっくり返した夢です。
初夢がこれでしたから・・・少し嫌な気分でした。
フリーランスでイラストの仕事をはじめて間もない頃です。
パソコンはなくて、手書きのイラストでした。
一台のファックスが仕事の相棒でした。その日、まだ寝ているsyocoは突然の横揺れに起きました。ファックスの受話器は落ちて、「受話器がはずれています。」と自動音が鳴り続けてました。
震度4の横揺れ。九州の日向灘で育ったsyocoは地震には慣れていて、揺れが終わるとすぐにまた寝ました。が、横揺れで震度4くらい・・・震源地の震度は6位かな・・・ひどいかもと思い直してテレビをつけた事を思い出します。
被災地の悲惨な状況はテレビで次々に出てきて、大変な火事。火事というものでは有りません。まさに大災害でした。
あれが足りない、あちらではこれが不足しているとの情報をもとに必要な日用消耗品を購入して郵便局から送り、現金も送りして、フリーランサーの所属の協会から現地に行きますか?と聞かれましたがアレルギーのひどいsyocoは手伝いどころか迷惑になると思い行けませんでした。
どれほど現地に言って皆様のお手伝いをしたかった事でしょうか。
子供達の心の傷は・・・絵を描かせるとやはり震災の時の絵、そうです。絵を描く事でストレスを外に出す事が出来るので、大切な事なのです。
1人で溜めるとそれはいつまでも心から出て行かないのです。
その小さかった子供達も今はもう20歳前後の年になりました。
破壊を乗り越えて逞しく行きてほしいと心から願います。
人間は創造する生き物です。本能がそうさせます。作る事、それが人間の本来の姿です。
だから破壊されたものはとても辛い。心が砕ける。syocoにとってもあの光景はかなりショックでしばらくは落ち込んでました。頭がすごくしんどかったです。
人生で初めてあれほどの破壊された街を見たのですから。
それでも経験は人を強くします。
破壊の上には新しい創造の花が開くのです。
人とはそんな生き物なのでしょう。
震災から20年。今も忘れずに突然に被災された方々の事をずっと思い続けていたいです。
もうそんなになるんですねぇ・・・
東京からも手伝いに行きたい、応援に駆けつけたいと
みんなが言っていましたが、実家など拠点がある人しか
それは認められませんでした。
(とても正しい判断です)
街を100回壊されたら、101回作ればいいんだという、
ゲームかアニメのセリフがありました。
明日がある限り、いや、明日がないとわかっていても
作り始めるんでしょうね。きっと^^
助け合い、支え合いながら・・・