Nicotto Town


ウイルス戦争 神は死んだ


エディオン元課長が遠隔操作

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG13HCB_T10C15A1CC1000/
上新電機に再就職したエディオン元課長がエディオンの営業秘密をパソコンの遠隔操作で入手していたそうです。
遠隔操作ソフトをパソコンに仕掛けてから退職して次の就職先で、情報を活用しようと画策していたわけで、この元課長はなかなかのやり手ですね。

エディオンといえば吸収合併されたミドリ電化を思い出す。
ミドリ電化は三宮に本社があったのだけど、富士通の汎用機でWINDOWSのエミュレーターを端末代わりに使っているという変な運用でした。
ミドリ電化はトイレにトイレットペーパーがないので社員が自分でペーパーを持ってこないと用も足せないという会社だった。
当時WINDOWSにも富士通汎用機にも縁が無かったのだけど、そこに会社が扱いに困っていた怠け者プログラマーを送り込んだのがソモソモの間違い。
怠け者プログラマーはサボってばかりで支社・本社勤務など、たらい回しにアチコチの部署で勤務したけど一々サボっていたので、どこの部署でも扱いに困っていた。
仕方ないので他社に派遣してプロとしての自覚を持たせようとしたのだけど、そこでもやっぱり怠けていたので一か月分の仕事が山積みになった。
それを解消すべく私ともう一人がミドリ電化本社に外注派遣として赴いたのだけど、富士通汎用機を使ったことが無かったのでプログラム作りは捗らず。
そうこうしているうちに怠け者が
「明日には仕上げてくださいよ」などと言ってきた。
元々はお前が山積みにした仕事だろうに何で私がミドリまで来て富士通のプログラムなんて作らなきゃならないんだよ などと思ってみたところで今やそれは私の仕事になっている。
ところがとても明日までにはできそうにない。
あーあ困ったなぁ と近くの公園でパンを食べながらウンザリしていた。
NECのオフコン・汎用機でのプログラム経験など富士通系に行ったら大して役に立たない。
富士通系汎用機に慣れるまで、スケジュール通りに作るのは不可能だった。
そうは言っても明日には単体テスト完了させなければならないのだ。
1995年1月17日の早朝から起きて、また三宮のミドリ電化本社に行かなければならない。
起きたくないなぁ、嫌だなぁ などと考えていたけど早朝から電車に乗って三宮に行かなければ。
そう思っていたら阪神大震災が発生。
交通機関であるJRが壊滅した影響でミドリ電化のシステム開発業務は頓挫し私は富士通のプログラムを作らなくても良くなった。
それは助かったのだけど、次の仕事は大阪や京都でシステム開発しなければならない。
ところが通勤手段のJRが壊滅しているのだから通勤も出来ない。
それで大阪や京都に泊まりこんでの仕事になった。
これは地獄的な共同生活でプログラマーの仕事にウンザリさせられた。




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