Nicotto Town



社会性

子供の頃、私の家にはコンクリート製の敷石がありました。

そして、その敷石をひっくり返してみると、そのこは蟻の巣がありました。

子供の頃は、その蟻の巣の様子を何時間でも見ている・・・という変な子供でした。

残念ながら、女王は地中深い場所にいるのか、見ることはできませんでしたが、ご飯粒の様な蟻のさなぎの様なものを担いで忙しなく動き回っているもの、巣の外に出たり入ったりしているものなど、総じて忙しなく動き回っていました。

ところが、しばらく見ていると、明らかにサボっている蟻がいました。
恐らく、蟻にも休息が必要なのでしょう。

そんなサボっている蟻がいたとしても、コロニー内で喧嘩が起きることはありません。
怒りなどの感情を持つほどの脳が無いのかもしれません。

社会性にとって、怒りなどの感情は不必要なのでしょう。

では、蟻には闘争本能が無いのでしょうか。

蟻だって、外的から巣を守る為には、また他の巣を襲う為には戦います。

子供の頃は、そんな感じで、いくつも並んでいる敷石を次々とひっくり返して眺めていました。
すぐ近く(数十cm)離れた敷石にも、別の蟻の巣があったりもしました。
また、数m離れた敷石にも蟻の巣がありました。
すぐ近くの蟻の巣は、もしかすると同じコロニーの巣なのかもしれませんが、数m離れた巣は別の巣でしょう。

しかし、どうも見ている限り、別のコロニーとの間で、餌をとる量とか、巣の大きさとか、何かで競い合っている様子はありませんでした。

つまり、社会性や闘争本能にとって、怒りとか、競争心とか、悔しいという感情は必要が無いのではないでしょうか。

私たち人間は、これらの感情をあまりにも当たり前のものとして受け入れてしまっています。
しかし、それはそれで良いのだと思います。
それらは人間が進化的に、つまり人間に連なる系統の生物が必要としてきた性質なのでしょう。

しかし、一つ言えることは、それらの感情は社会性を維持する上で、不利益となるものということです。

つまり、人間には基本的に社会性が無いのです。

人類学においても、人間には社会性が無く、個の生物であることが常識となっています。

それにも関わらず、多くの学問領域において、人間を社会性生物という勘違いを前提としています。

また、世間一般においても、「人間は一人では生きていけない」と言われています。
しかしそれは、子供ならともかく、成人には当てはまりません。
それぞれの個人が、自然の食べ物を確保できるテリトリーさえあれば、一人で生きていける生物なのです。

一方、その考え方はある意味正しいとも言えます。
それは、人間という種があまりにも個体数が増えすぎ、個人のテリトリーを確保できなくなった為、嫌が上でも集団の中で生きなければならない状態にあるからです。

しかし、例え集団の中で生きなければならなかったとしても、「人間には社会性が無く、個の生物である」という事実を受け入れなければ、戦争、猟奇殺人、虐めや引きこもりなどの人間社会の歪みを理解することは出来ないでしょう。

臨床心理学においては、それらの現象を異常なものとして矯正しようとします。
しかし、放送大学でゲスト出演していたベテランの臨床心理士の人は、次の様なことを言っていました。

「今まで、引きこもりの人たちを社会に適応させようと活動してきたが、それは間違いだったのかもしれない」

人間が社会性生物だという前提に立てば、社会に適応できないのは異常ということになります。
しかし、人間は個の生物であり、社会に適応する為に巨大なストレスを負うことになり、社会に適応できない人たちがいたとしても、当たり前なのです。

むしろ、社会性の無い人間が社会契約という概念で作り上げた社会ですから、社会の方が生物としての人間にとって間違っていることの方が多いと言えるでしょう。


ところで、ここまで書いてきたことは、男性社会の話です。

そもそも、生物にとってオスとは何でしょう?

以前コメントを頂いた中に、原始生物である単細胞生物において、基本的にオスは必要無かったというものがありました。
しかし、生存環境が悪化すると、オスが出現するというものです。

オス型の細菌の中には、他の個体と接合をする為のプラスミドと呼ばれる遺伝子が存在します。
プラスミドとは、本体の遺伝子とは繋がっておらず、自由に動き回ることができる環状遺伝子のことです。
オスが分裂して二つになったとしても、そのプラスミドが入っていない方はオス型にはなりません。
つまり、通常環境においては、オス型は増えず、メス型ばかりが増えるのです。

しかし、生存環境が悪化すると、そのプラスミドが増え、その役割も発動します。
そして、他の個体と接合し、それぞれの本体の遺伝子が混ざり合い、より生存に有利な遺伝子を持つものが増えることになり、種としえの強さが増すのです。
そして、そのプラスミドが増えるということは、接合の際に、相手にその複製されたプラスミドが移る可能性も高くなり、またオスの分裂の際にも、両方にそのプラスミドが分けられる可能性も高まり、相乗的にオス型が増えることになります。

そして、悪化した生存環境に適応できるものが増えれば、そこは強くなった種にとって通常環境となり、プラスミドの増加は終了し、再びオス型の比率は激減します。

つまり、生物学的に見ると、オス型は遺伝子を混ぜ、より強い遺伝子を持つ種とする役割だけなのです。

蟻においても、オスは繁殖期のみに出現し、その後はすぐに死んでしまい、蟻の社会はメスだけで構成されています。

哺乳類においても、母子社会という社会性を獲得したのは身体を進化させたメスです。
また、ボノボ以降の類人猿は、疑似発情期という身体の変化をして、家族社会を獲得したのはやはりメスなのです。

ライオンの家族社会は、一般にはオス一頭に対するハーレムとして考えられています。
また、猿の社会においては、ボス猿を筆頭とするハーレムとして考えられています。

しかし、それは男性的な視点では無いでしょうか。

ライオンは、メスが子供を産み、育て、食料もメス集団で狩りを行います。
オスは、普段は何もせずゴロゴロしていて、メスがとってきた食料を優先的に食べます。
確かに、オスの天国の様に見えます。

これを、別の視点で見たらどうでしょう。
ライオンの家族は、メスのみで形成されている。
オスは、新たな強い遺伝子を提出するだけの道具。
また、子供が他のオスに殺されない様にする為に戦ってもらう番犬。
番犬であるのだから、それ以外は動く必要も無いし、その番犬を飼う為に餌を与えるのは当然。
もし、番犬が他のオスに倒されれば、子供は残念なことになってしまいますが、勝ったオスを新たな番犬として飼い、更に強い遺伝子を提出して貰う。

猿山についても、ボス猿がどの様に変わろうと、社会は維持されます。

つまり、社会において、オスは遺伝子提供する道具であり、母子社会を守る為の番犬であり、社会の一員とは言えないという視点もあるのではないでしょうか。

競い合いこそが技術を発展させる
しかし、科学技術が発展したことにより、多少それぞれの個体の寿命は延びたものの、人類を何度も絶滅させるだけの力を持ちました。
生物として、それは進歩では無く、危機と言えるのではないでしょうか。

#日記広場:その他

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2015/02/01 17:26
雪うさぎさん、コメントありがとうございます\(^o^)/

Y染色体上にある遺伝子で重要なのは、女性体を男性体にする為の遺伝子ですね。
つまり、人類の基本的な形態は女性であり、Y染色体を持つ個体のみが、男性体への変化を起こすのです。
その遺伝子の働きに支障があると、両性具有や女性体の男性という状態になる様です。

生物におけるオス型の最も重要な役割は、他個体との遺伝子の混合と言って良いと思います。
人類は確かに地球上生物の覇者の様な状況に見えます。
しかし、目に見えない病原菌や病原ウィルスなどに対しては非常に弱いとも言えます。
感染症の中には、免疫系の後天的多様性によって対処できるものもありますが、やはり遺伝子の混合による多様性の働きは大きいと思います。

そういう観点からすると、人類のオス型、つまり男性が消滅することは、人類の滅亡への道となるでしょう。

それ自体の善悪は論じることが出来ますが、仮にそういう自然の圧力があるとしたら、逃れられない運命かもしれません。

ただ、個人的見解としては、男性(オス型)が消滅することは、当面無いと考えています。
現時点においては、減数分裂後の精子において、X型とY型で、運動能力に差がみらるという報告を聞いたことがありません。
つまり、男性型と女性型の受精卵が、ほぼ同じ確率で生成されることが予測されるからです。

イケメンの男性が増えるかどうか・・・
イケメンや美人という尺度が、時代によって変遷していたり、地域によって異なっていたりと、文化による影響が大きく、なんとも言えないところです(;^_^A アセアセ…
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2015/02/01 17:02
妖刀さゆきさん、コメントありがとうございます\(^o^)/

昭和初期生まれで、戦中派の父親、そして同様に尽くしてきた母親との夫婦関係においては、それが当たり前なのかもしれません。
その後は、姉にご飯の炊き方を教わって、自分で食事を作っていた様です。

しかし・・・高熱にうなされている私の食事にまで気持ちが及ばないのは、少し腹立たしいものがありました。
まぁ、知人に連絡して差し入れをしてもらい、なんとか生き延びることは出来ましたが・・・

もし、母親と父親だけで生活をしていて、母親が高熱を出したとしたら、どうなってしまうのだろう・・・
やはり高熱の母親に食事を作らせるのでは無いか・・・
そう考えると、父親の思いやりの至らなさは、やはり問題なのでしょう。
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2015/02/01 16:53
mつんさん、コメントありがとうございます\(^o^)/

インフルエンザA型と判定された後は、イナビルという吸入による特効薬で翌日には解熱したのですが、その後も息切れなどの体力低下は著しく、しばらく安静にしていました。
その途中で痒みを伴った全身の発疹に見舞われ、抗ヒスタミン剤、ステロイド系抗炎症剤、塗り薬による治療をしていました。
ようやくその発疹も沈静化し、飲み薬は不要となったのですが、ステロイド剤は急には辞めてはいけないそうで、現在はステロイド剤を当初の半分量とする減薬治療中となりました。

蟻が自分の意志でサボっているのか、単なる休息なのかは分かりません。
恐らくどの蟻の個体においても、休息は必要なのでしょう。
蟻にも個体差があるでしょうから、疲れやすいのもいれば、タフなものもいるのでしょう。
重要なのは、そういう事象を不平等とか、不公平とか思わないところにあるのでしょう。
母子社会においても、母親と子供で、その関係が平等だとか、公平だとか考えない様に、社会性においては平等とか公平とかは必要の無い概念なのだと思います。

つまり、不平等とか、不公平によってストレスを感じることが無い生物が社会性生物なのだと思います。

人類は多人数による社会性を獲得していない完全なる自由を求める個の生物だと思います。
(※但し、母子社会、家族(夫婦)社会という社会性を女性は獲得しました)
そんな個の生物人類が、地球上の個体数の増加から社会を構成する必要性があった為、皆が不自由を被ることで安全を得る社会となりました。
しかし、個の生物人類としては、社会を構成する為の不自由に大きなストレスを感じることになります。
その強大なストレスの為に、被る不自由さに対し、平等性とか公平性を求めることになるのでしょう。

この辺が、社会性生物である蟻との違いなのかもしれませんね。

それにしても、社会性が無い生物において個体数が増えすぎれば、通常は適正な個体数になるまで殺し合いや略奪を行うのが自然なこととも考えられます。
そう考えると、社会性が無いにも関わらず、知識や知恵によって間違いながらも社会を形成し、個体数を減らさずに続いてきた人類は、やはり大した存在なのかもしれません。
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2015/01/31 20:11
ココさん、コメントありがとうございます\(^o^)/

ココさんも、蟻を眺める子供だったのですね(^。=)

有史以来、同種の生物同士が殺し合う戦争を繰り返している人類社会が間違った社会であり、それに完全に順応している人の方が異常だと思います。

しかし、間違った社会とはいえ、個のまま生きることが出来なくなるほどに増殖してしまった人類にとって、原始社会においては必要だったのでしょう。
そして、人類を消滅させるほどの力である科学技術を持った現代の人類が、未だに原始社会のままであるというのは、人類という生物種にとって危機的状況と言えます。

ただ、それでもこの間違った社会の中で、とりあえず生きなければならないのも実情です。
重要なのは、この間違った社会に順応するのでは無く、間違っているという認識を持ちつつ、この社会と折り合いをつけていくことなのでしょう。

そして、折り合いをつけながら生き、少しずつでも、この間違った社会を平和的に修正しようと努力することが必要なのでは無いでしょうか。

私の父親は教育学者ですが、「渡世」こそ教育だと言っています。
「渡世」つまり、この世(社会)を渡っていく(折り合いをつけていく)方法を教えるのが教育ということでしょうか。
私の父親は教育畑しか経験しておらず、社会のことはよく分かっていませんが、それでも教育学を極めていく課程において、この社会との折り合いが重要だと気づいたのだと思います。

社会性の無い人間が間違った社会で生きるのですから、まともな人ならば社会に適応出来ないのは当たり前で、それにも関わらず、「人間は社会性のある生物だ」とか、「人間には社会が必要だ」とか、そういう間違った認識を、学校で、テレビなどのマスコミで刷り込まれてしまう為、その嘘にマインドコントロールされるか、精神的に崩れてしまうことになるのでしょう。
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2015/01/31 19:53
いしころさん、コメントありがとうございます\(^o^)/

いしころさんの多くの人たちに向けられた愛こそが、家族社会を超えた市民社会を形成する愛だと思います。

それでも、いくつか指摘させて頂きたいところがあります。

まず、男女平等についてですが、これは非常に論点が広く、簡単には答えられません。
ただ、本文の蟻の例でも分かります様に、社会性に関しては「平等」とか「公平」という概念は、本来不必要だと思っています。
例えば、哺乳類に進化して獲得した母子社会において、母親は子供に平等性とか公平性を要求しないでしょう。
そこには、母性愛と信頼があり、それが母子社会の根底にあります。

次に、男女の愛についてですが、これには若干の異論があります。
いしころさんの男性に対する惹かれる気持ち、尽くしたいという気持ち、そして安心感など、それはまさに家族社会を形成する為の愛だと思います。
類人猿であるボノボ以降、女性は疑似発情期という生理的進化を遂げ、特定の男性を家族に引き入れる能力を獲得しました。
そういう形態変化を伴った、家族としての男性への心情として、納得できます。
結婚または事実婚に至る前の恋愛感情は、より良い遺伝子、より強い男性(家族を守る為のオス)を選別する課程なのでしょう。
しかし、男性、特に若い男性が感じている愛は、女性のものとは異なる場合が多いと思います。
それは社会性の前提となる「愛」と呼べるものでは無く、単なる欲望の一つである場合が多いと思います。
女性が「愛」によって男性に尽くすことで、男性を家族社会に引き入れようとしますが、男性は全ての欲望を投げ打って女性や家族を守ろうとは思わない場合が多いでしょう。
勿論、言葉では「全てを君に捧げる」という様なことは言うかもしれません。
しかし、それが実行されるのは希有なケースだと思います。
むしろ、社会性の無い男性は、家族社会につなぎ止められることに違和感を覚える場合が多いでしょう。

もし、社会的制約が全く存在しなければ、男女が一対という家族社会は、それほど長くは続かない様な気がします。
ただ、これについては、もう少し考えを深めようと思っています。

しかし、いずれにしても、人類の獲得してきた母子社会、家族社会という社会には「愛」が必要であり、それ以上の隣人社会、人類社会においても「愛」が重要な要素だと考えています。
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2015/01/26 20:11
天原みなかさん、コメントありがとうございます\(^o^)/

同種の生物同士が殺し合う戦争、それが世界のどこかで常に起こっていたり、戦争を起こす準備をしている私たちの現代社会。
しかも、戦争を起こしているのは、未開の原人では無く、先進国と呼ばれる文明の発達した国々なのです。
その一点だけを見ても、現代社会が間違っていることは自明のことです。

現在の教育において最も間違っているのは、「社会性の無い人間が、社会に適合できるのが当たり前だ」と教え込んでいるところです。
しかも、その社会は間違っていることが自明のものです。

つまり、
1.現代社会は間違っている
2.人間には社会性が無い

この2点をまず押さえておかなければならないでしょう。

しかし、それが分かった上で、現在の地球上の人間の個体数(人口)は、自然状態で暮らすことが出来ないほど増えていて、例え間違った社会であっても、その中で生きざるを得ないのです。

人間に社会性が無い・・・ということは、社会性を学ばなければならないということになります。
しかし、現在までの社会のほとんど全てが間違っていて、正解が無いのですから、社会性を学ぶことはできません。
では、何を学ぶ必要があるのか・・・

それは、この間違った現代社会と折り合いをつけて生きるテクニックでは無いでしょうか。

現代社会は間違っているのですから、違和感があるのは当たり前で、逆に違和感を失った人たちの方が異常なのです。
しかし、その違和感を持ちつつ、この社会を上手くやり過ごす方法、テクニックを学び、いつかその違和感、つまり現代社会の間違いを訂正するパワーの一翼を担うことが必要なのです。

社会に適合し、間違った社会に違和感を持たなくなる方が危険なことでしょう。

間違いだと分かりつつ、上手く折り合いをつけ(適応)ていくテクニック・・・

それは、テクニックなのですから、英語が苦手、数学が苦手、国語が苦手、理科が苦手・・・な人たちがいるのと同様に、社会と折り合いをつけるのが苦手というだけの話だと思います。
それは、異常でもなんでも無く、単なる苦手教科であるにも関わらず、「異常だ」と決めつけられれば、より原始的行動、つまりよりホモサピエンス的行動をしてしまうのも、当然なのかもしれません。
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2015/01/26 17:39
紫水晶さん、コメントありがとうございます\(^o^)/

男性より社会性において進化した女性、しかし進化にも落とし穴の様なものがあります。

つまり、進化して新たな何かを掴んだとしても、ほとんどの場合、過去の性質を持ち続けているということです。
例えば、社会性の進化を遂げなかった人間の性質、つまり男性が有する社会性にネガティブな性質は、女性にも潜在しているという点です。
人間は、人間に至る太古の生物たちの遺伝子の多くを保存しています。
つまり、進化することで、それ以前の遺伝子の代わりに新たな遺伝子を持つ場合もありますが、それ以前の遺伝子を持ちつつ新たな遺伝子が加わっている場合も多いということです。

そして、現時点から近い進化ほど、その現れ方が弱いと考えられます。
例えば、母子社会は、哺乳類への進化段階で女性の獲得したものですが、家族社会は類人猿、しかもチンパンジーには無いボノボ(ピグミーチンパンジー)以降に獲得したものです。
従って、母子社会の社会性の強固さに比べ、家族社会の社会性はかなり脆弱といえます。

しかし、その母子社会から家族社会へと続く延長線上に、市民社会の姿が見えるのではないでしょうか。

男性(オス型)の野蛮性というものは、哺乳類に進化する以前からの性質である為、女性にも引き継がれています。
また、男性(オス型)には、以前も書きました様に、目に見える進化的形態としては現れてはいないものの、同種の敵を殺すまでは攻撃しないという「自制心」がある様です。

もし、女性が女性らしさ(母子社会性、家族社会性)を捨てて、権力の座についたならば、それは自制心の無い男性という最悪の結果に至る可能性もあるかもしれません。

「卑弥呼は何故、女帝となりえたのか」
「邪馬台国は何故、平和だったのか」
「天皇家は何故、現在まで引き継がれているのか」

それらを考える時、社会を治めるものは、権力では無い・・・と私は思います。
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2015/01/24 12:20
ほしのさん、コメントありがとうございます\(^o^)/

現在、常識的な視点は、ほとんどが男性視点です。
それは科学の領域においても同じだと言えるでしょう。
無理して作ってきた男性社会、男性的視点を絶対視したくなる気分も分かります。
しかし、女性までその視点に捕らわれる必要は無いと思います。

哺乳類にとって根源的な社会性は、母子社会…
とは言っても、母親から子供に対するものと、子供から母親に対する気持ちは平等とは言えないでしょう。
社会性昆虫の蟻や蜂ももそうですが、社会性にとって平等という概念は必要が無いのかもしれません。
個の生物である人間、特に社会性を獲得しなかった男性の基本的欲求は完全なる自由なのでしょう。
しかし、視認できる領域、食糧確保のテリトリーに他個体が多数存在する状況になれば、協力して労働を行い、効率の良い生産をする社会の形成が、やむを得ず必要となります。
その様な社会においては、一人が完全な自由を行使すれば、他の全員が不自由を強いられることになり、完全な自由を欲する男性たちの社会にとっては大きなストレスを抱えることになります。
それでも、一人が絶対的な力を持つことができれば、社会として成立することになるのでしょう。
それが原始社会における専制国家の在り方だったのでしょう。
そんな中でも、不自由度の違いによって階級があり、同じ階級内では平等に不自由を請け負うという階級社会によって安定化が図られたと言えるのかもしれません。
しかし、この様な社会体制は、エントロピー増大の法則という自然法則に逆らっていて、維持するには巨大な力が常に必要となりますが、所詮は自然の流れに沿って崩壊します。
そして、結果的に全員が平等に不自由さを強いられる社会が形成されてきました。
とは言っても、内在的に完全な自由を求める男性による社会では、少しでも多くの自由を得る為に、競争社会が肯定され、結果的に争いが無くならず、戦争も無くなることはありません。
仮に、完璧な社会主義によって、完全に平等な不自由を強制されれば、男性にとって欲求を果たすはけ口が無くなり、無気力となり、働かなくなってしまいます。
つまり、「競争が必要」というのは、男性社会における、男性の欲求に対する危険なご都合主義なのです。

男性主導の社会であり続ける限り、理想社会は訪れないのだと思います。
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2015/01/24 09:57
人類のオスも消えていく方向にあるという説をどこかで読みましたよ。Y染色体がほとんどくずの遺伝子しか持っていないとかいう話で、それはそれで面白かったです。
でもイケメンのいない未来って、つまらないかも・・
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2015/01/19 17:37
米も炊けないって男は料理できなくて当たり前と考えてきたのでしょうね。
とは言え今更高齢者に米のたき方を教えるのも面倒な話
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2015/01/17 12:13
こんにちは^^

実家に帰省中で、しばらくニコタを留守にしておりましたら、
あたるさんは風邪を引かれていたんですね@@

しかも、インフルエンザだったんですか!??@@;

それは、大変辛いですね><
治るまでは、ゆっくりと休んでくださいね0^^0


蟻は働き者というイメージがあるけれど、働いているのは一部で、後は働いてないことが、
最近判明した・・・・というようなTVの番組を見た記憶があります^^;

でも、働いている蟻は、サボっている(?)蟻に文句も言わずに、せっせと自分の仕事を
全うしているんですよね・・・・働いている蟻さん、すごいです!
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2015/01/17 11:31
明らかにサボっている蟻(爆)
蟻の中にもあるのですね~
色んな人格・・・いや 蟻格??が^^;
私も小さい頃 良く蟻を眺めていた子供でした(≧▽≦)ノシ←なのに理科は苦手だった^^;


>人間は個の生物であり、社会に適応する為に巨大なストレスを負うことになり、
社会に適応できない人たちがいたとしても、当たり前なのです。
うっ・・・
理解してもらえない社会の中 この言葉には救われますT^T


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2015/01/16 03:01
女性はか弱そうに見えても根っこはとてもたくましいのです
それでも 男性を立てて 男性に仕える  
そうして社会は うまく回ってきたのだと思います
男女平等・・っていう言葉は とても親切そうで
間違ってとらえられているような気がします

女性はいざとなるとたくましいけれど
それでも 男性の体つきや 考え方に惚れて
心を添わそうとしていく 

男と女が惹かれあうことで 色々な困難を乗り越えて
社会が成り立っていく・・
一つの性から生まれてくるものであるけれど
男性は 女性にとって 優しい守り神のような存在なのかもしれないね
だって・・どんな状況下でも 世界が滅びようとしているときでも愛し合える
男女は 一対になることで お互いの足りないところを補い合って
一人前になっていくのだと思います  社会性は必要だけれど やっぱり世の中を救っていくのは
男女の純粋な愛そのものだと思います。 難しいことはわからないけれど・・
地球上の命のすべてが 愛に満ちているとすれば 何も難しいことはないとも思うけれど
実際は 頭で考えすぎて すべての人が賢くなりすぎて 争うようになったと思います
自然に生まれ地に還る自然の流れは 人間だけには少しづつ通用しなくなってきているようです。
幸か不幸か・・
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2015/01/15 12:08
 わたし今、刑務所に関係したお仕事してるんですが、あそこって中にいる人を社会に適合するよう矯正するところだったんです。

 社会不適合者を社会にあうよう矯正する

 社会って傲慢ですね。
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2015/01/15 00:45
追伸…
やはり根源は「母」かな、と思いました(*^^*)
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2015/01/14 14:00
学生の頃
複数の男性の中に女性が一人だと
「女王」になり
複数の女性の中に男性が一人だと
「奴隷」になる
という話を聞きました。妙に納得したのを
思い出します。

同じ女性として女性が社会的とは思えないことも
しばしば・・・

女性は「男性化」することで社会の弾頭に出ようとします。
男勝りな女性が頭になれば男社会と変わりません。
女性的であるほど、社会には出にくいのが現状です。
女性は基本的に戦いを好みませんし、欲といっても
衣食住のみです。権力欲や支配欲はあまりありませんし
となると、家庭のみで満足してしまい、社会に出ることは
ないと思います。
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2015/01/14 13:35
ライオンの別の見方笑えましたww

そうですね、視点を変えるってそうゆうことですね^^。


私も一つの概念で悩まずにいろんな見方をしてみようと思います。


人間社会は窮屈ですね^^;;



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